留守を守る者
アッシュマークの空へ、黒い煙が上がっていた。
西へ駆けるほど煙は太くなり、その下で白い光が何度も明滅する。テオヴァルドは一度も速度を緩めなかった。
丘を越えたところで、オーレリアンはようやく町を見た。
城壁は立っている。その内側には、黒煙の下でも町の屋根が幾重にも続いていた。
戦場になっていたのは、壁の外へ広がった春の畑だった。
だが、ローデンの本隊は門へ近づいていなかった。古い軍道まで押し戻され、二つに割れた陣形の間から、折れた旗が覗いている。
その正面を、バスティオンたちが進んでいた。
敵陣から、火と衝撃が一斉に放たれる。鎧の列は炎に呑まれ、畑の土が壁のように噴き上がった。それでも、煙の中で白い文様が前へ動き続ける。
視界が戻った時、倒れた鎧は一つもなかった。
先頭の一騎が、焼けた地面を踏み割る。突き出された槍を大肩甲で逸らし、柄をつかんで兵ごと盾列へ投げ返した。
その隙間へ、後ろの鎧がなだれ込む。大剣の腹が盾を跳ね上げ、長柄の刃が槍だけを断つ。灯った籠手が二枚の盾を左右へ押し開くと、さらに奥の兵まで立っていられなかった。
城壁の上で、ミラが掲げていた腕を振り下ろした。
鎧の列の後ろで、操者たちのオルビスが灯る。長い腕に短砲を抱えたオートマタが並び、胸と関節へ淡い光を走らせた。鈍重な巨体が土を沈めて前へ出る。
その一体の前へ二騎が肩を並べ、敵の火を受け止める。二騎の間に立つ一人が小さなオルビスを閉じると、爆風だけが空へ逸れた。その下から短砲が火を吐き、逃げる兵ではなく、次の攻撃に使われる盾と杭をまとめて吹き飛ばした。
騎兵が横から突撃しても、歩みは止まらなかった。鎧の一団が進路を変え、馬より早く畦を越える。
槍は肩を滑り、乗り手だけが鞍から草地へ落ちた。続く鎧が馬の前へ土を跳ね上げると、残った騎馬は門へ背を向けた。
逃げる者を、誰も追わない。
「……勝ってる」
「はい」
そこで初めて、二人の足が緩んだ。
ローデンの陣では、すでに退却の角笛が鳴っていた。
バスティオンたちは武器を捨てた兵の前で止まり、まだ戦おうとする者だけを土へ伏せていく。オートマタの砲も沈黙し、退路を焼こうとはしなかった。
(俺たちがいなくても、守れた)
胸の奥に張りついていたものが、ようやくほどけた。
その時、退き始めた陣の中央に幾つものオルビスが続けて開いた。
杖を持つ兵たちが、敗走する味方の背後から、それぞれの光を同じ場所へ向けている。狙いは迫る鎧ではない。その向こうに立つ城門だった。
勝つためではない。退く前に、町へ傷だけを残すつもりだ。
ほどけたはずのものが、今度は冷たく締まった。
(負けた腹いせに、俺の町を焼く気か。なら、その陣ごと叩き潰す)
「テオ」
「はい」
返事は低かった。
銀のオルビスが、城壁を覆う大きさへ一気に開いた。
別々に放たれた熱と衝撃は、門の手前でまとめてつかまれ、そのまま空へ叩き返された。白熱した光が春の雲を内側から裂き、遅れて響いた轟音が畑の煙をまとめて吹き払った。
同じ瞬間、テオヴァルドが敵陣へ落ちた。着地より先に圧力が杖を持つ兵たちを台座からさらい、人の消えた中央へ踵が突き刺さる。
台座は地面ごと沈み、衝撃が円を描いて走った。残った杖も指揮旗も、根元からまとめて折れていく。
投げ出された兵たちが振り向いた先で、最後まで光を帯びていた杖が、テオヴァルドの掌の中で音を立てて砕けた。
誰も死んではいなかった。杖は砕け、台座は土へ沈み、指揮旗ももう立っていなかった。
バスティオンたちは歓声を上げなかった。ただ崩れた陣を囲み、落ちた武器を敵の手から遠ざけていく。
やがて、降伏を告げる短い角笛が鳴った。
捕虜の列に、見覚えのある折れた鼻があった。ギャロン・ホルト。
城壁を見上げていた目が、周囲を固めるバスティオンたちへ落ちる。何かを言いかけた口は、音を作れないまま閉じた。
オーレリアンは足を止めなかった。
城門が開き、壁の内側で待っていた人々が、布と水を抱えて畑へ出てくる。向かった先には、味方だけでなく、倒れたローデンの兵もいた。
オーレリアンはそこで初めて、オルビスを消した。
間に合ったのではない。勝った町へ、二人が帰ってきただけだ。
開いた門の前に、煤で頬を汚したミラが立っていた。それでも背筋は、いつものようにまっすぐ伸びている。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
二人の間を、兜を上げたバスティオンたちが帰っていく。傷のついた鎧を互いに叩き、ようやく笑い声を漏らしていた。
「指揮官は捕らえました。命令書もこちらにあります」とミラが言った。「子爵へ抗議書を送りますか」
「いいえ、送るのは宣戦布告だ」
小さな銀のオルビスが、ミラの抱えていた白紙を覆った。光が退くと、宣戦の文とヴェイル家の封が一息に刻まれていた。
『ローデン子爵は、武力をもって我が領を侵し、敗れてなお、民の暮らす町へ火を放たんとした。これをもって、アッシュマーク男爵領はローデン子爵家に宣戦する』
オーレリアンは折れた旗のそばまで歩いた。膝をつく指揮官が顔を上げた瞬間、宣戦状をその顔へ投げつける。
「拾え。次に膝をつくのは子爵だ。本人にそう言え」
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それでは、また次のお話で。




