道連れ
ネイアの名前を「エルネリス」に変えました。以前の登場箇所も修正済みです。名前以外の設定は変わっていません!
「その道は、地図にないよ」
「だから、こっちから見せたかったの」
山裾の道を登るうち、港は木々の下へ遠ざかっていた。島だと思っていた土地が山裾へつながり、ひと続きに見えた屋根は尾根に分かれている。振り返ると、入り江の端に造船所が見えた。
エルネリスが選んだ山道は、崖で途切れていた。谷の向こうには家々が見える。川沿いの街道から来れば、夕方には着ける集落だという。
足元の石に彫られたオルビスだけが、こちらから渡る者を待っていた。
「昔は二人で使ったの。向こう岸にも一人いて、互いに受け止める形を作る。今日は、私が先に渡るね」
光を踏むように、彼女が谷へ足を出した。対岸に着いて手を上げると、宙に散っていた石が浮かび、足場になった。
テオヴァルドは底を覗き、オーレリアンを見た。
「僕が先へ行きますか」
「一緒に。君が落ちたら、私も追うんだから」
笑いかけた顔が、少し困った顔へ変わった。冗談で済まない相手だということは、お互いによく知っていた。
石へ乗ると、足の下を雲が通った。谷を渡る風に帽子を押さえ、次へ踏み出す。こちらの力を受けた足場が、予想より軽く進んだ。
向こうのエルネリスが指先を動かしていた。彼女のフォルマも、こちらに合わせて形を変えている。
「そこの石、もう支えなくても――」
「あとで! 話すなら、渡ってから」
エルネリスが吹き出した。オーレリアンも口を閉じたが、残りの道はずっと足元が気になった。
◇
畑に囲まれた村の広場に、大きな魚が吊られていた。
海から担いで来たのかと尋ねると、冬を越すために皆で買ったものだという。子どもたちは尾の下で背を比べ、大人たちは、どの部分を誰の家へ運ぶか言い合っていた。
エルネリスは名前を呼ばれる前に、包丁を持った女へ手を振った。座らされ、皿を渡されるまでが早い。
「客なら先に言っておくれ」
「私も、昨日誘ったから」
「またそれだ。足りなかったら、あんたの分を減らすよ」
同じ言葉を何度も交わしたような調子だった。オーレリアンも皿を受け、テオヴァルドと並んで木箱へ座った。
目の輪が薄い者も、エルネリスと同じように二重に見える者もいる。魚を分けている間、誰もその違いには触れなかった。
「冬のために買ったものを、僕たちがいただいてもいいのでしょうか」
テオヴァルドが骨を避けながら尋ねた。
「最初の一尾は、その日にいる人で分けるの。山のものを海へ運んだ時は、向こうで食べさせてもらうしね」
そう言って自分の分まで渡す彼女へ、包丁の女が笑った。さっき台所でも食べていった、と聞き、テオヴァルドもようやく皿を差し出した。
食後、エルネリスの本を見せてもらった。本文より余白の方がよく埋まっている。
「余白に誰かが反論を書いてると、ついそっちを読んじゃう。『違う』とだけ書いてあるのは困るけど。理由を聞きに行きたくなるから」
「著者より、書き込んだ人に?」
「両方。著者の言い分だけは、こんなに長く残ってるのに、その人のは二文字だよ。私が納得できるまで書いてほしかった」
「それなら、本がもう一冊要るね」
「それは、ぜひ読みたいな」
冗談のつもりだったのに、エルネリスは本気でうれしそうだった。港へ戻ったら、この本を貸してくれるという。
◇
夜になっても、エルネリスは広場へ戻ろうとしなかった。泊めてもらった家の屋根に座り、村の灯を見下ろしている。
「下で、探してたよ。昔の話をしてほしいって」
「聞いたことのある話ばかり、せがまれるから。今日はあなたの話が聞きたい」
オーレリアンは隣へ座った。瓦の代わりに石を並べた屋根は、まだ昼の熱を持っていた。
「あなた、領地を持っていなかったら、何をしてた?」
考えたことのない問いだった。追放されなければ、ではない。初めから、誰の領主でもなかったら。
「フォルマの本を書いてみたい。山を越えただけで、昨日まで出来たことが出来なくなるでしょう。土地が違うから、とだけ書いた本は多いけど、私はその先が知りたい。何が変わって、何が同じままなのか」
「私は、使えなくなったら、その土地の人に教わってた。あなたなら、前の場所へ戻って調べるんだね」
「たぶん、何度も。前より分からなくなって帰ることもあると思う」
「それなら私も行きたい。違うやり方をいくつも覚えたけど、どうして両方うまくいくのか、聞ける相手はあまりいなかったから」
階下から、テオヴァルドの「先に休みますよ」という声がした。
オーレリアンは返事をして、隣を見た。ここで初めて、本当にそんな旅へ出たくなった。帰ればまた、武具も建材も求められる。
「領地を持ってしまったから、書けないの?」
「……いつも、ほかを先にしてる」
「帰りたくなくなるな。明日は、あの谷で少し遊んでいこうよ。あなたが組んだ足場も、渡ってみたい」
彼女につられて、オーレリアンも笑った。
「行こう。あの足場、私なら別の組み方をする」




