夢に残る手応え
背中に、冷たい金属が張りついていた。
白い天井が揺れている。肩と腰を革帯が締め、背骨の両脇へ金具が押し当てられていく。
「人の形には戻っています。ただ、魔獣とのつながりは切れていません」
声の方へ顔を向けても、光しか見えない。
「それでも、ここまで戻ったのはこの子だけだ」
瞬き一つの間に革帯が消え、ニコは身体を起こしていた。手をついた金属が、指の形に窪んだ。
「フォルマを使え」
フォルマを使おうとした。掌の先に現れた光は、形を結ぶ前にほどけた。もう一度試しても同じだった。
剣が差し出された。柄を握った時だけ、光は刃に沿って留まった。手を離すと消えた。
*
気が戻れば、ニコは裸足で廊下に立っていた。背中に金具の冷たさだけが残り、正面には扉がある。
「開けて。戻れたんだろ。だったら、ここを開けて」
「開けるな。あの中にいるのは、もう人ではない」
「まだ、ここにいる。聞こえてるだろ」
扉の前に立つ男は、片手で掛け金を押さえ、もう一方の手で剣を半ばまで抜いた。
光が、視界を横切った。
気づけば、男は扉を背に崩れ、ニコの右手には血に濡れた剣があった。振った記憶はないのに、肉を断った手応えだけが腕の奥に残っていた。
掛け金に残った死者の指を、ニコは一本ずつ外した。最後の一本で手が止まり、それもほどいて掛け金を上げた。
扉は内側から開いた。最初に出てきた者は人の顔をしていたが、長い両腕を床につけて身体を支えていた。ニコを見ると、笑った。
「本当に戻れたんだな」
その後ろから、背の曲がった者や、片脚だけが膨れた者たちが駆け抜けていく。外へ出られたと喜ぶ声は、どれも人のものだった。走り去った先から、間もなく悲鳴が続けて上がった。
*
止まれ、と何度も身体に命じた。左脚で踏みとどまろうとするたび、右脚がその力ごと奪って前へ跳ぶ。息を吸うたび、人の胸に遅れて右側が膨らみ、その力で身体はまた前へ押し出された。
正面で盾がこちらを向いた。弓兵が膝をつき、その後ろで術者たちがオルビスを開く。左手を上げても、誰一人として杖を下ろさない。
違う。襲いたいんじゃない。そう伝えようと口を開いたが、喉から出たのは潰れた息だけだった。
(撃たないでくれ)
矢が胸へ入った。痛いはずなのに、それは身体の奥で起きた遠い出来事のようだった。胸に矢が残る違和感と、膝が折れてようやく止まれた安堵だけが、妙にはっきりしていた。これで分かってもらえる。
それでも射撃は止まらなかった。光に背を焼かれ、右腕の感覚が消える。伏せていても、正面の杖は下がらない。
左手だけが動いた。まだ生きていると伝えたくて、土をつかんだ指を持ち上げようとした。
次の光が落ちた。
頭の奥を熱が走った。軍列も野も、開けた扉も、走り去った者たちも白く焼けていく。その白さの中で、右手だけが血に濡れた剣を握っていた。
◇
右手は、まだ血に濡れていた。
目を開けると血は消え、握り潰された鉄枠だけが掌に食い込んでいた。
「まだあの怖い夢を見たか」
ルーカスの声で、ようやく指から力が抜けた。
それでも、剣を振った感触だけは腕に残っていた。
「……夢じゃないかもしれない」
「どういう意味だ」
「僕は――」
遠くで光が走り、遅れて轟音が部屋を揺らした。
マルクを撃った軍は町の東に陣を敷き、その先の丘を別の旗が埋めていた。光は、その丘から上がっていた。
「伏せろ!」
ルーカスに突き倒された直後、窓が内側へ弾けた。降り注いだ硝子片を、城内から響いた轟音がもう一度震わせた。




