まだ、戦争ではない
「従騎士テオヴァルドを、上級の審理が終わるまで当家で預かる」
ローデン子爵が読み上げた文書には、法廷の名がなかった。
「事情を問う召しには応じた。だが、判決も拘束もローデンの権限ではない」
「判決ではない。街道の安全を守るための一時預かりだ」
「四人を殺したことは否定しません。彼らは、保護を求めた聖職者へフォルマを向けました」
テオヴァルドが続けようとするのを、オーレリアンは片手で制した。
「すべて、我が同行中に起きたことだ。責任を問うなら私へ問われよ」
窓の外では、低い城壁のすぐ先に春の畑が見えた。小さな所領だった。だが、アッシュマークから東へ出る軍道は、その門前を通っている。
「爵位の高低と、裁く権限は別だ。事件はブレーゲン市内、死んだ者は聖務官房に属する。いずれからも委任を受けていない貴家へ、身柄を預ける理由はない」
「ならば、上から裁定が届くまで二人ともここに留まれ。従えば、アッシュマークの荷は通してやる」
子爵の指が卓を一度叩いた。扉の前を兵が塞ぎ、壁際の手が剣と槍へ掛かる。
銀のオルビスが床いっぱいに開いた。抜かれかけた剣は鞘ごと石へ沈み、槍の穂先が一斉に床を向く。兵が腕へ力を込めても、武器だけがそこから動かなかった。
オーレリアンの半歩後ろで、テオヴァルドはまだ手を下ろしたままだった。
「あの報告は、罪状だけではない。市警も聖務官も、武器を向けて失敗した記録だ。そして今、テオはまだ一歩も動いておらぬ」
子爵の顔から笑みが消えた。印璽をはめた指だけが、白くなるほど椅子の肘を握っている。
「私を脅すか」
床へ伏せていた槍が、兵たちの手から一斉に抜けた。穂先は宙で返り、それぞれの喉元へ向く。鞘を離れた剣も、首筋の前で止まった。
「捕らえられると思っておられるなら、その誤解を改めていただいただけだ。我らは帰る。なお止めるなら、次も武器だけで済むとは思われぬことだ」
子爵は二人から目を逸らさず、出頭済みの一行へ印を押した。
「……通せ」
扉の前が開く。銀の光が消えると、剣は鞘へ、槍は兵の足元へ落ちた。誰も拾おうとはしなかった。
(理屈は通った。面子は潰した。こういう借りは、たいてい利息が高い)
◇
ローデンの低い城壁が林の向こうへ沈んだ頃、石を砕く音が二度続いた。
テオヴァルドが馬首を曲げる。オーレリアンも何も聞かず、その後を追った。
街道を外れた斜面で、二台の馬車が横倒しになっていた。裂けた幌の下へ負傷兵が身を寄せ、その前に学院服の少年が一人、折れた車軸を盾にして立っている。
アッシュフェンが三頭、低く身を伏せていた。
「後ろへ下がって!」
少年は明るい声を崩さず、負傷者を幌の陰へ押し戻した。その足元から少し離れた場所では、もう一人の学生が短い鉛筆を手に、獣の足元を見ている。
「ルーカス、右」
呼ばれた少年が振り向くより早く、右の獣が跳んだ。
青白い光が横から割り込み、その牙を空中で止める。テオヴァルドは獣の首を地面へ落とし、振り返らず次の一頭へ歩いた。
残る二頭が同時に動く。鉛筆の先が、二頭の間に埋もれた石を示した。
「ルーカス、そこ」
学院服の少年――ルーカスの掌に、白いオルビスが開く。文字が一息に閉じ、二枚の石が左右から跳ね上がった。
獣の身体が横へ弾かれ、もう一頭と空中でぶつかる。その間を銀の光が抜け、二頭まとめて斜面の土へ縫い止めた。
「怪我人から離れよ」
オーレリアンが杖を下ろすと、白銀の縁だけが残り、獣の身体は動かなくなった。
「助かりました」
ルーカスは泥だらけのまま頭を下げ、それからテオヴァルドの背と、オーレリアンの左肩を覆う肩甲を順に見た。
「その肩甲……男爵閣下ですか」
「そうだけど、先にそちらを起こそう」
テオヴァルドが車体へ手を掛ける。青白い光に包まれた馬車は、負傷者を揺らさずゆっくり車輪へ戻った。
「今のフォルマは、君が?」
「俺です。でも、どの石を起こすか見つけたのは、こいつです」
隣の学生を示し、ルーカスがすぐに割って入った。
「ルーカスです。こっちはニコ・ラウ」
「オーレリアン・ヴェイル。こちらはテオヴァルド」
名乗りが終わるより早く、幌の陰から治療役が這い出してきた。「もう一台、戻っていません。負傷者を載せて、先に森を抜けたはずなのに」
立ち上がったニコの目は、街道ではなく斜面の下へ向いた。折れた枝の奥に、細い轍が一つだけ沈んでいる。
「橋へ向かってる」
「あっちは古い道だぞ」とルーカスが言った。
「だから、まだ戻れない」
斜面の下で、車輪が石を擦る音が長く響いた。
細い轍の先は、森の暗がりへ落ちていた。




