口をつぐんだ人
患者の女は、医師が近づくと毛布を引き上げた。
その下で膨らんでいた指を、誰も見ないで済むように。男の手から身を引こうとして、脚が寝台へぶつかった。
「この人に、続けてもらっていい?」
オーレリアンが尋ねると、女は答えず、ロザを見た。修道女は寝台の脇へ椅子を寄せ、手を握った。
「ここにいます。終わるまで」
うなずきは、それからだった。
捕らえた男がフォルマを使う。その組み方を、オーレリアンと修道院の術者が見ていた。女の指が戻るほど、こちらの胸には怒りが残った。
医師の腕が必要だから、医師を殴れない。
(助けに入って、これか)
男は一度こちらを見た。何も言わずに目を伏せたのは、杖を握る手に気づいたからかもしれなかった。
◇
夕方には、ロザが食堂を病室に変えていた。
男たちのいた奥の部屋へ戻りたがる者はいない。院長が港へ助けを求め、船にはテオヴァルドたちへの手紙も載せてもらった。帰りが遅れること、戦いになり、エルネリスが肩を切ったことを書いた。
港の兵と術者が着くまで、二人も島に残ることにした。
医師たちを連れてきたのは、船主ヴォスだった。三年前から費用を出し、仕事へ戻れた患者を寄付者たちに見せていたという。
その患者の名は、入院の記録へ何度も戻っていた。
「また具合が悪くなったのだと、聞いていました」
ロザは医師の紹介状を持ってきた。帝国の軍病院が書いたものだった。
捕虜の引き渡しに付き添って関門を越え、こちらへ長く滞在した医師たち。その宿も、島へ渡る船も、ヴォスの商会が手配していた。
エルネリスは書状を読んだあと、オーレリアンを見た。
「知っているところ?」
「この病院は、知らない。ただ、同じ研究をしている場所は見た」
「ヴァルテン?」
うなずくと、彼女は続きを待った。話すうちにロザが席を外し、それでも、話は終わらなかった。
兵士だけではなかったこと。学院が学生の身体まで変えていたこと。責任を追おうとして、皇帝に止められたこと。
クレイドの名は出さなかった。
エルネリスは途中で問い詰めなかった。最後まで聞き、それから、包帯の巻かれた肩をそっと動かした。
「この島は、ずっと前から知ってるの。帰る家がない人も、休んでから行き先を決めていいところだった」
窓の外で、患者を連れた修道士が歩いていた。男は手すりにつかまり、自分の足で一段下りた。
「あなたが見たところの話を、先に聞けていたらと思った。でも、聞いていても、ここで何が起きてるかは分からなかっただろうね」
「私も、この旅で探すつもりはなかった」
「分かってる」
声が少し強かった。彼女は一度口を閉じ、膝の上へ手を戻した。
「ただ、また帝国へ話を戻して、終わりにはしたくない」
皇帝の前で、飲み込んだ言葉を思い出した。
「向こうへ知らせれば、止めろと言われるかもしれない。私の味方からも」
「あなたは、止めたい?」
「……ここまで来て、それは嫌だ」
戦を終えた判断を覆したいのではない。あの場で諦めたことが、そのまま別の場所で続くのを見たくなかった。
エルネリスは、ようやく椅子へ深く座った。
「なら、マティアスにも一緒に話そう。知っている船主のはずだから」
◇
翌朝、港から来た術者へ処置を確かめてもらい、もう一日つき添った。その晩、ロザが祈りの本を持ってきた。
頼んだ一節には、隣の漁村で歌われる別の終わり方も添えてある。こういう時に忘れずに書いてくれたことが、うれしかった。
「あの岬へは、行かれるんですか」
エルネリスがこちらを見た。
「行きたい。……いいかな」
「うん。テオたちも、港で待ってくれるって」
彼女は本を袋へ入れた。肩に掛ける前に受け取ると、今度は素直に渡してくれた。
「私の分も持つなら、帰りの魚は増やしていい?」
「それは自分で持って」




