第五話 縁は奇なもの味なもの(俺に春が来た)
彼女、別所響が俺の前に現れたのは五月、黄金週間が明けた日のこと。
響と出会った場所は、文芸部の部室。そのとき、俺を含めた殆どの部員が揃っていた。
俺達は、俺の次回作の構想を練ったり、最近のお気に入り作品に付いて議論したりしていた。その最中、部室の扉がガラリと開け放たれた。
現れたのは、ショートカットの長身女子。部長の水前寺静香先輩だ。しかし、彼女一人ではなかった。水前寺部長が部室に入った際、その後ろに小柄な女子がくっ付いていた。
その女子は、個性的な外観をしていた。尤も、ズゥちゃん達とは真逆だ。
やたらと長い黒髪に、黒縁眼鏡。姿勢が猫背なので、小さな体がより一層小さく見える。その姿は、俺に「嘗ての俺」を彷彿とさせた。
陰キャのテンプレのような女子。親近感を覚えずにはいられない。
俺も、他の部員達も、彼女を見詰める視線は柔らかで優しいものになっている。
衆目が集まる中、水前寺部長の口が開いて、そこから朗らかな声が飛び出した。
「新入部員だ。自己紹介、よろしく」
水前寺部長に促されて、長髪眼鏡女子が声を上げた。
「い、一年A組、別所響です。よ、よろしくお願いいたします」
緊張しているのか、声が震えている。その変調は、俺達に怯える小動物を彷彿とさせた。一寸だけ嗜虐心が騒ぐ。しかし、それ以上に父性(或いは母性)を刺激された。
守護らねば。
俺達は万雷の拍手で別所響の入部を歓迎した。
このとき、俺にとっての響は「部活の後輩」に過ぎなかった。しかし、彼女との縁は、俺が想像していた以上に深かったようだ。
図書委員会に顔を出した際、そこで響と出会った。彼女も図書委員だったのだ。必然的に、俺達の下校時間が重なった。しかも、響の家は俺の家から近いところにある。
下校時間が同じで、通学路が同じ。しかも、このときの俺は一人だった。俺の傍に、ズゥちゃんの姿は無かった。何故なのか?
ズゥちゃんは怪我をしていた。黄金週間中に右足の親指を骨折している。その為、登下校時は親の車で送り迎えして貰っていた。
一体、ズゥちゃんの身に何が起こったのか? それに付いては、ズゥちゃんの母さんから溜息交じりに聞かされている。
「友達と遊んでるとき、何を思ったか電柱を思い切り蹴り上げたのよ」
理解し難い奇行だ。自業自得としか言いようがない。だからと言って無視する訳にもいかない。俺は、その日の内にズゥちゃんの様子を見にいった。
俺が顔を出すと、ズゥちゃんは全力で喜んでいた。意外に元気だった。その事実を確認できたので、俺は直ぐ様お暇した。その際、ズゥちゃんは「未だ良いじゃない」と引き留めている。
しかし、俺は固辞した。
実のところ、俺のトラウマは未だ健在。ズゥちゃんの顔を見る度に、額と背中に脂汗が滲み出る。正直に言えば、登下校時も苦痛だった。
トラウマが癒えるまで、余り顔を合わせたくない。しかし、ズゥちゃんの方は全くお構いなしだ。
「あたしの脚が治るまで、一緒に車で学校に行こうよ」
車で登校。その可能性を想像するだけで、俺の頭から血の気が引いた。
「いや、足腰を鍛えたいから」
俺は適当な理由を付けて拒否した。
かくして、今は一人で登下校している。その事実に加えて、俺には響を避ける理由は無かった。
「一緒に帰る?」
俺の提案に、響は小さくコクリと頷いた。
この日以降、俺達は一緒に下校することになった。必然的に会話の量も増える。 互いに共通の趣味(文学)が有る為、それなりに会話も弾んだ。趣味だけでなく、その他諸々、互いの身の上に関する話もした。
その中で、俺は響に関する幾つかの重要な情報を得た。
響は、元々別の街に暮らしていた。
去年両親が離婚したことで、響は母親に引き取られた。今は母方の祖父母の家に住んでいる。その祖父母は、実は俺の顔見知り。
この偶然は、それなりに縁を覚えた。。しかし、それ以上に「ガチだ」と納得、いや、感動する要因が、響自身に有った。それは――
「えっ!? あの感想を書いてくれたの、別所さんだったの!?」
響は、俺の作品の読者だった。しかも、俺が初めて貰った感想の筆者だった。
そのとき書かれた内容は、簡潔に言えば「情熱的な賛辞の嵐」である。それを読んで、俺は自分の作品に自信が持てた。物書きとしての方向性も定まった。
別所さんは、俺を救ってくれた大恩人だったのか。
俺の中で響の好感度が上がった。上がらないはずが無い。響の方も、「俺と知り合えたことを、内心で歓喜していた」と打ち明けている。この言葉で、響きに対する好感度はストップ高だ。
俺は浮かれた。響が望むまま、次回作の展望を含めて、自分に関する様々な情報を提供した。その内容は、響自身にも多大な影響を与えたようだ。
響は、俺を真似て生活習慣を改めた。それに伴って、彼女の性格や外観も少しずつ変わっている。
伸び放題だった髪は、綺麗に切り揃えられた。それに伴って、前髪を整えて顔を出すようになった。お陰で、響の顔立ちがハッキリ分かった。
響の顔は――うん、普通。人目を惹くほどではない。ズゥちゃんとは比べるべくもないだろう。一年前の俺であれば、特に関心を持たなかった。
しかし、今の俺は違う。
俺は「外観(容姿)は生活習慣で変わる」ということを知っている。元々の造形は変わらずとも、印象を変えることは可能だ。
実際、俺は響に対して以前以上の好印象を覚えていた。その想いは、響と会う度に高まっている。
時折、想いが暴走して、響の顔をジッと見詰めてしまった。その度に、彼女は恥ずかしそうに俯いている。その反応もまた、彼女に対する好感度を爆上げした。
いつしか、俺の心中に「響と付き合いたい」という想いが芽生えていた。しかし、それを告げることは、今の俺には難しい。
俺の心底には、未だズゥちゃんにフラれたトラウマが有る。告白に付いて考える度、俺の胸が激しく軋んだ。声を上げようとすると涙が溢れた。その変調を意識する度、俺は――挫けた。
俺の方から告白することはできなかった。ズゥちゃんが回復すれば、響と登下校することもできなくなる。
別所さんへの想いは、封印するしかない。
俺は、自分から想いを伝えようとはしなかった。しかし、俺が動かずとも、俺の想いは成就した。響の方が、動いてくれたのだ。
或る日の帰り道。
その日も、俺はいつものように響を家の前まで送った。その際、いつものように「それじゃ」と、別れの挨拶をして踵を返した。
ところが、直後に予想外の事態が起こった。
「待ってください」
響が俺を呼び止めた。俺は脚を止めて振り返った。
俺の視界に響の顔が映っている。それは、発熱を疑うほど真っ赤になっていた。しかも、殺気を覚えるほど真剣な表情をしている。
響の只ならぬ様子を見て、俺は首を傾げながら声を上げた。
「え? 何? どうした?」
俺は響に用件を尋ねた。すると、響の口が開いて、そこから意外な言葉が飛び出した。
「す、好き、です」
「!?」
響が、俺に「好き」と言った。その言葉を聞いた瞬間、俺は耳を疑った。それと同時に、俺の喉下まで「何て言ったの?」という無粋な質問が込み上げた。
しかし、それは全力で堪えた。イケメン修行で培ったデリカシーが、「絶対言うな」と、強力に野太い釘を刺していた。
俺は諸々の想いを堪えるべく、「ふーっ」と大きく息を吐いた。その行為に因って、幾分か心が落ち着いた。その上で、俺は自分の心に質問した。
俺は、どうしたい? どうなりたい?
答えは直ぐに閃いた。それが、俺の口から飛び出した。
「俺も、好き」
「!」
俺は「好き」と言ってしまった。すると、響の目が大きく開いた。その直後、目から大量の涙が溢れた。
響の様子を見て、俺は「やべっ、泣かせた」と、内心焦った。しかし、ここでもイケメン修行の成果が、俺を全力で支えてくれた。
「その、付き合う?」
俺の質問に、響は嗚咽を漏らしながらも、何度も頷いた。
かくして、俺は生まれて初めて女子と付き合うことになった。
初めの恋人。今の俺は最高に幸せだ。これからの日常を想像すると、顔が緩んで仕方がない。きっと、薔薇色の人生になる。そう思った。
実際、俺達の人生に薔薇が沢山現れた。しかし、それには棘が付いていた。
俺達の前に咲き誇っていた薔薇は、その殆どが茨だった。その鋭い棘が、響を傷付けた。
その出来事が、多数の退学者を出す、山之上高校創立以来の大事件を巻き起こす引き金だった。




