崩落
亀裂は壁を抜け、通りの端まで走った。
治療棟を載せた街路が斜面から剥がれ、下の区画へ滑り出す。壁が裂け、向かいの屋根が窓の高さまでせり上がった。
ニコはルーカスの襟をつかんだ。二人のいた場所を寝台が横切り、そのまま壁の外へ消える。その向こうから悲鳴が突き上げてきた。
「外へ!」
エーベル先生のフォルマが傾いた天井を押し返した。その下を、患者を抱えた学生たちが走り抜ける。
外壁は崩れ、中庭の半分が下の区画へ落ちていた。斜面の一段が割れ、家々が通りを埋めている。火の移る屋根の間を、軍服の切れ端を残した怪物たちが跳んでいった。
城壁の外では戦いが続いているのに、守備兵は外へ背を向け、町へ武器を向けていた。逃げる人々は、坂の上下から迫る怪物に挟まれている。
坂の途中で石壁が弾けた。飛び出した一体が人の列へ降りる前に、長杖の衝撃が横腹を打った。怪物は通りを越え、崩れた家へ突っ込む。
「止まるな! 下の広場まで走れ!」
クラウス・リヒターが下級生たちを背に立っていた。制服は土にまみれ、長杖も半ばから折れている。それでも声は、試験場でニコを見下ろした時よりよく通った。
「中央講堂へ集まれと命令が出ている」とルーカスが言った。
「そこへ向かった道が落ちた。命令の方から迎えに来てもらえ」
下級生を先に走らせ、クラウスは列の最後についた。
学院の中央棟の上空に、外の戦場からも見えるほど巨大なオルビスが開いた。
中心に光が立ち、円が閉じる。
そこから落ちた光が町を貫き、石畳の下を走った。
逃げていた負傷兵が倒れた。屋根の守備兵も身体を折り、学生の列では上級生が続けて膝をついた。
クラウスの長杖が石を打った。右腕を押さえた指の下で肩が膨れ、腕の形が崩れていく。クラウスは隣の学生を突き飛ばし、列から離れた。
「助けて」
ニコが手を伸ばすより早く、その喉から獣の声が漏れた。
変形した腕が地面を打ち、クラウスが学生たちへ跳んだ。ニコは正面から受け止め、光を帯びた剣で爪を押し返す。二人の足元で石畳が割れた。
肩から開いた顎が、ニコの頭へ食らいつく。
身を沈めてかわし、そのまま懐へ入った。剣がクラウスの胸を貫く。
顔だけは人のまま残り、クラウスは間近のニコを見つめた。唇だけが動き、身体から力が抜ける。
剣を抜くと、身体は崩れた街路へ落ちていった。
ニコは振り返らず、学生たちを追った。
坂の上では、教員たちが人を選び、中央講堂へ上げていた。エーベル先生は患者たちを連れ、その列を横切る。
「先生?」
「あれは避難じゃない。連れていく相手を、最初から決めている」
返事はそれきりだった。先生は患者たちを連れ、坂を下った。
中央棟の上に次のオルビスが開き、逃げる人々の頭上で閉じ始めた。
地面へ落ちた光が、通りの下で爆ぜた。学院へ続く橋が中央から折れ、渡っていた学生たちが投げ出される。後ろの列も、崩れる橋に取り残された。
エーベル先生のフォルマが橋の下から石柱を突き上げ、落ちかけた橋を受け止めた。
「渡れ!」
学生たちは傾いた橋を這った。先生の腕が震え、柱が砕けるたび、橋はさらに沈んでいく。
ルーカスもフォルマを開いた。
オルビスが歪み、支えるはずの石を内側から割った。
「解け、ルーカス!」
ルーカスはフォルマを解いたが、ひびは橋の端まで走った。
最後の学生を向こうへ押し出し、ニコもひびを飛び越えた。
「先生も!」
ニコが振り返ったのは、一度だけだった。
橋の中央で、エーベル先生はまだ両腕を上げていた。建物を載せた街路が頭上から崩れ落ちる。人の姿は、あまりにも小さかった。
石柱が砕けた。人影は石の間で小さく折れ、橋ごと呑まれた。
轟音が引くと、瓦礫の向こうに傷一つない中央棟だけが残っていた。その足元では、地下への扉だけが開いていた。




