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【完結】白苑後宮の薬膳女官  作者: 絹乃
二章

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19/32

4、出入り禁止

 翌朝、瑞雪は急いで南邸へと向かった。まだ食堂も開いていないので、尚食局の薬命司の部屋に置いてあった油条ヨウティヤオを掴んで、門へと向かう。

 本来はお粥や豆乳と食べることの多い油条だが、そんな時間をとるのも惜しい。


 昨夜の雨は上がり、辺りは白い霧に包まれていた。

 後宮で働く女官や宦官の大半はまだ眠っているようで、ただカラスの鳴く声だけが聞こえてくる。


「せめて天雷がいたら、少しは心強いのに」


 さくりと油条を齧りながら瑞雪は呟いた。

 毒にあたった後の具合は分からないが、今の葉青が起き上がることは難しいだろう。せめて天雷がいたら、葉青の心の慰めになるかもしれないのだが。


 宮城の橋を渡る頃には、ようやく霧が晴れてきた。あと少し、もう少しで南邸だ。

 瑞雪は息を切らしながら南邸の門にたどり着く。昨夜は葉青の件で大変だったのだろう。門の吊り灯籠にはまだ火が入ったままだった。


「すみません、通してください。薬命司の夏瑞雪です」


 皇帝から頂戴したもうの佩玉を瑞雪は門番に見せた。


「陛下からのご指示で、葉青さまの様子を伺いに参りました」


 すでに顔見知りになっている門番が、怪訝に眉を顰める。


「夏瑞雪だそうだ」


 寝ずの番をしていたもう一人の門番を呼び、二人で何か囁きあっている。嫌な感じだ。瑞雪は背中がぞくりとするのを覚えた。


「薬命司、お前は帰れ。旦那さまからお前を通すなと命じられている」


 まるで野犬を追い払うように、門番は手を動かした。


「医者ではありませんが、葉青さまの体調の管理はできます。お願いです、葉青さまに会わせてください」


 瑞雪が言い募ると、二人の門番は顔を見合わせた。二日に一度は食材を用意して葉青のために薬膳料理を作っているのを、門番たちは知っている。しかも離れの部屋から出ることもなかった葉青が、庭を散歩しているのも。

 二人とも無言で目を伏せたのは、逡巡があるからだろう。

 だが、当主の命令には逆らえない。


「……わかりました」


 瑞雪はその場を引いた。文護が到着すれば、もしかすると一緒に入れるかもしれないと考えたからだ。

 だが、瑞雪は自分の考えが甘かったことを知る。


 半時辰ほど過ぎた頃、文護の乗る輿がやって来た。今日は鈴の束をつけていないので、濠に架かる橋で出会った時のように雅やかな音はしない。

 四人の男に腰の辺りで担がれた輿。その隣には護衛である星宇が控えている。

 星宇は南邸の塀の側に立つ瑞雪を見て、事情を察したようだ。


 瑞雪は揖礼をして、文護に深く頭を下げる。


「ルイシュエさん! イェチンは?」


 地面に降ろされた輿から、文護が飛び出す。髪は梳かしてもいないのか寝癖がついている。そんな時間も惜しいのだろう。


「申し訳ございません。わたしは中に入ることができないのです」

「そんな。だってイェチンのことはやくめいしにまかせるって、ぼく、ちゃんとおじさまにおはなししたのに」


 瑞雪は首を振った。

 これまでは文護の顔を立てるために、南家の当主は瑞雪に葉青を任せていたのだ。もし何か事が起これば、瑞雪が不審に思われるのは当然だ。


「これはこれは陛下。葉青のためにわざわざのお運び、痛み入ります」


 ぎぃぃと門が開き、中から葉青の父親が現れた。皇帝を迎えるからだろう、平服ではあるが一分の乱れもないほどに着こなしている。髪も丁寧に整え、まげの部分に束髪冠そくはつかんをかぶせている。


(何だろう、この腹の奥がむかむかする感じは)


 瑞雪は南家の当主に頭を下げながら、きれいに掃除された道を凝視した。

 今朝は皇帝が来訪すると知らせがあったから、早朝から家の前の道を掃除させたのだろう。


 皇帝を迎えるのに非礼があってはならない。けれど、それは毒にあたった娘の容態よりも大事なのか? いや、道を掃き清め主人の身なりを整えるよりも、文護は葉青のことを優先させてほしいと考えるはずだ。


「ルイシュエさん、はやく。いっしょに入りましょう」


 星宇を伴った文護が、声をかけてくる。


「お待ちください、陛下。恐れながら薬命司を当家に入れることはできません」

「どうしてですか?」


 文護は、自分を見下ろしてくる葉青の父親を見上げた。


「その娘、偽名を使っているそうですな」

「え?」


 文護は瑞雪を見上げた。その瞳にはうろたえた瑞雪の顔が映っていた。父親は重々しく首を振る。


「璠瑞雪、それが薬命司の本名です。悪名高い先代の薬命司、璠欣然の一族であることを隠すために女官となる前に姓を変えておるのです」


 どうしてそれを。そう口に出そうになるのを、瑞雪はかろうじて堪えた。

 瑞雪の本名を知っている者など、ほとんどいない。


「陛下はお小さいですから、悪辣な薬命司に騙されたんでしょうな。お可哀そうに」

「ちがう、だまされてない。ぼくは……ぼくがルイシュエさんにたのんだから。ルイシュエさんがいいって、おしえてもらったから」

「ほぉ、どこからこの薬命司の情報を得られたのです? こいつが璠の人間であることは、うちの侍女から聞いておるのですよ」


 葉青の父親は目をすがめた。


「……しんらいできる人にしょうかいしてもらいました」

「はいはい」


 すでに葉青の父親は文護を敬うことも忘れている。ただのお飾りでしかない幼い皇帝、唆されて危険な瑞雪を派遣した愚かな皇帝だと、その態度が言っている。


「薬命司が、娘の食事に何を混入したか分かったものではありません。現に侍女の宋舞の具合も悪くなっております」

「ルイシュエさんは、そんなことをしません!」


 文護は声を荒げた。小さなこぶしを握り締め、なおも葉青の父親を睨みつける。

 そんなにも文護に信じてもらえるのに、潔白を証明する術がない。瑞雪は唇を噛みしめた。


(中にさえ入れたら、状況を把握できたら……)


 けれど瑞雪は決して南邸に入れないし、葉青を診ることも叶わない。

 星宇が輿を担いできた轎夫きょうふに、何かを耳打ちした。


「ええ、ええ。陛下は罪人の身内にもお優しいですね」


 父親はそこで、ふっと小さく笑みをこぼす。


「ですが、私はそこの下賤な娘に罪を問うことはしませんよ。なにしろ陛下のご紹介ですからね。ここで私が事を荒立てずに怒りを鎮めれば、陛下の御名にも傷はつきますまい」


 あっ。瑞雪は父親の本音を見抜いた。

 この男は葉青が苦しんでいても、それすらも好機と捉えている。文護に恩を売って、今後自分が有利な立場になるように。


(そんな下卑た野心のために、わたしは陥れられたのか。葉青さまは利用されたのか)


 瑞雪の前に立つ文護も反論することができない。小さな背中が屈辱に震えている。

 今回の件が大事おおごとになれば、皇帝を補佐する宰相の立場まで危うくなる。それが皇太后の耳に入ればどうなるか。


(わたしは間違いなく処刑されるわ)


 侍女に毒を盛った罪を着せられた叔母ですら、笞打ちの末の国外追放だ。しかも死を運ぶ虫が大量にいるという南方へ。

 なのに今回は皇后候補……この首は胴体から離れてしまうだろう。

 背筋を悪寒が走り、瑞雪は自分の首に手を添えた。そこに見えぬ斧の刃を感じたからだ。


「イェチンにあわせてください」と、文護は訴えた。


「勿論ですとも。さぁ陛下、どうぞ中へお入りください」


 父親に案内され、文護が門をくぐる。護衛として伴うのは星宇ではなく、さっきまで輿を担いでいた青年だ。彼は腰に剣を佩びていた。


 肩をうなだれた文護は、ただの七歳の子供だった。何度も星宇を振り返り、文護はためらいながら進んでいく。

「シンユィ、あとはおねがいね」と微かな言葉を残して。


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