匿う人
馬が棹立ちになり、橋を渡っていた人々が欄干へ逃れた。幌の下では扉が内側から叩かれ、娘の声が御者の怒声にかき消されている。
テオヴァルドが家並みの屋根を渡っていく。オーレリアンは人波を避けて脇道を下り、橋のたもとへ出た。
「助けて!」
幌の隙間から伸びた手が、車内へ引き戻された。道を塞いでいた人々が散り、御者が鞭を上げる。その隣に座る男は、追ってきたオーレリアンへ手を向けた。
オルビスが光り、道端の荷車が人々の頭上へ跳ね上がった。オーレリアンはそれを宙で受け止め、路肩へ押し戻す。続く衝撃が、男を御者台から叩き落とした。
走り出した馬車へテオヴァルドが屋根から跳ぶ。その着地より早く、対岸で女が手をかざした。
光が前輪を砕いた。車体が横滑りして欄干を押し破り、後ろ半分が水路へ落ちかけた。
(誰だ、今のは)
オーレリアンの杖先にオルビスが開き、傾いた馬車を支えた。車体を橋へ引き戻す間に、テオヴァルドが幌を裂いて中へ飛び込む。扉を突き破って男が転がり出てきた。
レーネを抱いたテオヴァルドが、橋の中央へ降り立った。
「怪我は?」
答えようとして、娘は咳き込んだ。首には指の痕が残っている。地面に足がついても、少年の服をつかんだ手は離れなかった。
対岸にいた女が、こちらへ歩いてきた。人々が建物へ逃げ込む中、馬車から下ろされた娘だけを見ている。
「間に合ってよかった。ずっと、捜していたのよ」
レーネは声の主を見て、テオヴァルドの背へ隠れかけた。
「ヴェラさん……どうして、ここに」
「あなたが何も言わずにいなくなるからでしょう。治療院へ戻らなくていいわ。私と来て」
ヴェラは微笑み、手を差し出した。
「……行きません」
それでも近づこうとする女の前に、テオヴァルドが立った。
「落ちたら、どうするつもりだったんですか」
ヴェラは欄干の切れ目を見た。
「……そこは、謝ります。あなたなら間に合うと思ったの」
「離れてください」
差し出された手が、ようやく引かれた。坂を下りてきたハンナが駆け寄ると、姪は叔母へすがりついた。
「帰りたい。もう、ここにいたくない」
「うん。帰ろう。歩けなくても、運んでやるから」
馬車から転がり出た男が身を起こし、短剣に手をかけた。その腕を衝撃が打ち、男は再び地面に伏した。オーレリアンは杖を向けたまま、橋へ踏み込んだ。
「動くな」
外套の胸元に、銀の印が見えた。男はそれを握り、こちらへ突き出した。
「聖務官房の務めだ。邪魔をすれば、伯爵とて――」
「誰の命令だ」
対岸の店先から二人が出てきた。外套の下で弩を構えている。だが、オーレリアンに狙いを定める前に、別の声が彼らを止めた。
「下げなさい」
黒い服の女が、通りに残っていた人を避けて橋へ来た。襟元には同じ銀印がある。男たちは彼女を見ると弩を下ろした。
「ユディト様、ですが――」
「あの窓に、子どもがいるでしょう」
窓辺で子どもを引き寄せていた母親が、慌てて戸を閉めた。
女は壊れた馬車と、杖を向けられた部下を見た。ヴェラへ目を留めた時だけ、唇が引き結ばれる。
「負傷した者を連れて、退きなさい」
「待て」
部下へ向けられた杖を見て、ユディトは足を止めた。
「私の町で人を攫い、武器を向けた。連れて帰れると思うな」
相手は一礼した。顔を上げても、ハンナの陰にいる娘を見ていた。
「アッシュマーク伯爵。聖務官房のユディトと申します。あの者の拘束は、私が命じました」




