帰る場所
宿を出ようとした男は、通りに立つバスティオンを見るなり引き返した。裏口にも同じ姿があり、抱えていた荷を下ろした。
借りていた部屋からは、向かいにあるレーネの家が見えた。窓辺を離れない客を怪しんだ主人が、衛兵に知らせていたのだ。荷の中からは、商会の者が出入りする時刻を記した紙も出てきた。
ブレーゲンを発ってから、街道で何度か一緒になった旅人だと、ハンナは言った。
「あの時、夕食まで分けたんですよ」
議事堂へ連れてこられた男を見て、ユディトは自分が雇ったと認めた。商会を街道から追わせ、町では娘の住まいを見張らせた。今朝、娘の引き渡しを拒まれ、ハンナが追悼の集いへ出た隙に踏み込ませたという。
「なぜ、先に私へ申し出なかった」
「保護を願い出た者は、返さない領主だと伺っておりました」
「黙って連れ出せば済むと思ったか」
男がユディトの顔をうかがったが、彼女は口を開かなかった。
◇
ヴェラは、本を置いて帰ると言った。
「レーネの話と比べてみてください。私の説明だけでは、お信じになれないでしょうから」
「借りるよ。君が援助していた治療院の資料も見せてほしい。ラザールに頼んだ報告とは別に」
「取り寄せます。ただ、すべて差し上げるお約束はできません。官房が持っていった原本は、私にも取り戻せない。閣下まで、あちらの説明だけをお信じにならないでください」
「官房にも、同じように求める。けれど、資料と引き換えにレーネを会わせることはしない」
ヴェラの笑みが消えた。
「では、本人が私と話したくなった時には、お許しいただけますね」
「本人が望めばね。だが、商会の見張りは引かせろ。彼女や患者の居場所を探らせれば、君も捕らえる」
ヴェラは一礼した。
「承知いたしました、伯爵閣下」
残された本へ、つい手が伸びた。
(読みたいんだよな。こういう時にまで)
本を手に、ミラのところへ戻った。
◇
「店を閉めるの?」
部屋へ入ると、レーネが叔母に尋ねていた。
「誰が、そこまで言ったの。店を空ける間、仕事を頼める相手を探すんだよ」
「でも、私のせいで」
「店の心配は私がする。あんたは、どうしたい?」
娘はしばらく迷ってから、ミラを見た。
「ここにいたいです。でも、逃がした人たちには、私が無事だと知らせたいんです。便りを出してもいいですか」
「返事は商会で受け取れる。あんたから書きなさい」
レーネがうなずくと、隣で聞いていたミラはオーレリアンへ向き直った。
「司教様には、私からお知らせします。ハンナさんたちへの圧力を止めてもらえるよう、お力を借りたいんです」
「お願いする。ユディトたちは、まだ帰せない。先にブレーゲンへ戻って、ハンナたちだけを罪人にされては困る」
「留守の者たちには、私から事情を書きます」とハンナが言った。「あの子を荷車に隠して帰らずに済むだけでも、ずいぶん助かりました」
◇
ハンナたちが食事を取りに行くと、オーレリアンは見舞いに来ていたクレイドを呼び、本を広げた。
同じ著者の本を、二人は以前にも読んでいた。土地を移るとフォルマを使えなくなる男が、故郷へ戻って力を取り戻す話だった。
こちらには、身体へフォルマを施した患者の経過が記されていた。歩いて退院したはずが、故郷では動けなくなっている。
「歩けるようになっても、家には帰れなかったんですね」とクレイドが言った。
食事を持って戻ったレーネに、オーレリアンは本を示した。
「この人に、会ったことはある?」
患者の名を見ると、娘は身を寄せて記録を読んだ。
「ここ、違います。こんなに早く、歩けるようにはなっていません」
レーネは、記録の日付を指した。
「この日は、まだ、私が背負って運んでいました」




