逃げ道は、戻らぬ穴の中
鐘柱が折れ、礼拝堂の壁へ倒れかかった。
屋根を支える梁が軋む。オーレリアンは立とうとしたが、杖を握った右腕にまだ力が戻らなかった。
「下へ。神像の後ろに、石段があります!」
子どもを抱いた少女が叫んだ。さっきまで配給を待っていた人々が、穀物の袋を退け始める。
見張りをまとめるブラッカが、折れた飾りの古兜を脱ぎ、神像の台座へ肩を入れた。男たちが続き、石が床を擦る。開いた隙間から灯りが漏れた。
「戻らぬ穴だぞ」
手伝っていた男が、台座から離れた。
「奥へ行った奴がどうなったか、知ってるだろう。何年も帰らずに、昨日入ったような顔で――」
外で角が振られた。梁の端が壁から抜け、男は言葉を呑んだ。
「子どもと負傷者を先に。立てる者は、そばの者を支えよ」
命じると、人々の顔がこちらへ向いた。オーレリアンは杖を支えに立ち、開いた石段を示した。
鈴を握る少女――ノエが、最初の子どもの手を取った。揺れた鈴から音はしない。
「鳴る方へ行っちゃだめ」
列が祭壇の脇を下りていく。桶も食料も運べる分だけ抱えられ、木箱は途中で捨てられた。ギャロンの姿はもう見当たらない。
テオヴァルドは老婆を支えていた。雨の中で彼の名を呼んだ人だ。石段の手前でその膝が折れた時、壁の穴から一匹のアッシュフェンが飛び込んできた。
少年の左手に盾が開く。牙を受けて砕けたが、その間にブラッカが老婆を引き寄せた。オーレリアンは迫る身体を衝撃で押し戻し、テオヴァルドの肩を石段へ押した。
「下りろ!」
頭上で梁が折れた。
背を押す風とともに石段を転がり、冷たい床へ手をつく。神像が傾き、その向こうに角が見えた。石と梁が一度に落ちてきて、雨の明かりを塞いだ。
音が止んでからも、しばらく誰も動かなかった。
石段は途中から消えていた。ブラッカが両手で押しても、石は動かず、隙間から砂がこぼれてくる。オーレリアンはその腕を止めた。
外に残した荷より、押し潰された屋根より先に、子どもたちの顔を見た。泣く力をなくした子が、母親の服を噛んでいる。
◇
食料を配り始めたのは、礼拝堂で子どもを抱いていた少女だった。
石の上へ布を敷き、運び込んだ乾パンを割る。ギャロンの部下が手を出しかけると、彼女は袋を引き寄せた。
「子どもの分が先です」
男はオーレリアンを見た。杖を下ろさずに見返すと、黙って腰を下ろした。
次の椀が前へ出た。
「君の分も抜かないで」
「後でいただきます。まだ何も食べていない子がいますから」
「私も後でいい。……名前を聞いていなかったね」
「ミラ・セーブルです。男爵様こそ、何も召し上がっていないでしょう」
乾パンを押し戻され、今度は受け取った。こちらも名を告げてかじると、ミラはやっと次の人へ向いた。
乾いた欠片を呑み込むのに手間取っていると、水桶が隣へ置かれた。
テオヴァルドだった。包帯の巻かれた右手を胸へ寄せ、左手だけで運んできたらしい。
「撃つ以外のことも、覚えたいです」
「助かるよ。私にも一杯、もらえる?」
差し出された椀を受け取り、乾パンを水で流し込んだ。その間にも、少年はほかの者へ水を配っていた。
老婆に手を引かれ、ようやくその隣へ座った。添え木が外れていた。ミラが乾いた布を差し出し、老婆は慣れた手で巻き直していく。
荷から持ち出した領地図を開いても、地下の道は載っていなかった。指でたどれるのは、地上の道と水路だけだ。
その水路も、来る途中で見た時には泥に埋まっていた。掘り直せば、家へ入る水を外へ流せる。着いて最初に考えた仕事が、もう遠い。
「上には、まだ大勢残っています」
ミラは図面の外れにある村々を指した。
「ここにいるのは、礼拝堂の近くにいた人だけです。葦原の向こうにも家があります。あの大きな魔獣が、そちらへ行けば……」
紙の上なら、歩いて助けに行ける距離だった。オーレリアンは図面を畳み、懐へ戻した。
来た方へ振り返る。崩れた石段の下で、ブラッカたちがまた石を動かそうとしていた。持ち上がった一つの上へ、さらに大きな石が落ちる。
「そこは、もう触るな」
ノエが立ち上がった。鈴を胸へ抱え、奥の通路を見ている。灯りは途切れず、下ってきた石段より先まで続いていた。
オーレリアンは杖を取り、立ち上がる。テオヴァルドも続いた。
「ここには留まれぬ。奥へ進む」




