敗者の銀線
「僕の昇級が決まった」
試験でニコに剣を突きつけられたクラウス・リヒターが、教室の扉に立っていた。割られた長杖はなく、制服の銀線は一本増えている。
「剣では君が勝った。けれど昇級したのは僕だ。学院がどちらを上に置いたか、これで分かっただろう」
町の図へ走らせていた鉛筆を止め、ニコが顔を上げた。
「試験は一つしかしていません」
「勝敗は認めているよ。剣が届くところでは君の方が強かった。ただ、それだけの者に町は預けられない。先生方は、そこまで見て僕を選んだ」
「喉に剣を置かれたことは、選ぶ時に見なかったんですか」
クラウスの笑みが薄くなった。
「あの試験場は、君に都合がよすぎた」
「負けた人は、よく場所の話をするんですね」
椅子から立ちかけたルーカスは、右肩の痛みに顔をしかめた。ニコが目だけを向けてそれを止める間に、クラウスは卓上の町の図を引き寄せた。
「避難演習の指揮も僕が執る。君が危険を見つけるのは構わない。採用するかは僕が決める」
「お祝いを言わせに来たんですか」
「使える者を選びに来た。その勝ち方が場所を変えても通じるか、下で見せてもらおう」
◇
小試験場へ降りた二人を、上の回廊から学生たちが見下ろしていた。ニコは借りたままの練習剣を抜き、クラウスは代わりの長杖を構える。
「今回は、観覧席へ飛ばさないでください」
「心配する相手が違うんじゃないか」
開始を告げる声もないまま、長杖が石床を打った。
クラウスは最初から距離を取ったまま、逃げる先までまとめて潰しにきた。左右から衝撃が走り、遅れて頭上のオルビスが光る。
それでも、ニコは後ろへ下がらなかった。剣から離れようとしない淡い光だけを連れ、砕ける石床の上をクラウスへ進んでいく。振り落とされた衝撃が髪を打った時には、もう右側を抜けていた。
「今度は入れさせない」
「試験の時も、そう思っていましたか」
長杖が横へ振られ、今度こそ逃げ場のない衝撃が迫った。
ニコは剣を斜めに差し入れた。受け止めきれない力に身体を押させ、そのまま石床を滑って懐へ入る。
引き戻そうとした手首へ柄頭が当たり、長杖が石床を滑る。次の瞬間、またニコの切っ先がクラウスの喉元へ止まっていた。
回廊から上がった声を、エーベル先生の怒声が押し潰した。
「二人とも、そこまでだ!」
ニコはすぐ剣を下ろした。階段を駆け下りてきた先生は二人を見比べ、深く息を吐く。
「一度で足りなかったのは、どうやら学院の方らしいな。学院長がお呼びだ。二人とも来なさい」
◇
学院長は机の前へ並んだ三人を眺め、まずクラウスの新しい銀線へ目を留めた。ルーカスまで呼ばれたのは、止めなかったからだとエーベル先生は言った。右肩を吊った自分に何ができたのかと返す勇気は、さすがになかった。
「昇級した朝から熱心なのは結構だ、クラウス。ただし、下級生の実力を見るなら、次からは教員を立ち会わせなさい」
「実力を確かめただけです」
「理由は分かった。ニコ、上級者から求められたとしても、喉へ刃を置いてよいことにはならない。傷つけなかったという言い訳も聞かない」
「挑んだのはクラウスです。結果も、試験から変わっていません」とエーベル先生が割って入った。
「報告は受けている。剣を持たせればニコが勝つ。それと、町を預けられるかは別の話だ」
学院長は卓上の町の図を取り上げ、クラウスの前へ置いた。
「避難演習は予定どおりクラウスが指揮する。ニコは下を調べ、見つけたことを彼へ伝えなさい」
「……まだ、途中です」
町の図へ伸びたニコの手より先に、学院長がそれをクラウスの側へ滑らせた。
「続きは彼の指揮下で行えばよい」
「見つけた危険を採るか捨てるかまで、クラウスが決めるんですか」
「ルーカス。選ぶことまで含めて指揮だ」
「下の道は任せる。僕は全体を見る」
「試験場で観客を巻き込みかけた人に、町全体を任せるんですか」
「ルーカス。君まで話を混ぜるな」
「僕の肩まで、ニコを上げない理由に使われました。関係があります」
制服の左袖が、かすかに引かれた。
「もういい、ルーカス」
声は小さかった。けれどルーカスは、引かなかった。
「よくない。勝っても上げない。考えたものまで取り上げる。それで反論すれば、今度は態度が悪いと言うんですか」
「私も、その答えは伺いたいですね」
エーベル先生の声からも、いつもの柔らかさが消えていた。
学院長が何か言い返すより先に、扉が強く叩かれた。返事を待たず、泥の跳ねた伝令が封書を抱えて入ってくる。
「ローデンより急報です」
学院長は続きを言わなかった。封を切った目が一行目で止まり、椅子が後ろへ鳴るほど勢いよく立ち上がる。
「ローデン城が陥落した。子爵の統治権は停止。裁定が下るまで、ローデン全域の管理をアッシュマーク男爵オーレリアン・ヴェイルへ預ける、と地方長官が布告した」




