第1章 -01-
~投稿その弐~
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「……ねむ」
まだ薄く残る意識の中、気だるげに体を起こす。
薄いピンク色の長い髪が、差し込む朝日に透けて柔らかく光った。
垂れ気味の瞳はどこか眠たげで、それでいて整った顔立ちは人目を引く美しさを持っている。
小柄な体つきながら、バランスの取れたスタイル。
美少女と呼ぶにふさわしい姿だった。
神代 依織、彼女は外に出ることが少ないためその肌は白く、
まるで透き通るようだった。
「もう朝かぁ……ふぁ……」
大きくあくびを一つ。
ゆったりとした足取りで洗面台の前まで進む。
眠気を振り払うように、軽く顔を洗う。
洗面台からベッドまで戻るついでにトースターにパンを放り込み、インスタントのコーヒーを淹れる。
何の変哲もない朝食。
時代は進歩し、あらゆるものが変わった。
それでも、こういう日常だけは、驚くほど変わらない。
だからこそ。
そんな“いつも通り”にも、少しずつ飽きが生まれてくる。
非日常を与えてくれるもの――
彼女にとってそれは《Mythos Frontier》だった。
多種多様な種族に、自由度の高いシステム。
さらに建国という他にはない要素まで備えた、大規模MMORPG。
もともとは、数少ない友人に誘われたのがきっかけだった。
それまでゲームというものに無縁だった依織は今までない感覚を覚え、
気付けば数年という月日をこのゲームに費やしていた。
その圧倒的な自由度に心を奪われ、没頭はやがて常軌を逸するほどの域にまで達していた。
他人からの評価を気にも留めない性格と、興味を持ったことにとことん打ち込む気質も相まって、
自然とソロプレイを極めていく。
その結果が、ゲーム内の二つ名である“災害”。
本来は、建国や店舗運営、人材の雇用や開拓など、
他者と協力して進めることを前提としたゲームである。
にもかかわらず、どこにも属さず、
関わりのあるプレイヤーは片手で数えるほどしかいない。
それでも、この世界は彼女を引きつけ続け、
気付けば毎日ログインするのが当たり前になっていた。
慣れた手つきでデバイスを装着し、
いつも通り、ゲームの世界へ潜り込むはずだった。
「……ん? なんだろ、これ」
本来なら表示されるはずのログイン確認のウィンドウ。
そこに浮かんできたのは、
――“■■■を開始しますか?”
崩れた文字列。
一部は明らかに判別不能な記号へと変わっている。
これまで5年以上プレイしてきたが、
ここまで露骨な不具合を見たことはない。
ここまで大規模なゲームでありながら、
バグらしいバグに遭遇した記憶すらなかった。
不具合が存在すること自体は珍しくない。
むしろ、ここまで一度もなかった方が異常だったのだろう。
「……まぁ、いっかぁ」
深く考えることもなく、
いつもと変わらない軽い調子でゲームを開始する。
その瞬間、眠るように意識が、ふっと途切れるような感覚に包まれた。
次に目を開けたとき。
明るい日差しが木々の隙間から差し込んでいた。
光に照らされ、漆黒の鎧が鈍く輝く。
穏やかな景色の中にあって、明らかに異質な存在感と威圧感。
依織――ゲーム内ネームはライフ。
彼女はゲーム初期から常に前進を鎧に包んでいた。
見た目に興味がないこともあり、キャラクタークリエイトは行っておらず、
現実世界の姿をそのまま投影している。
つまり、鎧の中身は彼女自身。
その事実を知る者は、
本人が把握している限りでもわずか2名のみ。
そもそも鎧を脱ぐ必要がない以上、
他人がそれを知る術は存在しない。
だからこそ、外からどう見えているかなど分かるはずもない。
そんなことをぼんやり考えながら、
鎧をすり抜け頬をかすめる風の感触。
あたたかな日差しが肌をなぞり、
風が吹くたびに、青臭い匂いが鼻先をかすめていく。
思わず、わずかに眉をひそめた。
五感すべてに訴えかけてくるような、圧倒的な没入感。
大きく息を吸い込むと、
その匂いはよりはっきりとした輪郭を持って広がる。
「……なんかぁ、へんかなぁ?」
確かに、このゲームはもともと細部まで作り込まれていた。
だがこれは、少し違う。
あまりにもリアルすぎる。
「体の感覚は今までも違和感なかったから分かんないけど~……装備、重い……?」
自分の腕に触れる装甲を、そっと指でなぞる。
「なんだろ~……変な感じ……」
このゲームはキャラクタークリエイトの自由度が高い。
だが彼女は、外見に強いこだわりがなかったため、現実の自分と同じ姿を投影していた。
そのため、現実とゲーム内の身体感覚のズレは少ない。
結果として、彼女のプレイスキルも自然と高水準にあった。
だが、今回は違う。
身体の長さや射程といった部分にズレはない。
しかし、装備の重さや触れている感覚までは、これまで再現されていなかった。
装備品はあくまで、「持てるかどうか」「装備可能かどうか」という判定でしかなかったはずだった。
それなのに――
周囲の空気。
地面の感触。
そして、自分の身体に触れている装備の重み。
どれもが、やけにリアルだ。
「……アップデート? いや、でも……」
そんな可能性を考える。
だが、事前通知もなければ、更新した記憶もない。
一度、装備を解除してみることにした。
腕の鎧をなでるように操作すると、
手と視線の動きに合わせて、ガシャガシャと軽い音を立てて装甲が外れる。
露わになった白い腕を、じっと見下ろす。
「……ん~、私の体だなぁ」
違和感がない。
何度か手を握ったり、開いたりする。
指の動きに、わずかな遅れもズレもない。
おかしい。
これまでの“ゲーム”とは、明らかに違う。
ここはゲームの世界だ。
現実ではない。
そう理解している。
これまでも何度か思ったことはある。
――ここが現実だったらいいのに、と。
けれど、それはあくまで理想。
現実とはかけ離れた、ただの願望だと分かっていた。
だからこそ。
ありえない。
――ありえない、はずなのに。
心のどこかで、確かに芽生えてしまう。
もしこれが、本当に現実だったなら――
そんな考えが、静かに浮かび上がってくる。
「GAaa……」
唸るような低い鳴き声が、後方から響く。
どこか浮ついていた意識が引き戻される。
同時に、背後から強い視線と気配を感じ取った。
視線を向けるとそこには、自身よりはるかに巨大な白い猪が居た。
次の瞬間、
猪が姿勢を低く構え、地面を蹴る。
「――っ!」
衝撃。
身体が宙を舞い、木々をなぎ倒しながら派手に吹き飛ばされた。
土煙が舞い上がる。
「……いったぁ」
突然の出来事。
だが、その表情に焦りはない。
鳴き声を聞いた時点で、外していた鎧はすでに再装着していた。
そして何かが来ると察知した瞬間には、衝撃に備える姿勢も取っていた。
それでも
ここまで吹き飛ばされ、僅かだがダメージを受けた。
ただ、それ以上に意識は、別のものへ向いていた。
「……いたい」
ぽつりと呟く。
「いたい、いたい……あはははぁ~、ちゃんと感覚あるなぁ~」
口元がゆるむ。
ダメージ自体は軽微。
それでも、確かに“痛み”があった。
ゲーム時代には存在しなかった感覚。
どれだけ技術が進歩しても、痛覚の再現だけは例外だった。
人間の脳へ直接的な悪影響を及ぼす可能性が高いため、全面的に禁止されている。
過去には、痛覚再現に挑んだタイトルも存在した。
だが、その多くは問題を起こし、開発元ごと消えていった。
それほどまでに、禁忌とされていた領域。
「まぁ……いったんこれで結論がぁ、でたのかなぁ~」
ゆっくりと立ち上がりながら、そう呟いた。
困惑も、未知も、痛みすらも。
そのすべてが、心を沸き立たせる。
渇いていた何かが、満たされていくのがわかる。
「はは……あはははぁ、あはははは……だめだぁ……」
声がこぼれる。
抑えきれず、自然と漏れ出す。
「あはは……はははは………」
「あっははははははは!」
「GAAAAAAAAAAAA!!」
呼応するように、獣の絶叫が森に響き渡った。
明らかに先ほどとは違う。
空気そのものが変質する。
――こいつは獲物ではない。
危険な“異物”。
先ほどの一撃よりも速く、重く、そして明確な殺意を乗せて。
一直線に、漆黒の鎧へと突っ込む。
迫る。
その刹那。
獣の命は、そこで途切れていた。
黒い刃が、静かに振るわれていた。
自身よりもはるかに巨大な獣を、
いともたやすく両断した。
彼女の身体の横を、“獣だったもの”が通り過ぎる。
「くっさぁい……血ってぇ、こんな匂いがするんだぁ……
あはは、まだ収まんないやぁ」
自然と口角が上がる。
たった一瞬の戦闘。
それだけで、身体の内側の熱がさらに高まっていた。
「でもぉ……ふふ、あはは……
現状を~、いったん把握しないとなぁ」
くるりと後ろを振り返る。
そこには、自分が切り倒した獣の死体が転がっていた。
ゲーム時代であれば、モンスターを倒すと経験値やゴールド、素材だけがドロップし、
本体は泡のように消えていくはずだった。
だが――
その死体は消えない。
嗅ぎ慣れない鉄の匂いを放ちながら、
確かにそこに“残っている”。
「アイテムドロップは無し……
お金が入った感じも、ないかなぁ~」
モンスターを倒せば経験値を取得できる。
だが、すでにレベルはカンストしている。
そもそも取得していない可能性もあるが、特に身体に変化は感じられない。
「ステータス表示」
そう呟くと、目の前に半透明のウィンドウが浮かび上がる。
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名前 ライフ
種族 悪魔・公爵
クラス 狂戦士「極」
代表スキル 「武装製造」「即時換装」「滑空」
所属 無所属
拠点 獄門
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どうやら、ステータスの確認自体は可能らしい。
代表スキルにも特に変化は見られない。
このゲームでは、クラスごとに多くのスキルを習得できる。
クラスにはそれぞれ熟練度や派生進化が存在し、
職業表示にある「極」――すなわち“極めた”状態に至ることも可能だ。
ライフの種族である「悪魔・公爵」。
これは通常習得できないものであり、特定の条件とクエストをクリアした者のみが到達できる、
いわゆるユニークタイプの種族である。
取得条件が特殊なこともあり、その付属効果や特性はかなり強力だ。
代表スキルは、極めたスキルの中から三つまで選び、任意でセットできる。
特別な効果があるわけではないが、
いわば称号のようなもので、実力の証明に近い。
そして「所属」と「拠点」。
所属は国家を指す。
これにより、その国特有の制度によるバフ効果や、購入物の割引など、
大小さまざまな恩恵を受けられる。
そのため、通常であれば所属しない理由はほぼない。
だが、誰かと深く関わるつもりのなかったライフは、
プレイ開始から現在に至るまでの五年間、一度もどこにも属さずに過ごしてきた。
「獄門……今の状態でも、
しっかり拠点として機能してるんですかねぇ~」
名の通り、どこか禍々しい響き。
だがそれは、紛れもなくライフの“拠点”である。
拠点を設定することで、アイテムの保管やセーブ地点として機能する。
ただし国家ほどの安全性はなく、他プレイヤーに拠点ごと奪われることもある。
保管したアイテムも基本的には無防備だ。
仮にモンスター、またはプレイヤーとの戦闘に敗れた場合、
リスポーン地点にはなるが、
ステータスの大幅低下や所持アイテムの消失、
さらにプレイヤーであれば一定時間、居場所が露見する。
だが、
ライフの拠点《獄門》は例外である。
特殊な環境に位置するその場所は、
相当な上位プレイヤーか、国家中枢クラスのプレイヤーでなければ、
近づくことすら困難な領域となっている。
確認のため、さらに画面をスライドさせると、装備一覧が表示された。
ライフの身に着ける鎧は、すべてオーダーメイドである。
使用用途に応じて特化させることもあれば、その場の状況に合わせて新たに作ることもある。
代表スキルの「武装製造」と「即時換装」。
これは、その独特な戦闘スタイルから極められたものだった。
武器をその場で分解し、「武装製造」で再構築。
「即時換装」で装備へと反映する。
装備の入れ替えに発生するタイムラグを、限りなくゼロにする戦法である。
「天獄-獅子シリーズ」
ライフが使用する鎧の中では最も標準的な性能。
特筆すべき能力こそないが、汎用性が高く、
一般的な装備と比べれば、はるかに優れた性能を持つ。
オーダーメイドであるため、
現在のこの“感触”でも違和感はない。
むしろ、よく身体に馴染んでいる。
試しに、先ほどと同じように腕部のみ装備を解除してみる。
すると、ステータス画面にも変化が現れ、
該当箇所の表示が『無し』へと切り替わった。
しっかり連動しているらしい。
「さぁ~て……ここが現実であるならぁ、
色々試したいことも、知りたいこともありますねぇ……」
外した鎧を再び装着しながら、今後の行動を思案する。
やりたいことは多い。
だが、無計画に動くにはリスクも大きい。
――そう考えた、その時。
突如として。
業火が、周囲一帯を消し飛ばした。




