呼び戻す声
休んでいいと言っても、テオヴァルドは横にならなかった。
洞の入口が崩れてから、皆は一度も明かりの消える場所を通っていない。壁を流れる光は冷たく、いつまで待っても朝の色には変わらない。眠った子どもを膝へ載せ、大人たちも一人ずつ目を閉じた。
その中で、少年だけが物音のたびに顔を上げる。
「前の隊では、誰かが眠る時、僕は起こされる側でした」
「もう、その隊はいないんだろう」
「はい。だから……何をしていればいいか、分からなくて」
オーレリアンは隣に座った。包帯から出ている指が膝を握り、力を抜こうとして震えた。
「手を見せて。治しきるのは無理でも、少し楽にはできる」
「痛みはありません」
掌をかざしただけで、少年の肩が強張った。小さなオルビスを開き、傷を支える。皮膚を繕うところまでは届かない。生きた身体が治ろうとする力を、助けるだけだ。
「……本当は、かなり痛いです」
「それなら、最初からそう言ってほしい」
「言うと、呼ばれなくなるんです」
膝からほどけた手を見つめ、テオヴァルドは続けた。
「僕はたくさん撃てました。でも、ほかの人より早く壊れるから。次の場所まで連れていってもらえるように、まだ撃てると……いつも言っていました」
魔獣の巣へ正規軍より先に入る回収班。全滅したのは二か月前で、入口に倒れていた彼を、ここにいる老婆が拾ったという。
オーレリアンは、眠っている老婆を見た。雨の中で少年の名を呼び、洞の入口では彼に助けられた人だった。
「軍へ入る前は?」
「養育院です。両親が死んでから、そこへ。冬に暖房が止まって、僕が火を灯したら、軍務省の人が来ました。僕が行けば、ほかの子には粥も暖房も戻すと」
持たされた水袋の紐に、古い文字が残っていた。テオヴァルデリオン・ヴェイル。使い捨てにするつもりの持ち物にまで、名はきちんと書かれている。
(本人が望んだ、と書けるわけだ)
もう一度、包帯へ手を当てた。テオヴァルドは痛みを隠さず、唇を噛んだ。
「ここで、君の食事を取り上げるつもりはない。撃てない日も、怪我が治ってからも」
「……それは、何かお役に立てれば、でしょうか」
「今は何も交換条件を考えなくていい。私も、座ってるだけだよ」
しばらくして、少年の背が壁についた。
離れたところで、ミラが子どもを寝かせようとしていた。続きの分からなくなった昔話を、別の子どもが直している。テオヴァルドの口元が緩んだ。
「父も、その話をしてくれました。最後は、王様より弟の方が賢くて。……でも、僕は、王様に仕えた騎士の方が好きでした」
そこで言葉が途切れた。包帯の指を隠しかけ、やめる。
「オーレリアン様のところにも、騎士は要りますか」
すぐに答えれば、この子はまた何かを差し出そうとする。オーレリアンは、傷を覆う布の端を戻した。
「地上へ帰れたら、改めて聞かせて。どう仕えたいかも、君から」
テオヴァルドは小さくうなずいた。膝へ寄せていた足が、少し伸びる。
「それと、神像の前で呼んでくれて、助かった。私がまた動かなくなったら、腕を引いて。返事がなければ、名前を呼んでほしい」
「聞こえていたのですね」
「君の声はね」
少年は壁へ頭を預けた。まもなく、話の続きを聞いているのか眠ったのか、分からなくなった。
◇
奥へ進む途中で、列から男が一人外れた。
広い通路には灯りが続いていたが、ノエは狭い割れ目へ皆を導いている。男だけが逆へ歩く。オーレリアンが腕をつかむと、驚いたように顔を上げた。
「母が呼んでいるんです」
「どこに?」
「すぐ、そこに。……でも、母は」
死んだ、と言ったきり黙り込んだ。
通路の先から、女の笑い声がした。隣で子どもも顔を上げる。ミラはその手を握り、割れ目へ入った。後ろの者たちも手をつなぎ、声の届く道を避けて進んだ。
(聞こえている声は、一人ずつ違うのか)
考えた途端、曲がり角の先に思考が届いた。狭い足場を通す順番も、担架がつかえる場所も、同時に分かる。なのに、次の一歩が出ない。
右腕が引かれた。
「オーレリアン様」
テオヴァルドの顔がそばにあった。返事をすると、腕をつかむ力だけが緩んだ。
その手を借りて、角を曲がる。
前方で、ノエが立ち止まっていた。鈴を握り締め、通路の先を見ている。
白い骨で縁取られたような四本足が、床に伏していた。灯りを受けても、内側は黒いままだった。
一歩進んだはずなのに、足音がしない。
次に見た時には、三歩ぶん近かった。




