湯煙
光が欄干を砕き、海へ落ちた。
男を抱えたまま撃ち返すと、医師は階段の壁へ叩きつけられた。エルネリスがその腕を壁へ押さえ、その間に、オーレリアンは患者の背へ手を当てる。
身体を押し広げる力を床へ逃がした。石段が沈み、腕の中の震えがようやく弱まった。
「戻さないでくれ」
こちらを見る目には、まだ怯えがあった。ロザが手を握ると、男は何度もうなずいた。
療養棟で叫び声が上がった。
エルネリスが先に走った。追って扉を開くと、寝台から起きかけた者たちが身をすくめる。階段を下りた奥では、医師が患者の指を押さえていた。
その女の腕には、余分な関節があった。檻の中で身を起こした六本脚の魔獣と、同じ位置に。
「手を離すな。その人を支えるフォルマだけは、続けろ」
杖を向けられた医師が、慌てて掌を戻した。女の指が、ゆっくり元の太さへ戻っていく。
「ロルフ! こっちへ来てくれ!」
奥にいた男が、剣ではなく上着を外した。医師たちへ船の支度を命じ、寝台の間を歩いてくる。
右腕の肉が盛り上がり、魔獣と同じ板が肩までせり出した。エルネリスは、笑みを浮かべたその顔を見ていた。
「あなたは、自分で望んだの?」
「ああ。治してくれとは言ってない」
踏み込みが石床を割った。
拳をフォルマで捉え、力を足元へ落とす。男の両足が沈んだ。だが次の瞬間、右腕は人の形へ戻り、押さえていた力ごと消えた。
横へ跳んだ身体から、別の腕が襲った。
オルビスが軋む。衝撃を逸らした壁に亀裂が走り、梁が寝台の上へ落ちかけた。
その下へ、エルネリスの光が入った。ロザに呼ばれた修道士が、患者を抱えて外へ運んでいく。
「海側へ。あの壁なら壊していい」
オーレリアンは踏み込んだ。銀光が拳を呑み、男ごと戸口を破る。岩を削った作業場へ飛び出すと、背後の寝台と距離が取れた。
ロルフは倒れなかった。腕の板を戻し、膨らんだ脚で崖を蹴った。頭上から落ちる影へ光を放ったが、もうそこにはいない。
入口へ走る気配に、杖を返す。
「エルネリス!」
せり上げた石へ拳が突き刺さった。彼女のオルビスが破片を弾く。その肩口で布が裂け、血がにじんだ。
足が止まりかけた。
「私は大丈夫。そっちを!」
その声に従ったのは、ほとんど反射だった。迫る拳を受け、光を絞る。腕を覆う板が一枚ずつ剥がれた。
「この身体を手に入れるのに、何年かけたと思ってる」
男は歯を食いしばり、腕を元へ戻した。代わりに脚が膨らむ。その間だけ、腰が落ちた。
(今の隙間だ)
エルネリスも見ていた。入口から離れず、作業場の床へ手を向ける。
「もう一度。跳ばせない」
ロルフの左右へ光を撃った。正面へ出てきた拳を受け止め、砕ける板へさらに力を重ねる。脚へ移ろうとした時、踏み切るはずの床が傾いた。
爪が空を掻いた。
銀光が胸を貫き、背後の崖へ穴を穿った。男は人の手を伸ばし、何もつかめずに倒れた。
◇
エルネリスの袖は、傷へ貼りついていた。
「少し痛むよ」
「うん。……分かってる」
布を外す間、彼女はオーレリアンの腕を握っていた。握り返しそうになる手を抑え、傷だけを見る。
浅い。出血も止められる。
そう確かめてから、ようやく呼吸が戻った。
「ごめん。さっき、君から目を離した」
「私も、前に出たから」
それ以上の言葉は続かなかった。指はまだ離れない。
下の広間では、患者の女が医師を呼んでいた。逃げようとした男を、修道士が寝台へ連れ戻す。
エルネリスはその姿を見てから、オーレリアンへ目を戻した。
「あの人たちを、また頼らないといけないんだね」




