幕の外
舞台のオーレリアンには、立派な髭があった。
「ローデン子爵よ。余が参ったからには、もはや逃げ場はない!」
大剣を引きずる役者が、その後ろへ立つ。鎧の肩には飾りが山ほどついていて、顔はほとんど見えなかった。
隣のテオヴァルドが、口を開けたまま舞台を見ている。
「あれ、僕ですか」
「そうみたいだね」
「剣を、引きずってます」
「私の髭も、どうにかしてほしい」
向こうでミラが顔を伏せた。肩は震えている。笑っていいと言う前に、客席のあちこちから笑い声が上がった。
西から戻って二か月。今日は議事堂へ集まった各地の代表を見送ったあと、四人で芝居を見に来た。
聖職者を集めた上院には、教会を追われてこの町へ来た者の席もある。下院にはアッシュマークで暮らす者と、ローデン、ヴァルテンの代表が座った。
初めて集まった時は、挨拶だけで一日が過ぎた。今は給金や税を決める席になり、今日も話が長引いたが、広場は議事堂の人々を待たずに芝居を始めた。
オーレリアンも、会議の続きを明日へ送った。
「よろしいんですか。皆さん、まだ残っておられますよ」
「私がいると、帰れない顔をする人がいた。先に逃げておこう」
ミラにそう言って、クレイドも誘った。彼は少し迷ってから、一緒に家を出た。
今、そのクレイドが笑っている。
舞台の男爵が子爵を足元へ転がし、わざとらしく顎を上げたところだった。
「そこは、似てます」
「君、見てないでしょう」
「見なくても、分かります」
テオヴァルドまでうなずいた。心外だったが、否定すると、芝居より面白がられそうだった。
◇
幕間になると、舞台裏から役者が飛んできた。
「お越しとは存じませんで。すぐに、その、直させます」
「髭を?」
「いえ、全部を」
「客が笑っているのに、今から何を変える。続けてくれ」
何度も頭を下げる男へ、ミラが飲み物を渡した。彼は伯爵より、司祭の彼女を見てようやく息をついた。
「次は、兵士たちの帰還です。そちらは、皆さんに伺って書きました」
「なら、私の髭より正確だろうね」
男が初めて笑った。テオヴァルドは、鎧の中を見せてもらえないかと尋ね、嬉々としてついていった。
クレイドも立ちかけ、途中で座り直した。
「一緒に見てきたら」
「……ルーカスがいたら、絶対に真似したと思って」
名前は、舞台のざわめきに紛れた。彼は自分の手を見ていた。
「あの髭の話、一年くらい言うんです。剣を持つたびに」
「それは困るな」
ほかに言葉が浮かばなかった。ルーカスも喜んだはずだ、とは言いたくなかった。
ミラは飲み物を彼の膝へ置き、自分も舞台を向いた。三人の間で、しばらく椀の湯気だけが動いた。
「帰りますか」と彼女が小さく聞いた。
クレイドは首を振った。
「続き、見たいです」
◇
帰還の場面には、髭の男爵は出てこなかった。
兵が家を間違えて叩き、妻に叱られる。子どもが父を怖がり、兜を外すと泣きながら抱きつく。客席から、その話を知っている、という声が飛んだ。
舞台へ戻る直前、役者がこちらを見た。もう許しを乞う顔ではなかった。
拍手に混じって、テオヴァルドが両手を叩く。小道具の大剣は木でできていたと、声を弾ませて教えてくれた。
「重そうに見せるために、引きずってたんです」
「君も見習う? 少しは苦労しているように」
「そうしたら、手伝いに来るでしょう」
返す言葉がなくなった。ミラにまで笑われ、隣を見ると、クレイドも顔を上げていた。
次の演目は、西の昔話だという。
立ち上がりかけたテオヴァルドが、すぐに座り直した。




