第36話 謎の声
おかしい。体に痛みがない。
それに、重さも感じない。
一体何が起きたんだ。
目を開けると、真っ暗だった視界はなぜか開けていて、上を見上げた。
俺の体を優に覆い隠すほどのハンマーがあったはずが、今は、まるでそこだけが切り取られたかかのように、槌頭だけが消滅している。
しかしそれは途中に過ぎず、柄の部分も黒い粒子と化していき、やがては化け物の右腕ごとまるっと溶けていった。
何が起こったのかわからず、アリアの方を見た。しかし、アリアはまだ詠唱している最中だ。次いでミラの方をみたが、相変わらずへたっている。
じゃあ誰が……。
「うがあああああああああああ!!!!!!」
腑抜けたような口調だった化け物にとっても想定外のことだったらしく、大声で悶えている。
そういえば、死の間際、聞き覚えのない声が聞こえてきたような……。
「お前、なにした、おでになにしたああ!」
まるで癇癪を起した子どものように地団駄を踏む化け物。
「もうあそぶの辞めだ、殺す、殺すう!!」
地団駄する地面から再び土蛇が姿を現す。
まったく芸のない奴だ。
何が起きたかを考えることはやめて、再び剣に魔力を込める。
光を取り戻したイシュ=バラダインを握り、力を振り絞って走り出す。
しかし、走り出してすぐ、俺は化け物が言っていた言葉の意味を理解する。
土蛇の挙動が全く読めない。
変幻自在な動きでこちらに向かってくるそれらを目の前に、俺はなすすべなく立ち尽くす。
おそらくどれかを斬っている間に、別の土蛇にやられる。
「わかったかあ、さっきは遊んでやってただけだあ!」
足を止めた俺の周りには数多の土蛇。
そして、同時に襲い掛かってくる。
「――くそ、が!」
何度目だろう、死の覚悟を決めたがそれは無駄に終わる。
「――待たせたわ」
アリアが言った。そうか、もう、3分たったのか。
自信に満ちたその声に、安堵する。
「万象を圧し潰す深海の畏怖――海淵の界牢」
言い終えると同時に、眼前まで迫っていた土蛇たちはまるでなにかに押さえつけられるように地に伏せた。
――何が起きた。
土蛇の親玉である化け物も、なぜか地面にあおむけになっている。
「う、ううあ……!!」
「こ、これは一体……」
「私の伝導器は水そのもの。海淵の界牢は、宙に舞う水蒸気に魔力を通し、水の流れを操り疑似的に深海と同様の水圧を生み出す。たとえあれほどの化け物でもそう簡単には動けない」
まるでひっくり返った蝉のように一歩も動けなくなった化け物。これなら、俺の剣も届く。
「ありがとう、アリア」
「早くして。もう、魔力が尽きる」
最後の力を振り絞り、バラダインに魔力を流し込む。
光り輝く剣を手に、化け物に向かって走り出す。
うめき声をあげるその体に、俺は容赦なく剣を突き立てた。
剣は化け物の腹を突き破り、地面にまで届いた。
これで――
勝利を確信したその時、刺した腹から煙が噴き出した。
「――ッ!」
その異様な光景に、剣を差したまま俺は後ずさりする。
「もう許さねええ、死ね、死ね、死ねえ!」
煙は化け物を中心に段々と広がる。溶液を吐き出していたところをみるに、あの煙が体に毒なことは自明だ。
アリアはもう魔力を使い切ってしまい、俺と同様、煙に押し込まれるように後ずさる。
そうしてすぐ、背中に土壁の感触があった。
ここまで頑張ったのに……。一等星魔法使いでも太刀打ちできるかどうかという相手にとどめの一撃を刺すことが出来たというのに……。
最後は毒かよ……。
眼前まで迫る毒の霧からできる限り逃げようと土壁ににじり寄る。
も、もう駄目だ。
…………おかしい。なぜか、霧が勢いを止めた。
もう、この空間を全て支配していてもおかしくない毒の霧が、なぜ……。
もしかして、あの化け物がまた遊んでいるのか。
しかし、その原因はすぐに明らかになる。
「……おふたりとも、ごめんなさい。私も、私も戦います」
声のなる方をみると、ずっとへたりこんでいたミラがその足で立ち上がり、弓を構えている。
しかし、弦に矢はかかっていない。
無秩序に広がり続けていた毒の霧は、まるで掃除機に吸い込まれているかのように、ミラの元へ集約する。
辺りに広がり続けていた毒の霧は、矢の形へ姿をかえ、つがえる。
「あるべき場所へ帰りなさい――」
一点に集まった毒の矢が放たれる。
飛んでいく途中で、矢は蛇へと姿を変える。
自分の巣に戻っていくように、毒蛇は化け物の腹へと突っ込んでいった。
内臓をかき回すように暴れて、体が痙攣している。
「シオンくん、今です! 焔玉を!」
ミラの言葉に背中を押され、俺は走り出した。
化け物の腹に突き立った剣を手に、最後の魔力を流し込む。
「焼き焦がせ――焔玉ァ!!」
体内に感じていた魔力を全て込めた。腹の中は炎で燃え上がり、小爆発を引き起こす。
そのせいで、俺の体はアリアの近くまでふっとんだ。
怪物の方へ目をやると、炎は広がり、やがて全身に回る。
もう、苦しむ声も聞こえてこない。
これで、ようやく終わりだ。勝った、俺たちは、勝ったんだ――。
「ミラ、ありがとう。アリアも、俺たちの誰かひとりでも欠けていたら、勝てなかったはずだ。本当に、ありが……」
最後まで言い切れず、倒れそうになる。
しかし、アリアが俺を受け止めてくれた。
「す、すまない、アリア」
「……まあ、及第点ってところね」
周りを囲んでいた土壁がぼろぼろと崩れ始める。
風駆の小瓶で負傷者が運び出されたことによって、外に異常事態は伝わっているだろう。
通常であれば、俺たちはここで助けを待つべきだ。
しかし、そうするわけにもいかない。
俺たちの真の目的は、攫われたリンを取り戻すことなのだから。
だけど、満身創痍の俺たちに、それが可能なのだろうか。
目を閉じて、体内に残る魔力に意識を向ける。
残念なことに、もう何も感じない。
迷宮内で魔法を使えないことは致命傷だ。
しかし、それがリンを見捨てていい理由にはならない。
俺は立ち上がり、一歩を踏み出す。
「行かないと……リン……」
「シオンくん……」
「勇者シオン、今は助けを待つべきだ」
「俺は、行かないといけないんだ……」
一歩、また一歩と足を進める。
もしかしたら、リンをさらった連中にでくわす前に殺されるかもしれない。
それでも俺は、この歩みを止めるわけにはいかない。
それがせめてもの、罪滅ぼしなんだ。
また一歩、歩を進めようと思ったその時だった。
目の前の暗がりから、こちらに近づいてくる足音が耳に入る。
なにかが、こちらに来ている。
俺は歩みを止めて、その暗がりを睨みつけた。
明らかに、助けに来た者ではないと確信があったからだ。
異常なまでの、殺気――
暗がりから現れた人物は、まったく予想だにしない人物だった。
「ど、どうしてあんたが――」
「おやおや、どうしてこんなにボロボロになっているんだい」
暗がりから姿を現したのは、腰を90度近く曲げ杖をつく、城下町にいた青果店のおばあちゃんだった。




