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結婚すると、あなたは私を忘れる――記憶を納める王国の契約令嬢  作者: swingout777


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10/12

第10章 白紙の記憶帳

 白い帳簿には。


 最初。


 何も書かれていなかった。


     ◇


「止めろ!」


 レオンの声が地下宮殿に響いた。


 けれど。


 白い部屋の中央。


 巨大な魔術式は。


 もう動き始めている。


 床に刻まれた銀色の線。


 一本。


 二本。


 次々と光り。


 壁へ。


 天井へ。


 そして。


 地下宮殿全体へ。


 広がっていく。


《総返還準備》


 古代文字。


 赤く。


 浮かぶ。


「術師!」


 レオンが叫ぶ。


「止められるか!」


 同行した王室術師が。


 魔術式の前へ。


 膝をつく。


「お待ちください!」


 指。


 光。


 術式を読む。


「これは……」


「何だ!」


「通常の魔術ではありません!」


「分かってる!」


「王国記憶保全法そのものと連動しています!」


 私は。


 白い帳簿を持つ男を見る。


「あなたが始めたのですか」


「我々は扉を開いただけです」


「では誰が」


「百二十年前に」


 男は言った。


「リディア王妃が」


 床を見る。


「始めていた」


「百二十年前?」


「この日が来たときに」


 白い帳簿。


「動くように」


 レオンが。


 剣を向ける。


「帳簿を渡せ」


「嫌です」


「なら拘束する」


「兄上」


 ユリウスが。


 レオンの腕を掴む。


「待って」


「なぜ」


「そいつを捕まえても術式は止まらない」


「だからって」


「先に読む」


 ユリウスが。


 男を見る。


「そうだろ?」


 男は。


 少し笑った。


「第二王子殿下の方が話が早い」


「褒められても嬉しくない」


「帳簿を」


 私は手を出した。


「見せてください」


「侯爵令嬢に?」


「この制度で」


 私は。


 男から目を逸らさない。


「母を失いました」


 男の笑みが。


 消えた。


「そして」


 レオンを見る。


「次は、愛する人を忘れるよう求められています」


 口にした。


 初めて。


 こんな状況なのに。


 言葉にして。


 自分で驚いた。


 愛する人。


 レオンも。


 何も言わない。


「私には」


 男へ。


「読む資格があります」


 長い沈黙。


 やがて。


 男は。


 白い帳簿を差し出した。


「読めるなら」


「読める?」


「見れば分かります」


 私は。


 受け取った。


 重い。


 表紙には。


 題名がない。


 ただ。


 真っ白。


「開けます」


 頁をめくる。


 白紙。


 次。


 白紙。


 次。


 また。


 白紙。


「何もない」


 レオン。


「だから白紙の記憶帳?」


 ユリウス。


「違います」


 男が言う。


「記録はあります」


「どこに」


「見える者にしか」


 私は。


 頁へ触れる。


 何も。


 起きない。


「条件は」


「知りません」


「嘘ですね」


「本当に知らない」


 男。


「我々も」


 白い頁を見る。


「一頁しか読めなかった」


「一頁?」


「総返還術式」


 つまり。


 帳簿そのものが。


 誰にでも読めるわけではない。


「創設者権限」


 私は呟いた。


 第一管理室。


 扉。


 創設者の権限が必要だった。


 でも。


 この男たちは入った。


「どうやって、この部屋へ」


 男は答えない。


「誰が扉を開けました」


「……」


「あなたではない」


「エレナ」


 レオンが。


 私を見る。


「外から開けたんじゃない」


「はい」


 さっき。


 扉は。


 内側から開いた。


「最初から誰かいた」


 ユリウス。


 男の顔を見る。


「誰だ」


 男。


 黙る。


「答えろ」


「必要ありません」


 その瞬間。


 奥。


 白い部屋の壁。


 音。


 小さな。


 扉が閉じる音。


「誰かいる!」


 衛兵。


 走る。


「待て!」


 レオンも。


 追う。


 でも。


 遅い。


 壁。


 何もない。


「隠し通路」


「また?」


 ユリウス。


「この王宮、隠し通路多すぎない?」


「笑っている場合ではありません」


「笑ってない」


 私は。


 白い帳簿を見る。


 誰か。


 この場所を。


 私たちより前から知っていた。


 そして。


 総返還術式を。


 動かした。


     ◇


「殿下!」


 術師が叫ぶ。


 私たちは。


 振り返る。


「第一段階が終了します!」


「何が起こる」


「保管されている記憶が」


 術師。


「所有者を探し始めます!」


「もう王都で起きてる」


「違います!」


「何が」


「今までは流出した記憶が無作為に接触していました!」


「では次は」


 術師の顔。


 青ざめる。


「本来の持ち主へ」


 私は。


 息を呑む。


「戻る?」


「まず、戻るべき相手を探します」


「死んでいたら?」


 レオン。


「分かりません」


「分からない?」


「この規模の返還は」


 術師。


「一度も行われた記録がありません!」


 私は。


 白い帳簿を見る。


「記録はここにあります」


「でも読めない」


 ユリウス。


「なら」


 私は。


 考える。


 リディア。


 創設者。


 制度。


 鍵。


 母。


「鍵」


「何?」


 レオン。


「母の鍵です」


 私は。


 胸元から。


 真鍮の鍵を出した。


「第三扉を開けた鍵?」


「はい」


「それが?」


「母は」


 鍵を見る。


「地下宮殿の存在を知っていた」


「君を守るために」


「それだけではありません」


 母は。


 忘却される前に。


 鍵を残した。


 なら。


 誰かから。


 この鍵を受け取った。


「この鍵は」


 私は。


 白い帳簿の表紙を見る。


 中央。


 よく見ると。


 小さな。


 窪み。


「鍵穴?」


 レオン。


「試します」


「待って」


「何です」


「危険かもしれない」


「今さらです」


「それ言われると思った」


 鍵。


 入れる。


 合った。


「本当に?」


 ユリウス。


 回す。


 カチリ。


 音。


 そして。


 白い帳簿全体が。


 淡く。


 光った。


     ◇


 文字。


 一文字。


 また一文字。


 白紙の上へ。


 金色の文字が。


 浮かんでいく。


《記憶保全原簿》


 私は。


 息を止めた。


「読める」


 レオン。


「題名が」


「はい」


 次。


《第一管理権限承認》


《継承鍵確認》


「継承鍵?」


「母が持っていた」


「どうして」


 分からない。


 でも。


 頁。


 めくる。


 今度は。


 びっしり。


 文字。


「これは」


 献納者。


 日時。


 理由。


 返還条件。


 そして。


「現在の黒い帳簿より詳しい」


 レオン。


「当然です」


 私は。


 指を滑らせる。


「こちらが原簿だった」


 黒革の《王妃記憶献納目録》。


 あれは。


 献納した事実だけ。


 でも。


 白い帳簿には。


 なぜ。


 いつまで。


 誰の判断で。


 そして。


 どうすれば返すか。


 全部ある。


「リディア」


 私は。


 最初の頁を探す。


 あった。


《リディア・エルディア》


《保全理由 王位継承争いに関する機密》


《対象記憶 夫エドガー及び王位継承に関する関連記憶》


《返還条件 国内争乱終結及び本人希望》


「本人希望」


 レオン。


「返せたんだ」


「はい」


 次。


《返還条件達成》


 日付。


 献納から。


 三年後。


「達成してる」


「でも」


 その下。


《返還未実施》


「なぜ」


 さらに。


 赤い文字。


《王命により停止》


 レオンの顔が。


 変わる。


「エドガー三世?」


「そうです」


 制度を。


 妻と一緒に作った王。


 その王自身が。


 妻へ記憶を返さなかった。


「理由」


 私は読む。


《王室の安定を損なう恐れ》


「最初から」


 ユリウス。


「始まってるじゃないか」


「何がです」


「悪用」


 私は。


 何も言えなかった。


 リディア王妃は。


 言った。


『国家が人の心を所有するようになったら、それはもう国ではない』


 そして。


 夫である王が。


 最初に。


 その原則を破った。


     ◇


 頁をめくる。


 二代。


 三代。


 四代。


 時代が進むほど。


 記載が変わる。


 最初。


《保全》


 だった言葉が。


《献納》


 へ。


《本人同意》


 の欄が。


 消える。


《返還条件》


 が。


 空欄になる。


 そして。


 六十二年前。


「ここ」


 私は。


 指を止める。


《王国記憶保全法 第十八次改定》


《記憶所有権を本人から王室へ移管》


「所有権」


 レオン。


「つまり」


「この時点で」


 私は言う。


「預けた記憶が」


「本人のものじゃなくなった」


「王家の所有物に」


 ユリウスが。


 吐き捨てる。


「最低だな」


「誰が改定した」


 レオン。


 署名。


《国王ウィリアム四世》


 そして。


 その下。


《王太后代理署名》


「王太后」


「祖母上じゃない」


「時代が違います」


 私は。


 さらに読む。


 何代も。


 何代も。


 制度は。


 少しずつ。


 変えられていた。


 一人の暴君が。


 一日で作ったものではない。


 一つ。


 便利だから。


 一つ。


 危険を避けるため。


 一つ。


 統治しやすくするため。


 その積み重ね。


 百二十年。


 気づけば。


 人の心を。


 王家が所有する制度になっていた。


「誰も」


 私は言う。


「自分が悪いと思っていなかったのかもしれません」


「だから余計に悪い」


 ユリウス。


「少しずつだから?」


「はい」


「昨日より少しだけ」


 レオン。


「国のために便利な方へ」


「その結果」


 私は。


 母を思う。


「娘を忘れることまで」


 普通になった。


     ◇


「アデライド」


 私は。


 皇太后の名前を探す。


 あった。


《アデライド・エルディア》


《保全対象 夫アルベルト二世に関する全記憶》


《実施権者》


 私は。


 息を止めた。


「本人」


「え?」


 レオン。


《本人申請》


「祖母上が」


「自分で」


「献納した?」


 続きを読む。


《理由 国王アルベルト二世の廃位決定に際し、個人的感情が判断を妨げる危険あり》


 私は。


 胸が。


 痛くなった。


 皇太后は。


 夫を止めるため。


 夫への愛を。


 自ら。


 捨てた。


《返還条件》


《アルベルト二世死亡後、本人希望》


 条件。


 達成。


 前国王。


 死亡。


 それから。


 何十年。


 でも。


《返還辞退》


「祖母上は」


 レオン。


「本当に自分で選んでる」


「はい」


「だから制度を」


「正しいと信じた」


 愛を忘れれば。


 国を選べた。


 自分が。


 そうしたから。


 他の王族にも。


 同じことを求めた。


「正しい独裁者」


 私は呟いた。


「何?」


「皇太后陛下は」


 白い帳簿を見る。


「自分が正しく使えば」


「危険な制度でも」


「国を守れると思った」


 レオン。


「実際」


 少し。


 苦しそうな声。


「守ったんだ」


「はい」


「祖父を止めた」


「王国も」


「だから」


 私は。


 答える。


「余計に難しいのです」


 悪人なら。


 倒せる。


 でも。


 皇太后は。


 国を守った。


 人も救った。


 同時に。


 母から私を奪った。


「正しいことをした人間が」


 私は言う。


「間違った制度を使うこともあります」


     ◇


「エレナ!」


 声。


 振り返る。


 皇太后。


 白い部屋の入口。


 杖。


 息。


 わずかに乱れている。


「その帳簿から離れなさい」


「皇太后陛下」


「今すぐ」


 レオンが。


 前へ。


「祖母上」


「レオン」


「全部読みました」


 皇太后。


 目を閉じる。


「そう」


「返還制度も」


「……」


「祖母上が自分で祖父を忘れたことも」


「……」


「そして」


 レオン。


 白い帳簿を見る。


「王家が返還を隠したことも」


 皇太后。


 静かに。


「そう」


「知っていたんですね」


「ええ」


 私は。


 尋ねる。


「白い帳簿の存在も?」


「知っていました」


「場所は」


「知らなかった」


「なぜ」


「先代の管理官が」


 皇太后。


「私へ渡すことを拒んだからです」


「なぜ?」


「私が」


 ほんの少し。


 笑う。


「信用されなかったのでしょう」


 苦い。


 笑み。


「正しかったかもしれません」


「でも」


 私は。


 鍵を見る。


「母は持っていた」


 皇太后の顔。


 変わる。


「何を」


「継承鍵を」


 真鍮の鍵。


 見せる。


 皇太后が。


 本当に。


 言葉を失った。


「アメリアが?」


「はい」


「なぜ」


「私が聞きたいです」


 長い。


 沈黙。


「管理官」


 皇太后が。


 呟く。


「十八年前の」


「誰です」


「エドワード・レイン」


「母と関係が?」


「彼は」


 皇太后。


「アメリアの叔父です」


 私は。


 息を止めた。


「母の」


「母方の叔父」


「では」


「記憶宮の第一管理官だった」


 だから。


 母は。


 地下宮殿を知った。


 鍵を持てた。


 そして。


 忘れる前に。


 私へ残した。


「エドワードは」


 皇太后。


「制度の廃止を求めていました」


「あなたは拒んだ」


「ええ」


「なぜ」


「同じ話を何度もさせないで」


「必要だからです」


 私は。


 皇太后を見る。


「返せると知っていた」


「ええ」


「制度が本来、一時的だったことも」


「ええ」


「それでも」


「維持した」


「なぜ!」


 私の声。


 響く。


 皇太后。


 動かない。


「返したら」


 静かに。


 言う。


「何が起きると思う?」


「本人が」


「幸せになる?」


「少なくとも」


「本当に?」


 皇太后。


 私を見る。


「戦争で人を殺した記憶を返す」


「……」


「自分の子を捨てた記憶を返す」


「……」


「王家の秘密を返す」


「……」


「誰かが今、幸せに生きている人生へ」


 杖。


 一歩。


「何十年前の罪を」


 また一歩。


「突然」


「……」


「戻す」


 私は。


 答えられない。


「記憶を返すことが」


 皇太后。


「常に救いだと思わないことね」


 ルイーザ王妃。


『今さら思い出せば、私はあの人を二度失うことになる』


「だから」


 レオン。


「祖母上が決めた?」


「そう」


「本人ではなく」


「そうです」


「傲慢だ」


 ユリウス。


「ええ」


 皇太后。


 即答。


 ユリウスが。


 言葉を失う。


「私は傲慢です」


 皇太后。


「王国全体を見て」


「……」


「誰が知り」


「……」


「誰が忘れ」


「……」


「誰が生きるべきか」


 自分の胸へ。


 手を置く。


「決めてきた」


「なぜ」


 レオン。


「そんな」


「誰かが決めなければならないと思ったから」


「だから自分が?」


「ええ」


「それを」


 私は言う。


「正しいと?」


 皇太后。


 私を見る。


「今でも」


 長い。


 沈黙。


「分かりません」


     ◇


 その答えは。


 予想外だった。


「分からない?」


「私は」


 皇太后。


「正しいと思うことをしてきた」


「……」


「夫を閉じ込めた」


「……」


「自分から愛を奪った」


「……」


「あなたの母親から、娘を奪った」


 私の胸。


 痛む。


「戦争は止めた」


「……」


「暗殺も」


「……」


「内戦も」


「……」


「何度も」


 杖を握る。


「それで」


 声。


 ほんの少し。


 震える。


「何人救ったかは数えられる」


「……」


「でも」


 目。


 私。


「何人壊したかは」


 少し。


 下を向く。


「数えられない」


 初めて。


 この人が。


 自分の選択に。


 迷っている。


「祖母上」


 レオン。


「なら」


 白い帳簿。


「もう終わらせよう」


 皇太后。


 顔を上げる。


「簡単に言わないで」


「簡単じゃない」


「総返還をすれば」


「分かってる」


「何万人もの人生が変わる」


「分かってる」


「王家の秘密も出る」


「はい」


「あなたの王位も」


「それも」


 レオン。


「分かってる」


 皇太后。


 黙る。


「でも」


 レオン。


「祖母上が決めるのは終わりにする」


「レオン」


「私が決めるのでもない」


 私は。


 彼を見る。


「本人に」


 レオン。


 言う。


「返すかどうかを選ばせる」


 皇太后。


「総返還術式は」


「何です」


「個別選択ではない」


「え?」


「開始すれば」


 皇太后。


「対象記憶は一斉に本人へ戻る」


「では」


「拒否できない」


 私は。


 白い帳簿を見る。


 おかしい。


 リディアは。


 本人の選択を。


 何より。


 重視していた。


『苦しむ権利まで、国が奪ってはいけない』


 でも。


 苦しまないことを選ぶ権利も。


 奪うはずがない。


「違います」


 私は言った。


「何が」


「この術式は」


 白い頁をめくる。


「まだ全部ではない」


     ◇


 総返還術式。


 最終頁。


 大きな魔術式。


 その下。


 小さな文字。


 さっき。


 男が見せたときには。


 見えなかった。


 継承鍵で。


 原簿が開いた今。


 読める。


《第一段階》


《記憶呼集》


 今。


 起きている。


 保管記憶が。


 持ち主を探している。


《第二段階》


《本人確認》


「本人確認」


 レオン。


 私は読む。


《返還対象者へ、失われた記憶の存在のみを通知》


「存在だけ?」


「はい」


《返還を希望する場合、本人の意思により受領》


 皇太后が。


 近づく。


「そんな条文」


「知らなかったのですか」


「……ええ」


 第三。


《本人死亡の場合》


 私は読む。


《原則返還せず》


「子孫には?」


「行きません」


 ユリウス。


「良かった」


《ただし、本人が生前に閲覧継承を指定した場合のみ、指定者への閲覧を許可》


 母。


 私は。


 息を止める。


「だから」


 レオン。


「君はお母さんの記憶を見られた?」


「はい」


 母は。


 私へ。


 残した。


 自分が。


 私を愛した記憶を。


「第四段階」


 最後。


《保管機能停止》


「本当に」


 皇太后。


「記憶宮が」


「使えなくなる」


「はい」


 さらに。


 最下部。


《国家は、人の心を永続的に所有してはならない》


 そして。


《この機能は、制度が本来の目的を失ったと認められたとき》


 私は。


 声に出す。


《現王位継承者および記憶被保全者代表の合意により発動する》


 沈黙。


「合意?」


 レオン。


「まだ」


 私は。


 術式を見る。


「発動していません」


「でも記憶は」


「第一段階だけ」


 ユリウス。


「誰かが無理やり起動した?」


「はい」


「最後は」


 レオン。


 白い帳簿を見る。


「私の同意が必要」


「現王位継承者」


「そして」


 私は。


 読む。


「記憶被保全者代表」


「誰だ」


 術式。


 金色に。


 一部。


 光る。


 白紙の頁。


 そこへ。


 名前。


 一つ。


 浮かんだ。


《王位継承者》


《レオン・エルディア》


 そして。


 もう一つ。


《被保全者代表》


 文字。


 ゆっくり。


 現れる。


 私は。


 息を止めた。


《エレナ・アルヴェイン》


     ◇


「なぜ私が」


 誰も。


 答えられなかった。


「まだ献納していない」


 レオン。


「エレナの記憶は取られてない」


「でも」


 私は。


 思い出す。


 母。


 私。


 幼いころ。


 記憶を消される予定だった。


 実際には。


 母が代わりに。


「代理保全」


 白い帳簿。


 私の名前。


 探す。


 あった。


《対象者 エレナ・アルヴェイン》


《当時四歳》


《保全命令発行》


《保全対象 王宮地下区画に関する記憶》


《実施》


 その先。


 私は。


 固まった。


「エレナ?」


「実施されています」


「何?」


 レオン。


 私の隣へ。


「でも君のお母さんが」


「母は」


 読む。


《関連記憶について代理献納》


「関連記憶」


「君が見たこと自体は」


「私から」


 奪われた。


 だから。


 何も覚えていなかった。


 金色の扉。


 眠る王。


 母の記憶でしか。


 見られなかった。


「私も」


 自分の名前を見る。


「記憶を奪われていた」


 母だけではなかった。


 私も。


 四歳のとき。


 すでに。


 この制度の中にいた。


《返還条件》


《成人後、本人希望》


「返せる」


 レオン。


「君自身の記憶も」


「はい」


「どうする」


 すぐには。


 答えられなかった。


 十八年前。


 四歳の私が。


 本当に見たもの。


 母の記憶ではなく。


 自分自身の目。


 戻す。


 怖い。


 でも。


「返してもらいます」


 私は言った。


 皇太后。


 私を見る。


「怖くないの」


「怖いです」


「なら」


「怖いから」


 私は。


 答える。


「誰かに決めてほしくない」


 自分で。


 選ぶ。


「私は」


 白い帳簿へ。


 手を置く。


「返還を希望します」


     ◇


 光。


 強い。


 一瞬。


 世界が。


 消えた。


 四歳。


 私。


 王宮地下。


 猫。


 金色の扉。


 眠っている王。


 そこまでは。


 母の記憶と。


 同じ。


 でも。


 続きがあった。


『王様ですか?』


『違う』


 アルベルト二世。


『私はもう死んだことになっている』


 幼い私は。


 彼を見る。


『どうして?』


 子どもだから。


 聞いた。


 男は。


 笑った。


『妻に殺されたからだ』


『死んでないよ』


『そうだな』


『なら嘘つき』


 国王。


 少し。


 笑った。


『お前は賢いな』


 そして。


 廊下。


 足音。


『来る』


 男。


 私を見る。


『帰れ』


『でも』


『いいか』


 腕。


 鎖。


 持ち上げる。


『ここで見たことを』


 私。


 怖くなる。


『誰にも言うな』


『お母様にも?』


『特に』


 そこで。


 男の表情が。


 変わる。


『いや』


 何か。


 考える。


『母親には言え』


『どうして?』


『母親なら』


 笑う。


『子どもを守るだろう』


 そして。


 私が。


 逃げようとしたとき。


 彼が。


 最後に。


 言った。


『娘』


 振り返る。


『王は』


 前国王。


 鎖に繋がれたまま。


『自分が正しいと思った瞬間が、一番危険だ』


 記憶。


 消える。


     ◇


 私は。


 現実へ。


 戻った。


「エレナ!」


 レオン。


 支える。


「大丈夫?」


「はい」


「何を見た」


 私は。


 皇太后を見る。


「前国王陛下が」


「何を」


「言っていました」


 息を整える。


「王は」


 皇太后の目。


「自分が正しいと思った瞬間が」


 少し。


 揺れる。


「一番危険だと」


 皇太后。


 動かなかった。


 やがて。


 ほんの少し。


 笑った。


「最後まで」


 その声。


 寂しい。


「私への嫌味を忘れなかったのね」


「違うと思います」


「何が」


「あなたへだけではありません」


 私は。


 レオンを見る。


「すべての王へ」


 そして。


 自分自身にも。


「正しいと思う人間すべてへ」


 白い帳簿。


 そこに。


 二人の名前。


 レオン。


 エレナ。


「だから」


 私は言う。


「一人で決めてはいけない」


 皇太后。


「では」


 白い帳簿を見る。


「あなたたち二人で決めるの?」


「いいえ」


「何?」


「私たちが決めるのは」


 私は。


 総返還術式を指す。


「選択肢を返すかどうかです」


 記憶を。


 必ず返すのではない。


 忘れたままでいる人。


 思い出したい人。


 それぞれ。


 本人が。


 決める。


「返還を強制しません」


 レオンが。


 私を見る。


「でも」


「はい」


「制度は終わらせる?」


 私は。


 白い帳簿の最後の一文を見る。


《国家は、人の心を永続的に所有してはならない》


「私は」


 答える。


「終わらせたいです」


 レオン。


 黙る。


「殿下は」


「……」


 王になる人。


 この制度を失えば。


 自分を縛る安全装置も。


 なくなる。


「愛する人を忘れなくても」


 私は言う。


「王でいられると」


「証明する?」


「はい」


「簡単じゃない」


「知っています」


「私が祖父みたいになったら」


「止めます」


「どうやって」


「全力で」


「具体性がない」


「必要なら王座から引きずり下ろします」


 ユリウスが。


 吹き出した。


「エレナ嬢」


「何です」


「兄上の妻になる人として最高だ」


「まだ妻ではありません」


「なるだろ」


「今はその話では」


「エレナ」


 レオン。


 私を見る。


 少しだけ。


 笑う。


「私も」


 白い帳簿へ。


 手を置いた。


「終わらせたい」


 文字。


 光る。


《第一合意確認》


 そして。


 私の名前。


 光る。


 まだ。


 触れていない。


「待って」


 皇太后。


 私は。


 彼女を見る。


「総返還を開始すれば」


「はい」


「王家が隠したものも」


「公になります」


「はい」


「アーレン家」


「はい」


「王位簒奪」


「はい」


「あなたたちの婚姻どころではなくなる」


 レオン。


 答える。


「分かっています」


「北部が動いている」


「はい」


「今、王家の正統性を失えば」


「内戦になるかもしれない」


「それでも?」


 レオン。


 黙る。


 ここ。


 簡単ではない。


 正しさだけで。


 国は。


 動かない。


 そのとき。


 地下宮殿の外。


 鐘。


 緊急鐘。


 一度。


 二度。


 三度。


 衛兵が。


 走ってくる。


「殿下!」


「何だ!」


「北門から急報!」


「言え!」


「北部軍が」


 息を切らす。


「王都へ進軍を開始しました!」


 レオンの顔。


 変わる。


「兵数」


「約八千!」


「指揮官は」


「ヴァルド・アーレン!」


 旧王家直系。


 北部騎士団長。


 そして。


 今。


 王都へ。


「要求は」


 レオン。


「王家による記憶献納制度の即時廃止!」


「それから」


「もう一つ」


 衛兵。


 躊躇する。


「言え」


「現エルディア王家の」


 一瞬。


 目を伏せる。


「王位継承権の停止を」


 白い帳簿。


 私と。


 レオン。


 二人の名前。


 光っている。


 あと。


 私が手を置けば。


 総返還の最終段階が始まる。


 その瞬間。


 王家の秘密も。


 旧王家の血統も。


 何もかも。


 国民の前へ。


 戻る。


 でも。


 もう。


 隠しておける時間も。


 残されていなかった。


「レオン」


 私は。


 彼を見る。


「うん」


「王国を守るために」


 深く。


 息を吸う。


「また誰かから真実を奪いますか」


 レオンは。


 目を閉じた。


 そして。


 開く。


「いや」


 私は。


 白い帳簿へ。


 手を置いた。


《第二合意確認》


 光。


 地下宮殿全体を。


 白く。


 染める。


《総返還手続》


《最終段階へ移行》


 そして。


 百二十年間。


 王家が。


 人々から預かり。


 奪い。


 隠し。


 所有してきた。


 すべての記憶が。


 本来の持ち主へ。


 選択肢として。


 帰る準備を。


 始めた。


 同時に。


 王家が。


 百二十年間隠してきた。


 最大の嘘も。


 もう。


 隠しておくことは。


 できなくなった。


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