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結婚すると、あなたは私を忘れる――記憶を納める王国の契約令嬢  作者: swingout777


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4/12

第4章 王族には、王になる資格がない

 王族には、王になる資格がない。


 その言葉を実際に誰かが口にしたわけではない。


 けれど、昨夜見つけた記録は、そう言っているようにしか見えなかった。


 王位継承争いで死んだはずの第一王子アルフレッド。


 彼は生き延びた可能性がある。


 名前を変え。


 妻を迎え。


 子を持ち。


 その血筋は、現在のアーレン伯爵家へ続いているかもしれない。


 もしそれが事実なら。


 今、王座にいるエルディア家は。


 本来の王統ではない。


     ◇


「寝ましたか」


 翌朝。


 王太子執務室へ入るなり、私は尋ねた。


「おはようより先にそれ?」


 レオンは机の向こうで書類を読んでいた。


 目の下に薄く影がある。


「寝ていませんね」


「三時間くらいは」


「それを寝たとは言いません」


「君に言われたくない」


「私は四時間です」


「一時間勝った顔をしないで」


 私は彼の机へ書類を置いた。


「アーレン伯爵家の系譜です」


 レオンの表情から、軽さが消えた。


「手に入った?」


「王国貴族院の記録を写しました」


「早いね」


「婚約者が王位を失うかもしれないので」


「言い方」


「事実です」


 私は向かいに座る。


 昨夜。


 私たちはあの洗礼記録を見つけたあと、一旦調査を打ち切った。


 その場で結論を出すには、大きすぎる。


 だから一晩置いた。


 けれど。


 一晩置いても、大きさは変わらなかった。


「現在のアーレン伯爵は」


 私は紙を指した。


「オルフェン・アーレン。五十三歳」


「知ってる」


「その長男、ヴァルド・アーレン。二十七歳」


「北部騎士団長」


「はい」


 レオンの二歳上。


 剣術大会で何度も優勝。


 北部では英雄扱い。


 そして。


 王都では。


 厄介な存在として知られている。


「彼らは三年前から王室課税に反対しています」


「去年は北部議会の独立権まで要求した」


「王家と政治的に対立している」


「それが」


 レオンは紙を見る。


「本来の王家かもしれない?」


「まだ可能性です」


「君はその言葉好きだな」


「断定を急ぐ方が危険です」


「分かってる」


 彼は深く息を吐いた。


「でももし、アーレン家の祖先がアルフレッド第一王子なら」


「現王家の正統性は揺らぎます」


「揺らぐ、どころじゃない」


 レオンは椅子に背を預けた。


「百二十年間、王位を奪った家が統治していたことになる」


「そう見なす者は出るでしょう」


「北部なら利用する」


「確実に」


「内戦になるかもしれない」


 その言葉で、部屋の空気が重くなった。


 私は黙った。


 否定できない。


 北部は王国最大の穀倉地帯。


 兵力も多い。


 アーレン家は代々、その中心にいる。


 そこへ。


《本来の王家》


 という旗印が加われば。


 不満は反乱へ変わる。


「だから」


 レオンが言った。


「王家は隠したのかな」


「何をです」


「アルフレッドが生きていたこと」


「その可能性は高いです」


「そして三人の王妃を消した」


「彼女たちが、その血筋に関する秘密を知っていたから」


「なら記憶献納制度は」


 レオンが私を見る。


「最初から、王家を守るためのものだった?」


 私は答えなかった。


 まだ、そこまでは分からない。


 でも。


 すべてが一つの線へ集まり始めている。


 リディア。


 カトリーナ。


 エステル。


 三人の王妃。


 旧王家。


 隠された子ども。


 記憶献納。


 そして。


 現在の王位。


「確かめましょう」


 私は言った。


「どうやって?」


「アルフレッド第一王子の死亡記録を」


「見たよ。戦死扱い」


「戦死と書かれているだけです」


「違いが?」


「遺体確認者」


 レオンが眉を上げる。


「誰が死を確認したのか」


「はい」


「なるほど」


 王族の死亡には、通常、侍医か軍医による確認が必要。


 戦場でも例外ではない。


 死亡証明。


 遺体引渡。


 埋葬記録。


 どれかが残る。


「なければ?」


「死亡そのものが作られた可能性があります」


「行こう」


 レオンが立ち上がる。


「どこへ?」


「軍務院」


「朝会は?」


「今日は病欠」


「元気そうですが」


「心が病んでる」


「王太子が軽々しく使わないでください」


「君、本当に容赦ないね」


     ◇


 軍務院の地下資料庫。


 ここには王国成立以来の戦争記録が保管されている。


 百二十年前。


 王位継承戦争。


 正史では。


 前王の長男アルフレッドが反乱軍との戦闘で死亡。


 弟エドガーが残党を平定。


 その功績により即位。


 簡潔な話だ。


 あまりにも。


「綺麗すぎます」


 私は戦争記録を読みながら言った。


「綺麗?」


「兄が死亡。弟が勝利。弟が即位」


「歴史書なら普通だろ」


「人間が絡むと、普通はもっと汚れます」


「君、時々怖いこと言うよね」


「事実です」


 私は別の記録を開く。


「アルフレッド殿下が戦死したとされるのは、王国暦三百十一年、五月十二日」


「うん」


「場所は西グラント平原」


「教科書通り」


「戦闘参加者は三千二百人」


 死者。


 負傷者。


 行方不明者。


 すべて記録されている。


 しかし。


「ありません」


「何が」


「アルフレッド殿下の遺体確認」


 レオンが横から覗き込む。


「本当に?」


「はい」


「王族なのに?」


「おかしいです」


 戦場で死亡した王族なら、詳細な記録が残る。


 誰が見つけたか。


 どこを負傷していたか。


 遺体をどのように王都へ運んだか。


 しかし。


 アルフレッドについては。


《戦死》


 の二文字だけ。


「埋葬記録は?」


「王都王墓」


「墓はある」


「あります」


「遺体がなくても墓は作れる」


「はい」


 私は埋葬台帳を調べた。


 棺。


 国葬。


 参列者。


 ある。


 でも。


「棺は開けられていません」


「なぜ分かる?」


「記録に《戦傷が激しいため封棺》とあります」


「誰も顔を見ていない?」


「少なくとも公式には」


 レオンが黙る。


 私はさらに頁を追った。


 そして。


 一人の名前で止まった。


「ダリウス・ヴェルナー」


「誰?」


「当時の王室侍医」


「アルフレッドを診ていた?」


「死亡証明者として名前があります」


「じゃあ確認したんじゃ」


「署名だけなら」


 私は別記録を見る。


「この人物」


「何?」


「国葬の三日後に国外へ出ています」


「偶然?」


「行き先は?」


「西方連邦」


「そのまま?」


「帰国記録なし」


 レオンが低く息を吐く。


「金をもらって消えた?」


「可能性はあります」


「また可能性」


「便利な言葉です」


 さらに。


 ダリウスの家族。


 妻。


 息子二人。


 全員同行。


 その資産記録。


「出国直前、王室会計から高額の支払い」


「いくら」


「一般侍医の年収の約二十年分」


「……口止め料にしか見えない」


「見えますね」


 私は紙を閉じた。


 戦死者。


 遺体確認なし。


 封棺。


 証明した医師は大金を受け取り国外へ。


 そして。


 一年後。


 辺境修道院で《アルフレッド・アーレン》が現れる。


「殿下」


「うん」


「アルフレッド第一王子は」


 私は静かに言った。


「死んでいません」


 レオンは返事をしなかった。


 否定も。


 驚きも。


 ただ。


 目を閉じた。


     ◇


 軍務院を出たあと。


 私たちは王宮庭園へ向かった。


 室内では話せない。


 壁に耳がある。


 そんな言葉を本気で意識したのは初めてだった。


「ここなら誰もいない」


 レオンが言う。


 王宮西庭。


 冬薔薇の区画。


 季節外れで花はない。


 枯れ枝だけ。


 人もいない。


「ほぼ確定ですね」


 私が言った。


「兄は生きていた」


「はい」


「弟はそれを知っていた」


「恐らく」


「死んだことにして王になった」


「はい」


 レオンは空を見る。


「簒奪だ」


 私はすぐに答えなかった。


「言って」


「何をです」


「君もそう思ってるだろ」


「制度上は」


「また制度」


「重要です」


「じゃあ制度上どうなる」


「当時の王位継承法では、第一王子が生存している限り、第二王子の即位は認められません」


「つまり」


「不法な即位です」


 レオンが笑った。


 笑いではない。


 息が漏れただけだった。


「曾々々祖父が王位を奪った」


「そうなります」


「私の家は」


 彼は枯れ枝を見る。


「王家ですらないのか」


「それは違います」


「何が」


「百二十年間、実際に統治してきました」


「だから?」


「国家の正統性は血だけで決まるものではありません」


「王国法では血で決まる」


「その法律を作ったのも人間です」


「エレナ」


「何です」


「慰めてる?」


「いいえ」


「じゃあ?」


「現実を整理しています」


 私は彼を見る。


「アルフレッド第一王子が生きていた」


「うん」


「エドガー三世が不法に即位した」


「うん」


「それは事実として受け止めるべきです」


「……うん」


「でも」


 私は一歩近づく。


「百二十年前の罪と、今のあなたが王に相応しいかは別です」


 レオンの目が私を見る。


「前にも言ったね」


「何度でも言います」


「でも」


「でも?」


「私は王家の正統性を利用して生きてきた」


「殿下」


「王太子として尊敬された。軍を率いた。命令した。税を集めた。全部、血筋が正しいという前提で」


「だから何です」


「その前提が嘘なら」


「あなたがしたことまで嘘になりますか」


「分からない」


「私は分かります」


 思ったより強く言った。


「なぜ」


「見てきたからです」


「何を」


「あなたが何をしてきたか」


 十二歳のころ。


 レオンは王子だから皆に頭を下げられていた。


 でも。


 侍従が病気になれば自分の薬師を貸した。


 十五歳。


 洪水被害。


 泥だらけで救援物資を運んだ。


 二十歳。


 初めて軍を率いた。


 負傷兵と同じ天幕で眠った。


「それを」


 私は言う。


「百二十年前の誰かが代わりにやったのですか」


「違う」


「なら」


「でも、国民が納得するかは別だ」


「それはそうです」


 即答すると。


 レオンが少し苦笑した。


「やっぱり慰めないんだ」


「必要ですか」


「少しは」


「では」


 私は考える。


「殿下は」


「うん」


「王太子でなくても、かなり面倒な人です」


「それ慰め?」


「私には十分です」


 レオンが。


 今度こそ少し笑った。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 そのとき。


 庭園の入口に人影が見えた。


「殿下」


「見えてる」


 白銀の髪。


 杖。


 まっすぐな姿勢。


 皇太后アデライド。


     ◇


「随分、熱心に調べものをしているそうね」


 皇太后は挨拶もなく言った。


 庭園の中央。


 侍女二人を少し離れたところに待たせている。


「誰からお聞きになりました」


 レオンが尋ねる。


「王宮で私に隠し事ができると思っているの?」


「努力はしました」


「足りないわ」


 皇太后の視線が私へ向く。


「エレナ」


「はい、皇太后陛下」


「あなたも」


「はい」


「王太子妃になる者が、王家の秘密を漁るものではありません」


 言葉は穏やか。


 でも。


 命令だ。


「恐れながら」


 私は頭を下げる。


「私が王太子妃になるために必要な調査です」


「必要?」


「はい」


「何を調べているの」


「皇太后陛下ならご存じなのでは」


 レオンが小さく息を吸った。


 皇太后の目が細くなる。


「随分な口を利くようになったわね」


「失礼いたしました」


「謝る顔ではないわ」


「では、撤回はいたしません」


 沈黙。


 冬の庭。


 風。


 枯れ枝が揺れる。


 皇太后は私をじっと見た。


 怖い。


 もちろん。


 この人は。


 四十年以上、王宮政治の中心にいる。


 国王ですら頭が上がらない。


 でも。


 ここで引けば。


 二十八日後。


 私はレオンを忘れる。


「《王妃記憶献納目録》を見つけました」


 私が言う。


 皇太后の表情が。


 ほんの少し変わった。


「それから」


 続ける。


「歴史から消された三人の王妃」


 レオンが私を見る。


 でも止めない。


「リディア。カトリーナ。エステル」


 皇太后は黙る。


「アルフレッド第一王子が生き延びていた可能性も」


「エレナ」


 初めて。


 皇太后が私の言葉を遮った。


 声に。


 わずかな鋭さがあった。


「それ以上はやめなさい」


「なぜです」


「命令よ」


「理由を伺っています」


「理由を知れば」


 皇太后は。


 私ではなく。


 レオンを見た。


「あなたたちは、今までと同じようには生きられなくなる」


「もう同じではありません」


 レオンが言う。


「祖母上」


「レオン」


「私の婚約者は、婚姻すれば私を忘れる」


「王太子妃とはそういうものです」


「それを当然だと思えと言うのですか」


「当然ではない」


 皇太后の声は冷たい。


「必要なのです」


 私は反応した。


「何のために」


「王国のため」


「抽象的です」


「エレナ」


「私は」


 握っていた手を開く。


「王国のためなら犠牲を受け入れます」


 レオンがこちらを見る。


「でも」


 私は皇太后から目を逸らさない。


「理由も知らずに差し出すことはできません」


「あなたは、自分の記憶一つが王国より重いと?」


「いいえ」


「なら」


「比較するために、真実が必要です」


 皇太后の目がわずかに揺れた。


「王家が正統ではないことを」


 私は言った。


「リディア王妃は知っていた」


「……」


「だから記憶を差し出した」


「……」


「その後、存在を消された」


「……」


「違いますか」


 長い沈黙。


 そして。


「違わないわ」


 レオンの呼吸が止まる。


 私も。


 答えを予想していても。


 実際に認められると重さが違う。


「では」


 レオンが言う。


「エドガー三世は」


「正統な王ではなかった」


 皇太后は淡々と言った。


「アルフレッド第一王子は生きていました」


「祖母上」


「それ以上は、ここで話すことではありません」


「では場所を変えましょう」


「話さないと言っているのです」


「なぜ」


「今はまだ」


「今?」


 レオンが一歩前へ。


「百二十年間、隠しておいて今と言うのですか」


「あなたは感情的になっている」


「当然でしょう!」


 レオンが声を荒げた。


 珍しい。


 皇太后も。


 表情を変えない。


「私には王になる資格がないかもしれない!」


 庭園に声が響く。


 皇太后は静かに答えた。


「だから何です」


 レオンが固まる。


「え?」


「あなたは王太子です」


「祖母上」


「王になるよう育てられた」


「血筋が」


「血筋が何だというの」


 今度は。


 私が驚いた。


 この王国で。


 もっとも血統を重んじると思っていた人物が。


「国を治めるのは」


 皇太后は言う。


「死者ではありません」


「でも」


「百二十年前の男が正統だったからといって、今の王国が明日から消えるわけではない」


 彼女はレオンを見る。


「あなたが王に相応しいなら、王になりなさい」


「相応しくなければ?」


「退きなさい」


 あまりにも簡単に言った。


「ただし」


 皇太后の声が低くなる。


「真実を公表すれば済むと思わないことです」


「内戦」


 私が言う。


「そう」


 皇太后が初めて私を肯定した。


「北部はこの事実を利用する」


「アーレン家が旧王家の血筋なら」


「可能性ではありません」


 私は息を止めた。


「彼らは」


 皇太后は言う。


「アルフレッド第一王子の直系です」


 確定した。


 今度こそ。


 レオンは何も言わなかった。


「では」


 私が尋ねる。


「王家は知っていたのですね」


「代々、限られた者だけが」


「それを隠すために」


「違うわ」


「何がです」


「記憶献納制度は、ただ王位簒奪を隠すためだけに作られたものではない」


 ただ。


 という言葉に。


 私は引っかかった。


「では、何のためです」


「そこから先を知る必要はありません」


「あります」


「ない」


「私が」


 一歩前へ。


「殿下を忘れる理由です」


「そうです」


「なら知る権利があります」


「権利」


 皇太后が。


 初めて少し笑った。


 冷たい笑み。


「王族になろうとする者が、権利を口にするのね」


「義務があるなら、同じだけ知る責任もあります」


「責任?」


「はい」


「あなたは」


 皇太后の視線が、私を貫く。


「自分が何を知らされようとしているのか分かっていない」


「だから教えてください」


「知れば戻れない」


「もう戻れません」


「エレナ」


 皇太后は。


 そこで。


 不意に。


 声を少し落とした。


「では、一つだけ教えましょう」


 私は身構えた。


「記憶献納制度は」


 皇太后の杖が。


 石畳を一度鳴らす。


「王妃だけのものではない」


「どういう意味です」


「王家の秘密に触れた者」


 彼女は言う。


「必要と判断された者には、身分を問わず使われてきた」


 胸の奥が冷える。


「誰に」


 皇太后は答えない。


「誰に使ったのです」


「あなたは」


 皇太后が。


 まっすぐ私を見る。


「自分の母親を、愛情の薄い人だったと思っていたわね」


 思考が止まった。


「……なぜ」


「エレナ」


「なぜ、その話を」


「あなたの母」


 皇太后は言った。


「アメリア・アルヴェインも」


 世界から。


 音が消えた。


「記憶を献納しています」


「……何を」


 自分の声が。


 かすかに聞こえた。


「私の母は」


 皇太后は。


 少しも目を逸らさなかった。


「何を忘れたのですか」


 答えは。


 私が想像したどんなものより。


 残酷だった。


「あなたです」


 息が止まった。


「正確には」


 皇太后は続ける。


「あなたが生まれた日から」


 風が吹く。


 枯れた薔薇の枝が揺れる。


「五歳になるまでの」


 私は。


 動けなかった。


「あなたに関する記憶を」


 皇太后は言った。


「すべて献納しました」


 母は。


 私を愛していなかったのではない。


 私を。


 忘れていた。


 その可能性が。


 初めて。


 私の前に現れた。


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