勝った者の名前
ローデンの城壁が崩れ始めた頃、ルーカスはヴァルテン学院の試験場で、ニコ・ラウが剣を抜くのを見ていた。
街道でオーレリアンに見せたオルビスは、石を動かす寸前にほどけた。けれど、柄を握る指から刃へ流れた光だけは消えなかった。
今日の試験でも、ニコが頼れるのは、その剣だけだった。
剣で試験を受けたいという願いを、指導教員は退けなかった。重ねた推薦の末、試験そのものは認められた。ただ、用意された相手は二つ上の課程だった。
相手の長杖には、ヴァルテン上段に館を持つ家の紋が刻まれている。ニコの手にあるのは、学院から借りた刃引きの練習剣だった。
「始め」
上級生の周囲に、白いオルビスが重なった。
ニコが剣を握り直す。鍔元に開いた小さなオルビスが閉じ、淡い光が鋼の縁に留まったまま、それ以上はどこへも広がらない。
「本当に剣で来たのか」
「そのために、ここへ立っています」
長杖が石床を打った。
衝撃が一直線に試験場を裂く。けれど、ニコは光が放たれるより先に、その脇を歩き始めていた。
速くはない。ただ、一歩も余らない。
右を塞ぐオルビスが閉じる前に左へ入り、続く衝撃の下へ身を沈める。白い光が髪を揺らし、背後の石床を砕いた。
観覧席の最前列で、ルーカスはいつの間にか腰を浮かせていた。
ニコの目は、放たれた光を追わない。まだ閉じていないオルビスの縁を拾い、次の一歩が置ける場所へ移っていく。
ルーカスは学院で何度もその目を見てきた。それでも、正面から撃たれるフォルマの間を歩く姿は、知っているはずのニコとは違って見えた。
間合いを詰められた上級生が後ろへ跳び、長杖を薙ぐ。左右に生まれたオルビスが、今度は挟み込むように光を放った。
ニコは退かなかった。
白い光が左右から迫り合う寸前、剣を石床へ突き立てる。淡く光る刃を支えに身体を返し、二つの衝撃がぶつかる狭間を抜けた。
石片が制服を裂いた。頬にも一本、赤い線が走る。
それでも上級生との間は、もう剣一本ぶんしかない。引き戻された長杖の中ほどへ、ニコの刃が滑り込んだ。
金具が甲高い音を立てて割れる。
杖の先端が石床へ落ちるより早く、切っ先は上級生の喉元で止まっていた。
「そこまで!」
指導教員の声に、観覧席が沸きかけた。
だが、折れた杖の先で、最後のオルビスはすでに閉じていた。
ニコを外れた衝撃が試験場の縁を走り、石段へ向きを変える。
ルーカスは観覧席の前へ飛び降りた。
障壁が立ち上がり、白い光を受け止める。衝撃に押されて右肩を石縁へ打ちつけても、ルーカスは片膝をついたまま腕を下ろさなかった。
障壁に走った亀裂は途中で止まり、砕けた光は石段の手前へ散った。
光が消えたあとも、試験場の中央では、ニコがまだ切っ先を下ろしていなかった。刃に留まっていた淡い光だけが、遅れて消えていく。
「勝者、ニコ・ラウ」
一拍遅れて、石段のあちこちから同じ名が返った。
ニコはようやく剣を下ろし、観覧席の下にいるルーカスを見た。頬の傷を忘れたように、大きく笑っていた。
◇
医務室の寝台で右肩を固定されていると、練習剣を抱えたニコが入ってきた。
「勝った」
「見てた。杖まで斬るとは思わなかった」
「僕も」
ニコは笑い、壁へ背を預けて借り物の剣を胸に抱えた。
廊下からは、何度も「ニコ」と声が飛んでくる。今まで試験場に上がることさえ難しかった少年の名を、今日は皆が呼んでいた。
遅れて入ってきた指導教員が、ニコへ治療布を差し出した。
「昇級の判定は、明日に持ち越された」
ニコは治療布を受け取らなかった。
「勝ったことまで、ですか」
「いや。勝ったのは君だ。判定は、その先の話になる」
ニコは布を受け取り、頬へ押し当てた。窓の外の声は、まだ途切れない。
「なら、今日は勝った日でいい」
扉の向こうで、誰かがまたニコの名を呼んだ。
今度は足を止めず、練習剣を抱えたまま、その声へ出ていった。
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それでは、また次のお話で。




