町の旅人
「この町は初めてかい?」
以前の東門を見上げていたら、そう声をかけられた。
門扉は外され、厚い壁の向こうまで家並みが続いている。オーレリアンが覚えていた畑は、その屋根の下だった。外壁を移す計画は知っていたが、歩いてここまで来るのは久しぶりだった。
旅の本を読んで出歩きたくなり、仕事の合間に二人を誘ったのだが、自分の町で道を尋ねるとは思わなかった。
(昔は一日中、机に向かっていても平気だったのに、こっちで旅ばかりしていたら、座って仕事をする方がしんどくなるとは)
「この辺りはね。上の広場へ行きたいんだけど」
「それなら乗っていきな。三人なら、まだ座れるよ」
女が示したのは、長い座席を向かい合わせに置いた乗合車だった。前ではオートマタが牽き棒を握り、買い物籠を抱えた客が奥へ詰めてくれる。
今日は爵位を示す肩甲もつけていない。礼を言って腰を下ろすと、テオヴァルドとクレイドも隣に並んだ。誰も席を立たず、話し声も止まらなかった。
(このままでいいか)
動き出した車に、窓辺の子どもが手を振った。やがて工房の脇を抜け、坂を大きく回っていく。正面からは低く見えた建物が、谷側へは幾階も窓を重ねていた。上にある別の通りへ、橋が渡されている。
「この道、前からありましたか」
「私たちが西へ行く前は、途中までだったと思う」
テオヴァルドに答えながら、柱の並びを目で追った。自分が作ったものも、そのままの姿ではない。梁の間に店が入り、壁に沿って階段が増え、回廊の下まで人が暮らしていた。
クレイドは背もたれから身を起こしていた。教会の鐘楼より高い所を通っているのに、その先にも窓と入口がある。
「あそこへ住んだら、朝は下へ降りて働くんですね」
「帰りに歩くのは大変そうだ」
そう言ったオーレリアンへ、前から笑い声が返ってきた。
「夕方は混むよ。あたしも、引っ越してくるまでは馬を買うつもりだったけどね。ここじゃ置く場所の方が高くつく」
反対側から来た車の御者が手を上げ、女も応じた。向こうは立っている客までいる。荷を運ぶために作った機体が、今では毎日、人を乗せて坂を往復していた。
◇
降りた先の広場からは、議事堂が遠くに見えた。
こんなに離れたつもりはなかった。見下ろす屋根の間では煙が上がり、石段を行き交う人の姿が小さい。背後には、さらに高い住居が連なっている。
洗濯物を取り込む女の隣で、鉢に植えた豆が実をつけていた。上階の窓から呼ばれた子どもが階段を駆け上がり、踊り場で隣家の老人につかまる。抱えていたパンを一つ渡して、また走っていった。
工房を増やす時、寝床も要ると考えて建物を用意した。その場所に今は、昼食を待つ家族がいて、窓から物を貸し借りしている。
「帰る前に、あっちも見ていいですか」
テオヴァルドが見つけたのは、本を並べた店だった。棚は半分ほどが空いているが、入口には西の文字で書かれた札もある。
「いいよ。今日は、誰かに案内するわけじゃないから」
先に入った背を追おうとして、クレイドが露台の端で立ち止まった。
「僕、ここへ来てから、知らない場所へ行く時はいつも、あなたについていってました」
視線は、広場から分かれる道へ向いていた。
「一人で歩きたくなった?」
「いえ。次は、僕から誘える所を見つけたいです」
「それは楽しみだ。食事がおいしい所だと、なお嬉しい」
「それなら、少し時間をください」
町の中心へ目を戻すと、見覚えのある屋根はほとんど隠れていた。その向こうには、新しい外壁が山の裾まで延びている。畑へ続く道にも人がいて、昔なら魔獣を探した辺りを、家族連れが歩いていた。
店から戻ったテオヴァルドは、何も買っていなかった。
「家にある本と同じでした。でも、ここで買えるんですね」
あの本を待って、山の西から来る使者の荷を探したことがある。店の奥では、知らない少年が同じ頁を開いていた。
◇
「今日は、どちらまで?」
夕食の席でミラに尋ねられ、古い東門からの道を説明しかけたが、広場の名が出てこなかった。
「工房の上にあって、本屋が一軒。その先にも家が続いていた」
「あの広場なら、司祭を迎えたいと相談を受けています。祈りのたびにここまで来るのは大変だからと。皆さんで場所も借りたそうです」
「誰も私に気づかなかったよ。三人とも、来たばかりの客だと思われた」
「肩甲を外しておられたからでは?」
「つけていたら、あんなふうに案内してもらえなかったかもね」
ミラの手元には、明日の会議で使う紙が残っていた。引き受けた工房の増築に加え、ローデンとヴァルテンからも教師を求められている。ここで育てた者を送り出せば、今度はアッシュマークで教える人が足りなくなる。
「新しい先生も迎えないとね。教会から来ている人たちにも会いたい。これ以上、ミラの知り合いを皆で取り合うわけにはいかない」
「でしたら、明日の会議のあとに。ご紹介したい方も、まだお待ちです」
あの車は、広場からさらに上へ行くとテオヴァルドが言った。
「次は、終点まで乗ってみませんか」
「行こう。今度は朝から」




