善意の値
「私も、薬を飲ませていました」
ハンナが何か言いかけ、やめた。病室へ戻ってからも、隣に座る姪は顔を上げようとしなかった。
「痛いと訴える人には、眠れる薬を。処置を嫌がる人にも、先生に言われれば。よくなれば喜んでもらえると思っていたんです」
向かいに座ったオーレリアンが口を開く前に、娘は続けた。
「もう帰りたいと言われても、私には決められませんでした。先生に頼みに行けば、治療をやめて何かあったら責任を取れるのかって」
これ以上、身体を変えないでほしい。学者の前では言えなかったことを、世話をするレーネには打ち明ける者がいた。明日また頼んでみると、何度も答えたという。
「最後には、顔を見ると、向こうから謝るようになりました。私を困らせて悪かったって。それで……荷を運ぶ人に頼んだんです。何人か、外へ連れていってもらいました」
そこで一度、言葉が途切れた。
「動けない人は、残しました。その人たちに薬を飲ませておいて、私は逃げてきたんです」
ハンナが姪の肩に手を置くと、娘は首を振った。
「叔母さん。いい話だけして、助けてもらいたくない」
「ヴェラにも、患者が嫌がっていると話したの?」
「逃げる前に。一度、治療院へ来た時に相談しました。先生に言えばよかったのに、と叱られました。言ったあとだったのに」
援助を止めれば、今いる患者が困る。身を寄せる親類がいるあなたと、病室を出られない人たちは違う。そう諭されたという。
「外へ出た人たちは、どうしている?」
「家へ帰ったら連れ戻されるから、匿ってくれる人を頼りました。宛先は、別に隠してあります。私が捕まっても、あれだけは渡せません」
そこで口を結んだレーネに、ミラが隣から声をかけた。
「今ここで、教えなくてもいいですよ。助けが要る人がいたら、私にも知らせてください」
娘は叔母を見てから、小さくうなずいた。
◇
ユディトは議事堂の一室にいた。扉の外には衛兵が立ち、捕らえた部下とは引き離されている。
「あの娘から、お聞きになりましたか」
「嫌がる患者にも処置を続けていたそうだな。貴殿らは、何を調べていた」
「許可なく人の身体を変えていた施設です。私どもが閉鎖し、残された患者は預かっています。金枝会は押収した資料を返せと申しておりますが、応じるつもりはありません」
「ならば、娘から何を聞き出すつもりだった」
「逃げた患者の居場所です。フォルマによる処置を、治ったからと打ち切れば死ぬ者もいます。全員を見つけ、私どもの管理下に置かねばなりません」
「逃げ出した者を、今度は貴殿らが捕らえるのか」
「危険をご存じなかったのでしょう。あの娘も、医師ではありません」
「その危険を、貴殿らなら取り除けるのか。預かった患者は今どこにいる。どんな手当をしている」
ユディトは、しばらく黙っていた。
「場所も、処置の内容もお伝えできません。各地の司教にも明かされぬ任務です。危険な書や品だけでなく、人も預かります。異端かどうか、判決を待てぬこともあるのです」
入口に立っていたテオヴァルドへ、その目が動いた。
「貴殿の任務であろうと、ここで人を攫う権利はない」
◇
別の部屋で待っていたヴェラは、本から顔を上げた。真っ先に尋ねたのは、レーネが落ち着いたかどうかだった。
「君のことも話してくれたよ。医師に訴えても聞いてもらえず、君にも断られたと」
「別の医師を捜していました。専門の違う人を連れてきても、代わりにはなりません。その間にも、援助は必要だったんです」
「官房の者を追って、ここへ来たの?」
「ええ。商会の周りも見張らせていました。捕まるより先に、保護したかったんです。こちらなら別の仕事も、学ぶ場所も用意できます」
「レーネを引き取る話には応じない。さっきも伝えたはずだよ」
すぐには返事がなかった。
「では、逃げた患者に会わせてください。あの子が外へ出したと、院長から聞いています。資料も患者も官房に押さえられた今、治療の結果を確かめるには、その人たちに会うほかありません。閣下に立ち会っていただいても構いません」
「あの子の訴えは退けて、今度は協力してほしいと?」
「治療をやめさせてほしいという訴えには、応じられませんでした。今も、すべてが間違いだったとは思っていません」
ヴェラは本を卓へ置いた。ラザールから借りたものと、同じ著者の名が背にあった。
「この人の研究も、よい結果ばかりではありません。それでも、お読みになりたいでしょう。私も、続きを知りたいんです」
示された頁には、歩いて退院した患者が、故郷に着いてから動けなくなったと記されていた。
治療院へ運び戻すと、また歩けたという。




