第十二話 木に縁りて魚を求む(素直になっていたならば)
「この事件の動機は、有体に言えば嫉妬です」
とある日の夜。月見里の家の居間に、誰とも知らない男性の声が響き渡った。その不快な音は、偶々通りがかった俺、月見里栄太の耳に届いていた。
俺は声に反応して視線を向けた。すると、俺の視界に五十インチのモニターが飛び込んだ。
モニターの画面には、厳めしい顔の壮年男性の顔がアップで映り込んでいる。全く知らない人だ。当然ながら、直接会った記憶は無い。それでも、相手の職業は直感できた。
某テレビ番組のコメンテーターだ。
そのコメンテーターは、とある事件にかかわる内容を熱弁していた。
事件関係者の心情を勝手に想像して、それを真実であるかのように熱弁している。
勝手なことを言う。
事件関係者達には、件のコメンテーターにとやかく言われる筋合いは全く無い。許可も出した覚えも無い。その事実は、俺はハッキリ断言できた。序に文句を言いたい気持ちも沸いた。
しかし、俺は何も言わず、代わりに溜息を吐いた。
この人だけに言っても、どうしようもない。
コメンテーターが言う「この事件」にかかわる内容は、様々なメディアから毎日のように発信されている。それこそ、俺の目や耳に胼胝ができるほどに。それら一つひとつに目くじら立てる気力も暇も、俺には無い。
俺はモニターに近付いて、電源を切ろうと指を伸ばした。しかし、その必要は無かった。
傍にいた母親が、リモコンで電源を切っていた。その事実を目の当たりにして、俺は反射的に母を見た。
母は、その場に立ち尽くしながら、真っ黒になった画面をジッと見詰めていた。その顔に表情は無い。感情が分かり辛い。
しかし、俺は母が泣いているような印象を覚えた。そう思える理由が、この事件には有った。
この事件とは、響に対する暴行と、それを誘引したイジメのこと。
事件が発生した当初、加害者達の動機は不明だった。しかし、それを解明したい人間は存外に多かった。時間が経つほどに、謎が解き明かされていく。
冬が過ぎて春になり、俺達が進級した頃、事件の動機は白日の下に晒された。それ以降、連日様々なメディアで喧伝されている。
一応、俺達は未成年なので、登場人物は匿名だ。しかし、誰のことを言っているのかは、当該関係者には分かる。分からない訳がない。「動機は嫉妬」と言われる度、俺の脳内に金髪美少女の顔が閃いた。
「何で、こんなことしたんだよ。ズゥちゃん」
響に降り掛かった災厄の発信源は、俺の幼馴染、ズゥちゃんだった。俺が響と付き合ったことが、この事件の引き金になった。今となっては、それも納得できる。
しかし、初めて真実を知ったとき、俺の首は盛大に傾いだ。
そもそも、俺はズゥちゃんとは付き合っていない。初恋の人ではあったが、既にフラれている。
その出来事は、俺にとっては最悪だった。不本意極まりない。しかし、実はズゥちゃんにとっても最悪、不本意なものだった。
そもそも、ズゥちゃんは俺を嫌っていなかった。むしろ、好意を寄せていた。俺から告白されたときも、本心では喜んでいたようだ。
しかし、実際には「陰キャ、デブオタは無理」と言って、俺をフッている。何故なのか? その理由は、後から出てきた陽キャギャル達に有った。
当時、ズゥちゃんは学年カースト最上位の陽キャグループに所属していた。これれに対して、当時の俺は最下層、所謂「モブ」だ。彼我の立場が違い過ぎる。
最底辺と付き合うことは、カースト最上位の沽券にかかわる。少なくとも、他の陽キャ達から馬鹿にされることは予想に易い。
実際、俺がズゥちゃんにフラれたとき、陽キャギャル達は俺を散々に馬鹿にした。ズゥちゃんの懸念は大当たりと言える。それを回避したことで、ズゥちゃんの立場は守られた。
しかし、その瞬間、ズゥちゃんと俺の縁が切れた。
俺とズゥちゃんの関係は、ここで終わった。そのはずだった。ところが、ズゥちゃん達にとって予想外の事態が起こった。
見下していたモブが、自分達を超える校内一の有名人になった。その事実は、同じ学校に通うズゥちゃん達の耳にも入っている。
俺が有名人になったことで「立場の違い」という問題が消滅した。それどころか、俺と付き合えば箔が付く。立場が一段上がる。少なくとも、山之上高校では最上を超える別格になる。その事実は、誰しもが認めるところだ。その中に、カースト最上位の陽キャギャル達も含まれていた。
「あーし、告ってみる」
ギャルの一人が、俺への告白を決意した。それを、ズゥちゃんが阻止した。
「あたし、本当は――」
ズゥちゃんは仲間達に本心、俺への想いを打ち明けた。それを聞いて、彼女の仲間達は協力を約束した。
このとき、ズゥちゃんの方から告白されたならば、俺は彼女と付き合っていたかもしれない。しかし、ズゥちゃんは告白を躊躇った。
「もう一度、栄太から告って貰えれば」
ズゥちゃんの心底には「告白を断った」という罪悪感が有った。それを乗り越える勇気は、彼女には無かったようだ。
ズゥちゃん達は「将を射んとする者は、先ず馬を射よ」とばかりに、外堀を埋めた。その作戦は、功を奏した。
実際、俺達は二年生間では付き合っていると認識されていた。しかし、ズゥちゃん達の目論見は達成できなかった。
幾ら周りを固めようと、当の本人(俺)は一向に告白しようとしない。この事実は、ズゥちゃん達にとっては誤算だった。
ズゥちゃんも、その仲間達も、俺が未だズゥちゃんのことを好きだと思い込んでいた。確かに、その気持ちは有った。しかし、それを躊躇う理由が有った。
当時も今も、俺はズゥちゃんにフラれたことを引き摺っている。俺にとって、忘れたくても忘れられないトラウマだ。俺は、それを乗り越えられなかった。
俺も、ズゥちゃんも、お互いの気持ちを打ち明けることができなかった。その事実が、俺達を隔てていた。
俺がズゥちゃんを拒み続けている内、彼女は骨折して積極的に活動できなくなった。その間に、俺の前に響が現れた。
響は、俺の心を癒してくれた。救ってくれた。俺が彼女に惹かるのも、自然なことだったろう。
ズゥちゃんが戻ってきた頃には、俺は響と付き合っていた。その事実を知って、ズゥちゃんは激怒した。
「あたしが付き合うはずだったのに」
ズゥちゃんの怒りの矛先は、俺ではなく響に向けられた。
ズゥちゃん達は、その立場の権威を利用して一年生の陽キャグループに響のイジメるよう要請した。これに、一年生達は全力で応じた。
どうやら、一年生の陽キャ達は「自分達より目立つ存在(俺)」を快く思っていなかったようだ。
俺に対する嫌がらせとばかりに、喜々として響をイジメた。その行為に因って、響は追い詰められた。しかし、ズゥちゃん達の目論見は達成できなかった。
俺が仕掛けた響防衛網によって、響のイジメは完全に潰えた。イジメの加害者達は停学処分を食らい、学校内での立場を失った。
ズゥちゃん達は手駒を失った。これで諦めてくれれば、彼女達は見逃されていたかもしれない。実際、俺もイジメの黒幕がいることなど想像もしていなかった。
しかし、ズゥちゃん達は諦めなかった。「暴行」という最悪の手段を選択した。
ズゥちゃん達は、カースト最上位の伝手を使って、質の悪い連中に「響を暴行して」と依頼した。
その際、相当な依頼料を支払った。その上、ヤンキー達を手引きすることを約束している。この条件に、ヤンキー達は全力で食いついた。
文化最中、響は単独で校舎裏に呼び出された。そこでヤンキー達に捕まって、そのまま連れ去られてしまった。カラオケボックスに押し込められて暴行を受けた。
尤も、警察が異次元急に迅速な対応をしてくれたお陰で、響の貞操は守られている。しかし、響の身も心もズタボロだ。
完全な刑事事件。言い訳のしようもない。
実行犯は元より、依頼したズゥちゃん達の人生も終了した。彼女達だけでなく、加害者達の家族や親類にも尋常ならざる類が及んでいる。
加害者の関係者達は、近隣住民から白眼視された。それだけでなく、それぞれの家には報道関係者が毎日押し寄せている。
加害者の関係者達は、それなりにストレスが溜まったことだろう。程無くして町を出ている。漏れ無く、全員だ。
その中に、ズゥちゃんの家も含まれていた。その事実は、俺の家族、取り分け母にとっては耐え難いものだった。
ズゥちゃんの家とは家族ぐるみで付き合っていた。母親達は幼馴染で親友同士だ。二人は「死ぬまで一緒にいる」と決めていた。
しかし、二人の縁は切れた。その事実を、俺の母は未だに受け入れられずにいる。
時折、母の口からズゥちゃんのお母さんの名前が出ることがある。その度に、彼女は部屋に籠って泣いた。その様子を見る度、胸が痛くなる。きっと、ズゥちゃんのお母さんも、同じように辛い想いをしているのだろう。尤も、あちらは悲しんでいる暇は無いかもしれないが。
加害者達には、相応の報いが用意されている。彼らが負った罪科と賠償責任は、それなりに長い時間、恐らく一生付いて回る。
年度が変わった今も尚、各種のメディアは加害者達の行為は喧伝し続けている。引っ越し先でも、居場所を確保できるかどうか。大変とは思う。しかし、俺達にできることは無い。
全ては終わったこと。
俺としては、割り切りたい。前を向いて歩きたい。しかし、この一件に関する因縁は、未だ俺に付きまとっていた。
自室に戻ると、スマホの着信音が鳴った。メッセージの着信音だ。どうやら、電源を切り忘れていたようだ。仕方がないので、俺はスマホの画面を見た。
その直後、俺の眉と口が盛大に歪んだ。その表情の理由は、メッセージの差出人に有った。
〈ズゥちゃん〉
俺とズゥちゃんとの縁は、未だ繋がっていた。




