幕間 時の果てまで、迎えに
聖都アシェルローンでは、再臨祭を迎えるたび、新しい鐘を一つ鋳る。
八十年目の再臨祭。その八十の鐘が、海上はるか高く浮かぶ都に鳴り渡っていた。
だが、玉座聖堂の最奥で眠る少年には、その一つも届かない。
幾重にも重なる白金の外壁はゆっくりと角度を変え、朝の光を下層の街路まで送っている。最下層の下には、海面まで支柱も岩も島影もない。最上層の四分の一を大宮殿が占め、その周囲を幾層もの街区が取り巻いている。宮殿の尖塔と回廊は玉座聖堂を包み、外から黒碑の姿を隠していた。
その聖堂の内側では、鐘の音が黒に近い柱と幾層もの回廊を満たし、最奥だけを静けさの中へ残している。はるかな高みから落ちる朝の光の先に、遠い諸国でオブリスクと呼ばれる黒碑がそびえていた。
折り重なる黒い稜線は、根元で背もたれと肘掛けを思わせる形を作り、一人の少年を抱いている。人が玉座を据えたのではない。黒碑に抱かれたその場所を、後から人々が玉座と呼んだ。
少年は十八歳ほどに見えた。白と深い紺を重ねた法衣に細い金の刺繍が浮かび、銀白の髪は肩から光を返さない座面へ流れている。目を閉じてから、八十年が過ぎていた。
白い階段の先で、床は黒碑と同じ色へ変わる。その上では、落ちた銀の塵さえ地へ着かないまま浮かんでいた。誰一人として、最後の段から玉座までのわずかな距離を渡れなかった。
聖堂の大扉が開いた。
柱間に並ぶ純白のオートマタが一斉に長槍を立て、柄の端で石床を打つ。扉脇の衛兵も胸を張り、先頭の一人が声を通した。
「テオヴァルデリオン・アナスタシス・ヴェイル近衛卿、エウクレイドヴァルト・エレオス・ケルン近衛卿、お成り――」
先に入ったテオヴァルドは、十七歳ほどに見えた。近衛の礼装に乱れはなく、右の頬に拭い残した返り血だけが細く乾いている。幼さの残る目には、八十年を待ち続けた者の静けさがあった。
半歩遅れて、黒髪のクレイドが続く。喉を囲む白い環が、黒碑の影の中で淡く光っていた。
祭壇の脇では、イルゼ・ラインが老いた師の椅子を支えていた。ミラが最後に育てた弟子も、今では白髪の司祭だった。毛布に包まれたミラは深く椅子へ身を預け、髪にはもう黒が残っていない。それでも閉じかけた目をまっすぐ玉座へ向けている。
「先生は、どうしてもご自分の目で、と」
テオヴァルドは、玉座から目を離さずに答えた。
「間に合わせます」
イルゼがそっと身を引く。テオヴァルドは階段を上り、いつも膝をついていた最後の段で、今日は立ったまま、その寝顔を見つめた。
テオヴァルドが胸元に掌を重ねると、礼装の下に隠れた白銀の傷跡から光が滲んだ。クレイドの喉を囲む環も、それに応えて明るさを増す。
遠い白砂の果てと海の底で、別の黒碑に白い弧が開いた。二人が何十年もかけて残した旅の跡が距離を越えてつながり、聖堂の天井の向こうで巨大な円を閉じる。
最後に、眠る少年を抱く黒碑へ同じ白い弧が走った。
宙に留まり続けていた銀の塵が、わずかに沈む。地へ着くより先に、また止まった。
テオヴァルドは最後の段から足を下ろした。八十年、何ものも受け入れなかった黒い床が、初めて靴音を返す。
だが、踏み込んだ足から動きが奪われていった。衣の裾は境に取り残され、吸い込んだ息さえ胸の途中で止まりかける。
聖堂を貫く弧が、悲鳴のように軋んだ。いったん結ばれた光がほどけかける。
最後の段の手前で、クレイドは動かなかった。喉を囲む白い環だけが眩しく燃え、ほどける弧を一筋ずつ拾い、巨大な円へ縫い戻していく。
テオヴァルドは振り返らなかった。背後で光が軋むたび、止まりかけた身体を引き剥がすように前へ運んだ。
何十年を費やして開いた道は、立ち止まれば閉じてしまうほど細い。聖堂の音が消え、背後の気配も遠のいていく。その奥には、八十年前と変わらない寝顔だけがあった。
階下で、ミラの指が毛布の上をわずかに動いた。
やがて、あれほど遠かった寝顔が、伸ばした指の向こうにあった。
そこで初めて、テオヴァルドの手がかすかに震えた。
「お待たせしました」
返事はなかった。
黒い座面の前へ膝を落とす。伸ばした手は、眠る頬のそばで一度止まった。
「迎えに来ました。オーレリアン様」
鐘の音はまだ届かない。
代わり、テオヴァルドの掌が、眠る少年の頬を包んだ。
◇
そして物語は、まだ聖都も、八十の鐘もなかった頃へ戻る。




