第37話 聖犠の徒
「ど、どうしておばあちゃんがこんなところに……?」
ミラも俺と同様にたじろいでいる。
だってあの人はどこにでもいるような、果物を売っているおばあちゃんだ。
こんな迷宮の深部にいるわけがない。
「ふっふっふ、言ったじゃあないかい。また会える気がする、ってねえ」
おばあちゃんは穏やかに微笑む。その顔はまさに、城下町で見たときのものと何ら変わりがない。
確かにまた会える気がするとは言っていたが、まさか迷宮でなんて思わないだろ。
そんなことより、どうしてこんなところにいるのかだ。
殺気の件も気になるし――。
おばあちゃんは傍らに倒れこむ化け物をちらと見た。
「おやおや、どうしてこやつがこんなところに……。まあよい。勇者シオン」
「は、はい」
じっくりと俺を見据える双眸には、どこか陰りが見える。
おばあさんが次になにを言うのか、待っていたその時だった。
「あ、あぶねえ!」
完全に倒しきったと思っていた化け物が、そのボロボロになった体でゆっくりと立ち上がった。
嘘だろ、あれだけ、あれだけ頑張ったってのに……。
「ふ、うぐう。雑魚のくせにやるなあ」
体はボロボロなのに、なぜか生物として機能している。
それに、焔玉で焼け焦げたはずなのに、明らかに傷が回復しているような――
「これがおでの切り札さあ。おまえらのようなちんけな魔法じゃ、殺しきれないぞお」
体が、糸が螺旋状に絡まりあうように、体表を形成して徐々に完全体を取り戻している。
俺たち三人がそれぞれ命を懸けて削ったというのに、化け物の体は、出くわしたときとなんら変わりない肉体へと回復を遂げた。
「さあ、それじゃあお別れ――」
「黙りなさい。今は私が話している最中です」
化け物の言葉を遮り、おばあさんは杖を二回、コンコンと地面に打ち付けた。
その瞬間、化け物の足元に魔法陣が展開される。
明らかに、空気が変わった――。
化け物もそれに気が付いたが、避ける間もなく炎の柱が出現して化け物を飲み込んだ。
数秒燃え続けたあとに柱は消え、先ほどまで化け物が立っていた場所にはもう、なにも残っていなかった。
「火力が足りんかったようですね、勇者シオン」
「あ、あんた一体何者なんだ」
「うすうす気づいているのでしょう。聖儀の徒、第1實、ノマリス=フェルシー。おぬしたちをここに呼び出したのは私ですよ」
固唾を飲む。第1實というのが何を指すのかはよくわからないが、聖儀の徒は当然聞き覚えがある。
俺たちが命がけで倒しかけたあの化け物を、詠唱なしの魔法で瞬殺。
どうあがいたところで、現状、こいつに俺たちは太刀打ちできない。
暗闇から放たれてた殺気は勘違いでもなんでもなかったわけだ。
「どうしてリンを攫った! リンは無事なのか!」
俺たちのこれからのことなんて今は気にならなかった。
今はただ、リンをなぜ攫ったのか、そのことに対する怒りが込み上げる。
「今代の勇者がどれほどのものか、手合わせしたかったんですがね。まさかこんなチンケな迷宮にまだ神代の魔族が残っておったとは……。そうそう、あの小僧はまだ生きていますよ」
よかった……。ひとまず、リンは無事らしい。
だが、どう助ければいいのか、俺にはわからない。
今になって、自分の実力不足に歯噛みする。
「残念だが、俺にはもうあんたと戦えるだけの力は残ってないぞ」
「そうさねえ」
聖儀の徒は、たしか勇者が死ぬことで世界に平和が訪れると信じてる組織だったよな。
だとすれば、手合わせを望んでいたこいつが次に実行することといえば、俺を殺すことだ。
こんなに絶好な機会はない。なんとか助けがくるまで時間稼ぎができないものか。
「あんたら、俺を殺すことで本当に世界が平和になるとおもってるのか!」
「ん? ああ、確かそういうことになっておったかね。時間稼ぎに付き合ってあげましょうか」
どうやら俺の魂胆は見え透いているらしい。
「聖犠の徒はなにも一枚岩じゃないんですよ。様々な思想を持つものたちの集まりじゃからのう。私は単純さあ。殺したい人がいるのさ」
言っている言葉は物騒なのに、その瞳はどこか物憂げに見えた。
「どうやらその殺したい人ってのは、俺じゃないようだな」
「あんたより遥かに強いやつさ」
「それで、どうするつもりだ。全力の俺と戦いたいなら、いつでも戦ってやる。だから今は、リンを返してくれ」
「それが交渉をしているつもりかえ。どうやら状況がようわかっとらんのやねえ」
ばあさんは杖を俺の方に向ける。何かと身構えるが、そんな警戒もむなしく、呼吸が徐々に出来なくなっていく。
「くっ……は……」
どうすることもできずに地面に突っ伏した。
俺は少しの抵抗として、ばあさんを睨みつける。
「し、シオン君!」
「勇者シオン――」
ばあさんは杖を向けたまま、ゆっくりと俺のもとへ歩み寄る。
見下ろすその瞳に生気は感じられず、思わず目を背けた。
「拍子抜けだけど仕方ない、とりあえず殺しておこうか」
ばあさんがそういって杖を持っている手首をほんの少しひねると、より息がしづらくなる。
脳に酸素がいきわたらず、気絶しそうになったその時、頭上をなにかが高速で通過した。
その瞬間、なぜか俺は呼吸を取り戻し、何度か大きく深呼吸をする。
「い、いまのなんだ……」
ばあさんはすぐ目の前まで迫ってきていたのに、どうしてか俺と距離を取っている。
俺を見据えていたはずの視線は、今は俺の背後へと向いている。
「私の生徒に、なにをしているんですか、ご老体」
俺はその声に聞き覚えがあった。それもそうだ、迷宮に入る前に聞いた、穏やかな声。
緊迫するこの状況においてその性質は、一層の安堵を与えてくれる。
体から力が抜け、俺は座ったままその声の方を見た。
「クロウ先生……遅いですよ」
「これでも、急いだ方なのですよ」




