山の向こうからの「使者」
町の中央に立つ白い水塔から、初めて水が下りた。大きな弁が開くと、地中へ延びた管が低く鳴り、通りの水口が一つずつ透明な水を吐き出す。桶を抱えて集まった人々の間に、驚きと歓声が順に広がっていった。
最後に温められた水が広場の端まで届き、建設中の浴室に据えた浴槽を満たし始める。オーレリアンが湯へ指を入れた。
「もう少し熱くてもいい」
「子どもも使うのですから、まずはこの温度で」
(昔から、風呂は熱い方がいい。転生しても、そこは変わらないらしい)
ミラが譲らず、テオヴァルドが二人の間で笑った時、水面が震えた。地の底から鈍い衝撃が届き、二度目には湯が浴槽の縁を越える。
オルカペルの鐘が、間を置いて三度鳴った。すぐに祈りの時刻には使わない激しい連打へ変わり、広場から笑い声が消えた。
「地下の封板です」
「給水を止めろ。礼拝堂から全員を離せ。テオ、来い」
ミラが作業員へ声を張った直後、地の底で白い光が弾けた。
広場が跳ね、浴槽の湯が柱になって噴き上がる。直したばかりのオルカペルの床が内側から割れ、傾いた鐘楼から屋根石が逃げる人々の背へ崩れ落ちた。
青白い光が地面すれすれを走り、落下する石をまとめて空き地へ押し流す。最後の一人が戸口から転がり出るのと、礼拝堂の屋根が沈むのは同時だった。石粉の中で、鐘がひしゃげた音を一度だけ吐いた。
「全員、出ました!」
「ミラは上を頼む。テオ、地下へ」
◇
倒れた神像の脇から石段へ入ると、爆煙と白い砂が奥から吹き上がっていた。足元の石はまだ震え、裂けた天井から細かな破片が二人の肩へ降り続けている。
大洞の先では、砕けた封板の向こうに三人の異国人が立っていた。足元には爆薬の箱と、内側へ剥がれた石片が散っている。
「武器を置け。そちらの爆破で、上の礼拝堂が落ちた」
三人が振り向いた。最も若い隊員の短弓が上がり、矢じりの前で白いオルビスが開く。中央の女が片手を上げると、引かれかけた弦が止まった。
濃い金髪を首の後ろで束ねた女の外套には、アステリアの紋章と隊長章が並んでいる。腰の短剣も、白い砂に汚れた登山靴も、長く使い込まれていた。
「エレン・アルヴァントと申します。この調査隊を率いております。帝国の侵攻路であれば封鎖せよと命じられています。そちらも、お名前をお聞かせください」
「アシェンマーク男爵、オーレリアン・ヴェイル。この先にあるのは私の町だ」
帝国の爵位を聞いた途端、三人の顔から迷いが消えた。エレンの声も一段低くなる。
「山脈を貫いた白いフォルマは、西からも見えました。十年の停戦を結んで、まだ三年です。帝国はもう、次の侵攻路を造っているのですか」
「帝国の命ではない。あれを放ったのは私だ。洞にいた魔獣を倒すためだった。山を抜くつもりはなかった」
若い隊員の呼吸が浅くなった。弦を引く指から血の気が失せ、矢じりの前のオルビスだけが明るさを増す。
「こんな穴を、一人で開けたというのか。戯言を!」
「弓を下げろ」
エレンの声より、弦の音が早かった。
矢はオーレリアンへ届かない。青白い閃光が横から射線を断ち、矢柄を細かな破片へ砕いた。そのまま光が弓を跳ね上げ、若者の腰の短剣まで鞘ごと岩壁へ叩きつける。
散った矢羽が床へ落ちる前に、次の光が若者の喉へ走った。
「テオ、殺すな!」
光の先端が、皮膚へ触れる寸前で止まった。風圧だけが若者の襟を震わせる。
いつの間にかオーレリアンの前を塞ぎ、テオヴァルドは瞬きもせず若者を見ていた。細い背から広がる青白い光が、大洞の壁を水面のように照らしている。
エレンは部下の肩をつかみ、岩床へ伏せさせた。
「そのまま動くな」
片膝でその背を押さえながら、空いた手を低く滑らせる。袖口の陰で小さなオルビスが閉じ、テオヴァルドの手首だけが見えない重みに押された。
圧力が増し、腕が岩床へ引かれる。喉元へ向いていた青白い光がわずかに揺れた。それでもテオヴァルドはエレンを見ず、若者から目を離さない。
オーレリアンの杖先で、小さな銀のオルビスが閉じた。
横殴りの衝撃が白い砂を壁のように巻き上げ、その中からエレンの身体だけをさらった。背中が岩壁へ叩きつけられ、洞の奥まで鈍い音が返る。テオヴァルドの手首を押さえていた重みも消えた。
地図を抱えた男が腰へ手を伸ばす。エレンは咳き込みながら片手を上げ、それを止めた。
「これで二度だ。今度こそ、穏やかに話をしないか」
壁へ手をついて立ち上がったエレンは、短く息を整えた。
「……そうしましょう」
もう一度名を呼ぶと、青白い光が消えた。テオヴァルドはようやく一歩戻り、若者の足元へ落ちた弓を蹴り離す。
倒れた二人が立つまで、誰も次のオルビスを開かなかった。
「上に死者はいない。これ以上攻撃しないなら、こちらもここで収める」
オーレリアンは崩れた石段へ目をやった。白い砂の向こうから、割れた鐘が一度だけ鳴る。
「軍の道ではないことも、自分たちが何を壊したかも、見れば分かる。上へ来てほしい」
若い隊員の弓と短剣を拾い、エレンが自分の腰へまとめて差した。
「案内をお願いします」




