最初の白い手
水路の岩には、折れた梃子が挟まっていた。
大人が寄って押しても退かず、三か月の間に泥だけが厚く積もった。流れは家の方へ曲がり、戸口の板が水に浸かっている。
「ここを、先に直そう」
オーレリアンの言葉に、ミラは鍬を持った人々を呼び止めた。
「岩さえ退けば、下の家から水を抜けます。井戸へも、これ以上流れ込まずに済みます」
地上へ戻った今なら、あの図面の続きを始められる。
杖を持ち上げると、隣のテオヴァルドが肘を支えた。少年は手元よりも、足が滑りそうな泥を気にしている。
「ありがとう。でも、今度は持ち上げるところを見ていて」
オルビスの内側に、白い部材が現れた。
どこからか運んできたものではなかった。何もなかった場所へ柱が生まれ、曲面が重なり、人に似た胴と二本の脚を組み上げていく。
鍬を持つ男の肩より高い位置に、長い腕がついた。
子どもが母親の服を引いた。見上げていた人々が後ずさりする中、白い人型だけが水路へ片膝をついた。
胸には黒い小片が浮かんでいる。黒碑の前で見つけた、フォルマを壊さずに残す仕組み。そこへ、石を見つけ、持ち上げ、運ぶための働きを収めてあった。
(あの時は、止まった時間を使って人を戻した。今度は、動かし続けるために使う)
思い描いた手順を渡す。
二本の腕が岩の下へ入った。指が欠けた面をつかみ、泥の底で音がした。梃子ごと、人の背丈ほどある岩が持ち上がる。
誰かが声を上げた。
抜けた穴へ水が走った。溜まっていた泥が崩れ、足元の浅い流れが一斉に水路へ引かれていく。人々は濡れるのも忘れて、その後を見送った。
「待ってください。そちらは墓があります」
ミラの声で、オーレリアンは機体を止めた。
岩の向こうには土の盛り上がりがあるだけで、墓標は倒れていた。彼女が指す反対側には、昔の石囲いが残っている。
「そちらへ積んでいただければ、岸も崩れなくなります」
「分かった。置き場所は、君に決めてもらおう」
機体はゆっくり向きを変え、石囲いへ岩を下ろした。土が沈んだが、腕は揺れなかった。
人々がそこまで近寄ってきた。表面を指で押す者も、誰かが隠れているのではと背後をのぞく者もいる。
「中に人はいないよ。オートマタという」
「領主様の代わりに、働くのですか」
「私一人の代わりじゃ、あまり役に立たないな」
オーレリアンが鍬を持つ男の手を見た。掌には布が巻かれ、指の付け根から血が滲んでいた。
「今まで皆で動かしていた物を、こいつに持たせたい。どこを直すかは、ここを知る人に教えてもらう」
男は自分の手を隠さず、水路の先を指した。
オートマタが次の岩へ歩き始める。人の歩みより遅い。それでも持ち上げた岩を落とさず、同じ場所へ運んでくる。
子どもたちは、先に流れていった水を追って走った。
家の前から泥水が引いた時、一人の女が戸口の板を外した。板の向こうには床があった。皆が踏むたびに水の湧いていた場所へ、乾いた布を広げている。
テオヴァルドは機体を見つめていた。
「何を考えてる?」
「前の隊にこれがあったら、最初に巣へ入る人は、要らなかったのかなと」
すぐに答えられなかった。遅い脚も、限られた判断も、あの仕事には向かない。だが、そこで数えられていた人間の値段が、オーレリアンには嫌だった。
「今のこれは、戦いには間に合わない。でも、あの手はもう、岩で潰れずに済む」
布を巻いた男が、鍬を持ち直して細かな泥をさらっていた。隣へ別の者も下り、溝の幅が広がっていく。
「次は、家も直せますか」とミラが尋ねた。
「直せる。部材を揃えれば、新しく建てるのも速い。私がずっとついていなくても働けるようにしたいね」
図面を開いた彼女は、礼拝堂の印へ指を置いた。
「では、病人を寝かせる場所から。今は、雨のたびに寝床を動かしています」
「うん。そこを乾いたままにしよう」
答えたあとも、ミラは図面を畳まなかった。空いている場所を探し、初めて、新しい建物の大きさを測り始めた。
夕方には、水は集落を抜けて葦原へ流れていた。
オーレリアンが帰る時、道を横切るたびに持ち上げていたミラの裾が、もう泥に触れなかった。




