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結婚すると、あなたは私を忘れる――記憶を納める王国の契約令嬢  作者: swingout777


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9/12

第9章 王都に、他人の記憶が降る

 その夜。


 王都には。


 雨ではなく。


 人の人生が降った。


     ◇


「窓を閉めろ!」


 王宮の廊下を。


 衛兵たちが走る。


「触れるな!」


「外へ出るな!」


「記憶光に接触した者は西広間へ!」


 命令。


 悲鳴。


 鐘。


 全部が。


 同時に聞こえる。


 私は。


 王宮二階の回廊から。


 王都を見ていた。


 空。


 無数の光。


 雪のように。


 ゆっくり。


 でも。


 絶え間なく。


 降り続ける。


「地下の流出は?」


 レオンが。


 駆けてきた侍従へ尋ねる。


「封印術師が対応中です!」


「止まりそうか」


「分かりません!」


「分からない?」


「壊された保管区画が多すぎます!」


 侍従の顔。


 青い。


「地下宮殿の存在を知る術師が」


「何人いる」


「三人です」


「少なすぎる」


「皇太后陛下の許可がなければ」


 レオンが。


 目を閉じた。


「もう許可を待つな」


「殿下?」


「使える人間を全員入れろ」


「しかし機密が」


「もう空から降ってる!」


 声が。


 廊下へ響く。


 侍従が。


 息を呑む。


「……承知しました」


 走っていく。


 私は。


 レオンを見る。


「大丈夫ですか」


「全然」


「私もです」


「そう言うと思った」


 そして。


 窓の向こう。


 また。


 一つの光が。


 王宮前広場へ落ちた。


     ◇


 触れた男が。


 突然。


 膝をついた。


 広場。


 商人らしい。


 四十代。


 両手で。


 頭を抱える。


「違う!」


 叫ぶ。


「俺じゃない!」


 周囲。


 人が離れる。


「違う!」


 男は。


 泣いていた。


「俺は殺してない!」


 衛兵が。


 近づく。


「落ち着け!」


「俺じゃない!」


「あなたの記憶ではありません!」


「でも見た!」


 男。


 自分の手を見る。


「俺の手で」


 震える。


「人を刺した」


 違う。


 誰かの記憶だ。


 でも。


 本人にとっては。


 自分が経験したように感じる。


「西広間へ!」


 衛兵が。


 連れていく。


 別の場所。


 若い女性。


 笑っている。


「お姉ちゃん」


 誰もいない空間へ。


 手を伸ばす。


「まだ生きてた」


 でも。


 数秒後。


 表情が変わる。


「……違う」


 泣く。


「私のお姉ちゃんじゃない」


 知らない誰かの。


 家族の記憶。


 隣。


 老人。


「海だ」


 呟く。


「俺は海なんて見たことがない」


 なのに。


 目を閉じて。


「塩の匂いがする」


 記憶は。


 映像だけではない。


 匂い。


 音。


 感情。


 痛み。


 愛情。


 全部。


 誰かの人生が。


 別の誰かへ。


 流れ込む。


「まずいですね」


 私は言った。


「うん」


 レオン。


「記憶だけならまだしも」


「感情まで」


「自分と他人の区別がつかなくなる人間が出る」


「早く知らせないと」


「何を?」


「これは」


 私は。


 王都を見る。


「あなた自身の記憶ではないと」


     ◇


 王宮前広場へ。


 急ごしらえの演台が作られた。


 王太子が。


 国民の前に出る。


 それだけで。


 危険だった。


「殿下」


 護衛隊長が止める。


「今、民衆は混乱しています」


「だから出る」


「石を投げられる可能性があります」


「当たったら痛いだけだ」


「そういう問題では」


「隊長」


 レオン。


 静かに。


「王宮に隠れて命令だけ出したら」


 広場を見る。


「もっと危険になる」


 護衛隊長は。


 何も言えなかった。


「私も行きます」


 言うと。


 レオンが振り返る。


「エレナ」


「何です」


「君は残って」


「嫌です」


「即答?」


「当然です」


「危険だよ」


「殿下が出るのに?」


「私は王太子だから」


「私は王太子妃になる予定の者です」


「まだなってない」


「では婚約者として」


「もっと残ってほしい」


「却下です」


「最近それ多いな」


「便利なので」


 レオンが。


 困ったように笑った。


 でも。


 止めなかった。


「離れないで」


「はい」


「絶対」


「はい」


 私は。


 彼の隣へ。


 並んだ。


     ◇


 扉が開く。


 外。


 音。


 一気に。


 押し寄せる。


「王家は何をした!」


「返せ!」


「俺の母の記憶はどこだ!」


「嘘つき!」


 怒号。


 泣き声。


 衛兵が。


 槍で線を作る。


「下がれ!」


「押すな!」


「王太子だ!」


 人の波。


 ざわめき。


 レオンが。


 演台へ上がる。


 私は。


 一歩後ろ。


 ユリウスも。


 その隣へ。


「兄上」


「何だ」


「今なら逃げても誰も責めないよ」


「お前は?」


「逃げるなら一緒に」


「却下」


「エレナ嬢みたいになってきた」


 私を見る。


「悪い影響ですか」


「かなり」


「ユリウス」


「はいはい」


 レオン。


 前を見る。


 そして。


 声を上げた。


「聞いてくれ!」


 群衆。


 少しずつ。


 静まる。


「今、王都へ降っている光は」


 一度。


 息を吸う。


「人間の記憶だ」


 ざわめき。


 大きくなる。


「王家は!」


 誰かが叫ぶ。


「俺たちから記憶を盗んでいたのか!」


 別。


「妻が十年前から俺を知らない!」


「王家がやったのか!」


「子どもを忘れた女を知ってるぞ!」


 レオンが。


 黙る。


 言い訳。


 できる。


 一部は。


 婚姻制度。


 一部は。


 国家機密。


 必要だった。


 そう説明できる。


 でも。


「そうだ」


 彼が言った。


 私は。


 彼を見る。


 広場。


 静かになった。


「王家は」


 レオン。


「長い間」


 声が。


 少し震える。


「人々から記憶を預かってきた」


「預かった?」


 男が叫ぶ。


「返してないだろ!」


「その通りだ」


「なら盗んだのと同じだ!」


「そう思われても仕方がない」


 衛兵たちが。


 互いを見る。


「殿下」


 護衛隊長が。


 小声。


「これ以上は」


「続ける」


 レオン。


「その制度が正しかったのか」


「……」


「必要だったのか」


「……」


「私は今」


 民衆を見る。


「調べている」


 罵声。


「今さらか!」


「王太子なのに知らなかったのか!」


「知らなかった」


 レオン。


 逃げなかった。


「私は」


 強い声。


「知らなかった」


 その言葉。


 広場へ。


 重く。


 落ちた。


「だが」


 続ける。


「知らなかったことを言い訳にはしない」


 私は。


 彼の背中を見る。


「今夜」


「……」


「すべてを止める」


「……」


「そして」


 彼が。


 言った。


「王家が何をしてきたのか」


 少し間。


「公表する」


 ユリウスが。


 横で。


 息を止めた。


 私も。


「兄上」


 小声。


「それ」


「分かってる」


「祖母上が」


「分かってる」


「王家が終わるかも」


「それも」


 レオン。


 前を見る。


「分かってる」


     ◇


 最初の石が。


 飛んできたのは。


 その直後だった。


「殿下!」


 護衛。


 前へ。


 でも。


 石は。


 私たちには届かなかった。


 途中。


 光にぶつかった。


 記憶。


 青い光。


 弾けた。


 そして。


 広場の。


 何十人かが。


 同時に。


 息を呑んだ。


「……何」


 私にも。


 見えた。


     ◇


 知らない。


 部屋。


 古い王宮。


 女。


 若い。


 青いドレス。


 金色の髪。


 肖像画。


 見たことがある。


「リディア」


 私は。


 呟いた。


 歴史から消された。


 最初の王妃。


 彼女の。


 記憶。


     ◇


『本当にやるの?』


 男の声。


 エドガー三世。


 若い。


 王冠を。


 まだ。


 被っていない。


『ええ』


 リディア。


 机。


 その上。


 設計図。


『記憶を切り離す術なんて』


 エドガー。


『危険すぎる』


『だから保存するの』


『消すのではなく?』


『消してはいけない』


 リディア。


 強い目。


『人が生きた証でしょう』


『でも、その記憶を持っていれば』


『殺される人がいる』


『そうだ』


『だから一度だけ』


 彼女。


 設計図へ。


 指を置く。


『預ける』


『一度だけ?』


『危険がなくなるまで』


 記憶。


 揺れる。


『必ず返す』


 リディア。


『国家が人の心を所有するようになったら』


 笑わない。


『それはもう国ではないわ』


 私は。


 息を止めた。


 周囲。


 広場の人々も。


 同じ記憶を見ている。


     ◇


 次の場面。


 地下宮殿。


 建設途中。


 白い石。


 金の扉。


 リディア。


 術師たち。


『保管庫はここ』


『記憶は個人ごとに分ける』


『陛下』


 術師。


『危険です』


『何が』


『返還すると』


『ええ』


『忘れていた感情も戻ります』


『当然でしょう』


『苦しむ者も』


『それでも』


 リディア。


 言う。


『苦しむ権利まで、国が奪ってはいけない』


 私は。


 母を思った。


 皇太后を。


 歴代王妃を。


 苦しむ権利。


 忘れることで。


 守られた。


 でも。


 同時に。


 選ぶ権利を。


 失った。


     ◇


 次。


 リディア。


 一冊の。


 白い帳簿。


 表紙。


 何も書かれていない。


『返還記録は?』


『こちらへ』


 術師。


『献納記録とは別に?』


『ええ』


『なぜ』


『王が』


 リディア。


『いつか、この制度を都合よく使わない保証はない』


『陛下』


『人を信用することと』


 微笑む。


『制度を信用することは別です』


 白い帳簿。


『だから』


『誰の記憶を』


 頁。


『なぜ預かったか』


 次。


『いつ返すべきか』


 次。


『すべて残す』


 最後。


『そして』


 彼女は。


 術師を見る。


『返還できることを』


 強く。


『絶対に隠してはならない』


     ◇


 光。


 消えた。


 王都。


 広場。


 戻る。


 誰も。


 声を出さない。


 私の。


 心臓。


 速い。


「返せる」


 誰かが。


 呟く。


「記憶は」


 別の声。


「返せるのか?」


 ざわめき。


「王家は知っていたのか!」


「返せ!」


「俺の家族の記憶を!」


 人の波。


 一気に。


 動く。


「下がれ!」


 衛兵。


「押すな!」


「王宮へ入れるな!」


「レオン!」


「エレナ、下がって!」


 群衆。


 前へ。


 このままでは。


 暴動。


 そこへ。


「全員、止まりなさい!」


 声。


 大きくはない。


 でも。


 不思議なほど。


 通った。


 広場。


 動きが。


 止まる。


 王宮階段。


 白銀の髪。


 皇太后アデライド。


     ◇


「祖母上」


 レオン。


 彼女は。


 ゆっくり。


 演台へ。


 衛兵たちが。


 道を開ける。


「皇太后だ」


「白銀の母」


「全部知ってるのか」


 民衆。


 ざわめく。


 皇太后は。


 レオンの隣へ。


 そして。


 広場を見る。


「返還は可能です」


 一言。


 私は。


 息を呑んだ。


「祖母上」


「あなたが公表すると言ったのでしょう」


「……はい」


「なら途中で止める方が愚かです」


 皇太后。


 前を見る。


「記憶献納制度には」


「……」


「返還制度があります」


 怒号。


「なぜ返さなかった!」


「誰が決めた!」


「俺の母は!」


 皇太后。


 逃げない。


「王家が」


 言った。


「返さないことを選びました」


 広場。


 完全に。


 静かになる。


「……何?」


「制度創設時」


 皇太后。


「記憶は一時的に保全し、危険が消えた時点で本人へ返すことになっていました」


「なら」


 男。


「なぜ!」


「後の王たちが」


 皇太后。


「制度を変えたからです」


「王家が?」


「そうです」


「自分たちの都合で?」


「そうです」


 レオンが。


 祖母を見る。


 彼女は。


 一度も。


 躊躇しない。


「そして」


 皇太后。


「私も」


 杖を。


 握る。


「その制度を維持しました」


 民衆の顔。


 変わる。


「皇太后陛下も?」


「なぜ!」


「あなたは俺たちを守る人じゃ」


「守ろうとしました」


 皇太后。


 静かに。


「それが」


 一瞬。


 声が。


 揺れる。


「正しいと思っていました」


 私は。


 初めて。


 この人が。


 国民へ。


 迷いを見せたのを見た。


「秘密を知れば」


 皇太后。


「殺される者がいる」


「……」


「戦争になることもある」


「……」


「だから」


 目を閉じる。


「忘れさせる方が」


 また。


 目を開く。


「優しいと思った」


 誰も。


 声を出さない。


「でも」


 皇太后。


 空。


 降る記憶を見る。


「優しさとは」


 小さく。


「選択を奪うことではなかったのかもしれません」


 私は。


 彼女を見る。


 皇太后アデライド。


 四十年。


 国を守った。


 そのために。


 夫を忘れた。


 自分の心を。


 切り離した。


 そして。


 他人にも。


 同じことをした。


「祖母上」


 レオン。


 小声。


「白い帳簿を知っていますか」


 皇太后の顔。


 変わる。


「何?」


「リディア王妃の記憶に」


 私が続ける。


「返還記録を残す白い帳簿が」


「……」


「献納記録とは別に」


 皇太后。


 黙った。


「ご存じですね」


 私が言う。


「どこにあります」


「……」


「皇太后陛下」


「ありません」


「え?」


「少なくとも」


 皇太后。


「私が引き継いだときには」


 目を細める。


「存在していませんでした」


「失われた?」


 レオン。


「あるいは」


 私は。


 記憶の中の。


 リディアの言葉を思い出す。


『王が、いつかこの制度を都合よく使わない保証はない』


「隠された」


 皇太后が。


 私を見る。


「可能性はあります」


「白い帳簿には」


「誰の記憶を」


 レオン。


「なぜ預かったか」


 私。


「いつ返すべきか」


 皇太后。


 そして。


「制度を変えた記録も」


 私は言う。


「残っているかもしれません」


     ◇


 その瞬間。


 また。


 空が。


 強く光った。


「何!」


 人々が。


 見上げる。


 王宮上空。


 大量の記憶光。


 一か所へ。


 集まっている。


「流出が」


 レオン。


「変わった?」


 光。


 渦。


 そして。


 北へ。


 一気に。


 流れた。


「どこへ」


 ユリウス。


 顔色が変わる。


「地下宮殿!」


「何です」


「奴ら」


「記憶解放同盟?」


「違う」


 ユリウス。


 走り出す。


「おい!」


 レオン。


「ユリウス!」


「あれは解放じゃない!」


 振り返る。


「集めてる!」


「誰が」


「分からない!」


「何のために!」


 ユリウス。


 一瞬。


 止まる。


「記憶を」


 空。


 北へ流れる光。


「一か所へ集めたら」


 息を呑む。


「誰か一人に入れることができる」


「一人に?」


 私。


「大量の記憶を?」


「理論上は」


「そんなことをしたら」


「普通なら壊れる」


 レオン。


「なら何のため」


 ユリウス。


 低く。


「王家の秘密を全部」


 私たちを見る。


「一人の人間に持たせるためかもしれない」


     ◇


 地下宮殿へ。


 再び。


 走る。


 私。


 レオン。


 ユリウス。


 衛兵十名。


 今度は。


 隠さない。


 第三扉。


 開く。


「おかしい」


 中。


 昨日まで。


 淡く。


 光っていた。


 地下宮殿。


 暗い。


「魔力が」


 術師。


「吸われています」


「どこへ」


「中央区画」


 私たちは。


 進む。


 記憶庫。


 棚。


 大量の。


 空瓶。


「こんなに」


 レオン。


「全部割られた?」


「いいえ」


 私は。


 瓶を取る。


 割れていない。


 空。


「中身だけ」


「抜かれてる?」


「はい」


 中央へ。


 光。


 強くなる。


 そして。


 今まで。


 閉まっていた。


 一枚の扉。


 白。


 真っ白。


「こんな扉」


 レオン。


「昨日はなかった」


「いえ」


 私は。


 壁を見る。


「ありました」


「どこに」


「壁と同じ色で」


 取っ手も。


 鍵穴もない。


 でも。


 中央。


 文字。


《第一管理室》


「第一」


 私は。


 母の。


 真鍮の鍵を思い出した。


 第三扉。


 第一。


 第二。


 第三。


 地下宮殿の。


 入口だけでは。


 なかった?


「開け方は」


 術師が。


 調べる。


「王族認証」


「私が」


 レオン。


 手を置く。


 反応。


 なし。


「開かない」


「なぜ」


 ユリウスも。


 手を置く。


 なし。


「王族じゃない?」


「違います」


 私は。


 扉の文字を見る。


 その下。


 小さい。


 古代語。


「読めますか」


 レオン。


「少し」


 私は。


 指で。


 なぞる。


《創設者権限》


「創設者」


「リディア?」


「そしてエドガー三世」


 レオン。


「でも二人とも」


「死んでいます」


 なら。


 開かない。


 はず。


 そのとき。


 扉が。


 内側から。


 開いた。


     ◇


 誰も。


 動けなかった。


 白い光。


 その中。


 一人。


 男。


 黒い衣。


 顔。


 隠していない。


 三十代。


 見覚え。


 ない。


 でも。


 胸。


 紋章。


 切れた鎖。


「記憶解放同盟」


 レオン。


 剣を抜く。


「動くな」


 男。


 笑う。


「遅かったですね」


「誰だ」


「名前は重要ではありません」


「何をした」


「返しただけです」


「誰に」


「王国へ」


「嘘をつくな」


 ユリウス。


「お前たちはこんなやり方を」


「あなたの知る同盟とは少し違う」


 男。


「ユリウス殿下」


 ユリウス。


 顔が変わる。


「俺を知ってる?」


「もちろん」


「お前」


「我々の中にも」


 男。


「穏健派と」


 少し。


 笑う。


「そうでない者がいる」


「何をするつもりだ」


 レオン。


「王国を」


 男。


「本来の状態へ戻す」


「記憶をばら撒いて?」


「いいえ」


 男が。


 背後を見る。


 白い部屋。


 中央。


 一冊。


 帳簿。


 白。


 私は。


 息を止めた。


「白い帳簿」


「エレナ?」


「リディア王妃の」


 男。


 私を見る。


「よくご存じで」


「渡してください」


「これは」


 男。


 手を置く。


「王家のものではない」


「誰のものです」


「記憶を奪われた」


 声が。


 低くなる。


「すべての人間のものです」


「なら公開すればいい」


 レオン。


「そうします」


「ではなぜ逃げる」


「公開の前に」


 男。


 白い帳簿を。


 持ち上げる。


「王家が百二十年かけて消した」


 私を見る。


「最後の事実を」


「最後?」


「ええ」


 白い頁。


 一枚。


 開く。


「リディア王妃が」


 男。


「記憶保全制度を作った本当の理由」


「本当の理由は」


 私は言う。


「国家機密を持つ人間を守るため」


「それは半分」


「では」


 男。


 笑みを消す。


「王家が」


 言った。


「人の記憶を奪う必要がなくなる日を」


 一頁。


「最初から」


 また。


 一頁。


「彼女は用意していた」


 私は。


 白い帳簿を見る。


「どういう意味です」


「返還制度です」


「それは知っています」


「違う」


 男。


 首を振る。


「一人ずつ返す話ではない」


 白い頁。


 最後。


 そこに。


 大きな。


 魔術式。


「全部」


 私は。


 息を止めた。


「返せる?」


「一度に」


 男。


「王国中の」


 記憶。


 空。


 地下。


 瓶。


「献納された記憶を」


 そして。


 言った。


「すべて、本来の持ち主へ戻せます」


 レオンが。


 黙る。


 ユリウスも。


 私も。


「ただし」


 男。


 白い帳簿を閉じる。


「代償があります」


「何です」


 私が尋ねる。


 男は。


 答える。


「返還を開始すれば」


 白い部屋。


 光が。


 強くなる。


「記憶宮そのものが」


 低い振動。


「二度と」


 床。


 揺れる。


「使えなくなります」


 制度。


 百二十年。


 王国。


 その根。


「つまり」


 私は。


 呟く。


「一度全部返したら」


「そうです」


 男。


「もう」


 白い帳簿を。


 抱える。


「誰からも」


 一歩。


「記憶を奪うことはできない」


 そして。


 地下宮殿全体に。


 鐘のような。


 音が響いた。


 記憶を返すための。


 最初の魔術式が。


 誰かの手によって。


 すでに。


 動き始めていた。


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