余燼
ルーカスの頭を抱き直すと、クレイドはその髪についた砂を払った。指の黒を隠すように袖を引き、もう一度、顔へ触れる。
「ルーカスも……」
その先を、オーレリアンに言わせなかった。首を振り、友の制服へ顔を伏せる。息を吸うたびに背が震えた。
こちらも身体を起こせずにいた。テオヴァルドに肩を貸してもらい、崩れた柱へもたれる。まだ、クレイドの記憶にあった炎が瞼の裏に残っていた。
庭で、大剣が石を打った。
倒れた怪物の脚が、それでも広間へ進もうとする。学院長が死んでも、地下からの命令は続いていた。命じる相手を失ったフォルマが、同じ指示を送り続けている。
手を上げようとして、肘までしか動かなかった。
「杖を、ここへ」
テオヴァルドが握らせてくれた。地下を探り、身体を支える働きには触れず、命令を送る箇所だけを断つ。
庭の爪音が乱れた。起き上がろうとする者も、そのまま伏せる者もいた。人の言葉に応じた者から、バスティオンが引き離していく。
すべてが止まったわけではない。襲いかかる影へ、大剣が振り下ろされた。
クレイドは顔を上げなかった。
◇
ヴァルテンが陥ちたと聞いて、人々が最初に尋ねたのは、誰に降れば家へ帰れるかということだった。
降伏を受ける広場には、武器を持たない者の方が多かった。学院の制服、店の前掛け、片方だけの靴。軍を退けても、彼らの帰る場所までは戻らなかった。
「私の兵に従って、城外へ。食べ物は用意してある。家族を捜す者は、向こうで名を知らせてほしい」
同じ説明を何度もした。姿の変わった者を連れてきた家族には、列を離れないよう伝えた。元に戻せるかと聞かれるたび、診せてほしいとしか答えられなかった。
担架の一つに、ルーカスがいた。
運ぶのを代わろうとした兵へ、クレイドが首を振った。もう一方をテオヴァルドが持ち、二人で坂を下っていった。
その背を見送ったところで、東の砲が鳴った。近づいていた増援が、野に残ったオートマタの砲列へ撃ち返されている。
歓声は上がらなかった。広場の人々は身をすくめ、砲声が遠のくと、また家族の名を呼び始めた。
◇
数日後、エーレンフェルト伯爵の使者は、勝利への祝辞より長い敗報を持ってきた。
レオポルト大公は退いている。救うはずだった要塞を失い、そこへ向かっていた軍まで道を塞がれた。皇子の軍は、奪った土地に兵を置きながらも、まだ次へ出られるという。
「伯爵は、閣下のお力添えを願っております。ヴァルテンをこれほど早く落とされた軍ならば、と」
卓の向こうで、テオヴァルドがこちらを見た。
窓の下には帰還の荷が積まれていた。兵たちは命じられる前に準備していたのだ。オーレリアンも、それを止めていなかった。
「どこへ向かえと」
使者が地図を示す。最初の救援先へ着く前に、次の町も囲まれるかもしれない距離だった。
ここを任せる軍まで、伯爵は用意できていなかった。
「……ヴァルテンを取れば、ひと区切りつくと思っていたのですが」
「皆様、そうお考えでした」
言い訳には聞こえなかった。使者の声にも、行軍で潰れたようなかすれがある。
軍を分ければ出られる。テオを連れ、足の速い者だけで走れば、一つの包囲には間に合うだろう。その後ろで、この町へまた兵が来る。
(留守を任せた連中が死んで、それで間に合ったと言えるか)
地図から手を離した。
「救援には出ません。ヴァルテンを保持します」
使者は頭を下げかけたが、続きを待って顔を上げた。
「伯爵には、この戦果を停戦の交渉に使っていただきたい。皇子殿下はほかで勝っても、ここを放っておけない。私の軍が出れば、戦場と領地を結ぶ道を断てます」
「取り返しに来られれば、閣下がその軍を受けることになります」
「承知しています。ただ、向こうもただでは取り返せない。それを分かった上で、今ある土地と捕虜をどう分けるか、話していただく」
失った町を諦めることになる、と使者は言った。大公へ伝えに行く自分の身を案じているのではなさそうだった。
「取り戻すまで続ければ、もっと失う。私がそう申し上げたと、お伝えください」
使者が辞しても、テオヴァルドは窓辺に残った。下では兵たちが、荷のそばで昼の食事を取っている。
「もう少し、かかるね」
「はい」
帰ろう、と言いかけた口を閉じた。二人で帰るだけなら、今日にでもできた。
オーレリアンは窓を開け、下にいる兵を呼んだ。
「荷を下ろして。皆に話がある」




