↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歴代領主の平均生存年数三年の追放先を聖都にしてみた  作者: Lemonade
奇跡と騎士と産業革命の始まり
69/109

海を仰ぐ

 海が、帆柱を越えてせり上がった。


 船台の前から立ち上がる水が、沖の島を隠していく。見上げる間にも、その縁は高くなった。海鳥が波頭をかすめ、帆柱の影が岸壁から消える。オーレリアンの足元まで海の影に沈んだ。


 波の頂が、こちらへ傾いた。


 落ちてくると思った水は、頭上を越えて伸びていった。向こうの海へ弧を描き、船台をまたぐ天蓋になる。両端から滝が落ち、岸壁が轟音に震えた。


 空のあったところを、魚が泳いでいた。


 腹を返した群れに陽が当たる。無数の鱗がひらめき、透けた波をくぐる光が船腹を走った。その下で、女は片手を上げている。


 外套が風に流され、振り向いた頬を水の影が横切った。両目の虹彩に、淡い輪が二重に浮かんでいた。


「あなたも、やってみる?」


 すぐには答えられなかった。船台の両脇では、組になったフォルマ使いたちが、岸に刻まれたオルビスへ力を通している。女がそれぞれに応じるたび、水はつながり、船の上を渡っていく。


「上げる方はこちらで持つから、向こうへ返してほしいの」


 杖先にオルビスを開き、滝の裾へ力をかけた。落ちる水が沖へ広がると、彼女も腕を動かした。


 頭上の海が傾いた。


 太陽が波に砕かれ、船の帆にも人々の顔にも光が散る。流れを速めても、彼女は慌てなかった。こちらを見て、もっと、と手を上げる。


 (もう少し。ここまで、行けるか)


 杖を進めた。波が駆け上がり、飛沫が空へ散った。


 降ってくる雫の一つずつが陽を弾いた。テオヴァルドの顔にも雨がかかり、見上げたままの口元が笑っている。オーレリアンも頬に水を感じたが、拭う手が惜しかった。


 女が笑い返した。


 やがて彼女が腕を下ろすと、両脇のフォルマ使いたちも波を緩めた。オーレリアンは最後の流れを海へ返した。


 頭上の青が割れ、陽が差した。水の天蓋は沖へ倒れ込み、しぶきの幕となって入り江を隠す。風に押されてその幕が退くと、船も島も、元の場所にあった。


      ◇


「エルネリス。名乗るのを忘れてた」


 海鳴りが引くと、歓声が聞こえてきた。船は何事もなかったように船台へ収まり、職人たちはもう腹の下を覗いている。


「オーレリアン・ヴェイル。……知ってた?」


「知ってたよ。でも、あなたは私を知らないものね」


 差し出された手を握った。濡れていたのはお互いで、どちらも謝らなかった。


「あれを毎日?」


「船を上げるだけなら、もっと簡単に済むよ。あなたが面白そうに見てたから、少し余計なことをした」


「私のため?」


「うん。楽しかった?」


 そんなことをまっすぐ尋ねられたのは、いつ以来だろう。うなずくと、彼女は満足そうに髪をかき上げた。


 岸壁から手を振る者へ振り返し、若いフォルマ使いには、無理をした腕を休ませるよう言う。相手も遠慮なく、次は先に教えてくれと笑った。


 オーレリアンは、もう一度海を見た。


 初めてフォルマを使いたいと思った時も、こういうものを見たかったのかもしれない。何を壊せるか、どれだけ守れるかと考える前に。


      ◇


 翌日の昼には、会談で決めることがなくなっていた。


 品を試し、商人同士が値を決める。工房を訪ねたい者には、両国で認めた範囲の滞在を許す。それ以上を今日決める必要はないと、マティアスも言った。


「もう少し、お引き留めしたかったのですが」


「私なら、山へ帰るところだよ」


 エルネリスが窓から声をかけてきた。いつから聞いていたのか、片手に旅の袋を持っている。


「三日あれば、町とは違うところを見せられる。二人も来ない?」


 隣を見ると、テオヴァルドは返事を待つより先に笑った。


 マティアスが、山道の通行も招待の範囲に加えられると請け合う。エレンに確認を頼みながら、自分も行きたかったとこぼした。


「私は、明日も評議会です。皆さんが海を持ち上げている間に、積み残した話がありまして」


「君を残して遊びに行くのは、少し気が引けるね」


「では、うまくいった話だけ聞かせてください。失敗の話は、こちらで足ります」


 エルネリスは笑って、港を見下ろした。


「この国を好きになってもらうのに、会議ばかりじゃもったいないよ」


 彼女の視線の先に、昨日の波より低い岩場が並んでいた。


「あそこから、帝国の人たちを上げたこともあるの。今の岸壁ができる前。小舟が一艘ずつしか入れなくてね」


 古い戦記にあった最初の上陸地点だった。聞き返そうとすると、彼女は袋の紐を肩へ掛け直した。


「明日は、寝坊しないでね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。