12月20日
『あなたには、ゲームに参加する権利があります』
昨夜の少女の言葉を、ぼんやり思い出す。
『私のパートナーとなって、ゲームに勝ち抜けば…願い事を何でも一つ、叶えることが出来るのです』
「願い事………ねぇ」
ウンディーネと名乗った少女…もとい、精霊の体は、水面に浮いているようだった。
だけど…あの子は映像なんかじゃなく、ちゃんと実体を持っていた。
そんなこと…現実にあるわけない。
夢でも見たのだろうか…
だけど。
ポケットから…石を取り出す。
「これがあるってことは、やっぱ…夢じゃないんだよな」
つるつるした丸い石を均等に四つに砕いたような、そんな形。
『その石を守り、他の精霊に勝利すれば、より高位の精霊が召喚され、あなたの願いを聞き入れてくれるでしょう』
『何でそんなこと、俺に教えてくれるんだ?』
俺の問いかけに、彼女は躊躇うように俯く。
そしてしばらく黙り込んだ後…囁くように言った。
『私は…その石を守るよう、召喚主に言い渡されています。ゲームに負け、石を奪われれば…この身体は消滅してしまう』
悲しそうな少女の横顔に…どきりとした。
『私、あとどのくらい…生きられるのかな』
あの時………
そうつぶやいた姉ちゃんと…彼女の姿が重なった。
『ゲームに…勝てたら?』
『おそらく…召喚させる前にいた世界へ、帰ることが出来るのだと思います』
寂しそうな瞳の少女に、思わず尋ねる。
『君………帰りたいの?』
はっとした表情で、俺をじっと見つめる。
息が止まりそうなひと時の後。
ウンディーネは小さく頷いた。
『仁…私には、あなたの力が必要なのです。私と一緒に…戦ってくれませんか?』
携帯が鳴り出して、我に返る。
電話はクラスの友達からだった。
『映画行こうぜ!今日こそは付き合えよな!』
「ああ…わかった」
『一晩考えさせてくれ』
昨夜そう言って、ウンディーネの元を後にした。
『では…明日の夜またここで』
約束通り、一晩考えてみたけど…
いくら考えたって、解決出来る問題じゃない。
とりあえず俺は、友達に会って、気分を変えてみることにした。
電車に揺られながら、ぼんやり窓の外を見る。
だいたい、叶えて欲しい願い事なんて………
『姉ちゃんを生き返らせてくれ』って言ったら…あいつは何て言うだろう。
けど…
ウンディーネの寂しそうな顔が脳裏に浮かぶ。
帰りたいって言ってたな、あの子…
元の世界には…親とか友達とか、兄弟とか…大事な人達が沢山いたんだろう。
なのに、『召喚主』とやらの身勝手で、こんな誰も知らない世界に、一人呼び出されて…
あの泉で、ずっと誰かを待ってたんだ。
俺や、姉ちゃんが…気づくまで。ずっとずっと長い間。
終点を告げるアナウンスが流れる。
慌てて大勢の人の流れにのり、電車を降りた。
時計を見ると、友達との待ち合わせまではまだ少し、時間がある。
クリスマスを控えた街は、華やいだ雰囲気に包まれていて、何もなくても何となくそわそわしてしまう。
「とりあえず…靴でも見に行くかな」
誰に言うでもなくつぶやいて、エスカレーターを降りる。
視線をスニーカーに落とす。
大分痛んできているので、クリスマスだからと言えば買ってもらえると思う。
そして、きっと…母さんは言うだろう。
『プレゼントしてくれるガールフレンドとかいないの?』とかなんとか。
ちょっと面倒臭い気がして…思わず一つ、ため息をつく。
姉ちゃんが生きてたら…そんな風に俺の事、からかったりしただろうか?
そんな事を考え始めたら、昨日グラウンドで会った不知火先輩の横顔を思い出した。
あの人は真面目だから、妹をからかったりはしないだろう。
まぁ、例えしたとしても…当の妹はゲームが恋人みたいな奴だし、からかい甲斐はないかもしれないな。
と………その時。
目の前に立っている少女に、視線が釘付けになる。
「あんた何馬鹿言ってんの!?そんなこと出来る訳ないでしょ常識的に考えて!」
空に向かって、大声で怒鳴っているのは………
その…妹だった。
「不知火…何してんだ?」
声掛けない方がいいかな…と思った時には既に、その言葉が口をついて出ていた。
不知火は耳まで真っ赤にして、あ………とつぶやく。
「誰としゃべってたんだ?今…」
「あ、いやその………あれぇ…私何してたんだろ!?」
見事な狼狽っぷりで更に周囲の視線を集めた後、彼女は両手を合わせて俺を拝んだ。
「ねぇ水月、お願い!今見たことは誰にも言わないで!」
「…はぁ?」
「だからぁ!クラスの子とかに言いふらさないでって…お願いしてるんだってば!!!」
言いふらさないでって…
ゲーム好きが高じて…ついに妙な電波でも拾うようになってしまったんだろうか?
それとも…昨日買ったゲーム絡みで、何か空想でもしてたのか。
よくわからないけど………
「いいよ」
とりあえず…友達に話して気持ちの良い話ではないし。
ほっとしたように笑って、そうだ!と彼女は手を叩く。
「水月ってさ…シューティングゲームとかって、得意?」
「………は?」
期待に満ちた、きらきらした目。
さっきの動揺は、一体どこへ行ってしまったのか。
本当…変な奴。
「別にすげぇ得意なわけじゃないけど…友達何人かでやってて、一番最後まで生き残れるくらいには、得意かな」
促すような目に乗せられて、つい…すらすら答えてしまう。
すると。
やった!というように指を鳴らして、不知火は俺の腕を掴んだ。
「ねえ水月、もう一つお願いがあるの!」
「………何だよ?」
彼女はさっき同様両手を合わせ、今度は明るい声で言った。
「シューティングゲーム、教えて!」
何回かプレイして、財布の小銭が尽きた頃。
休憩しよっか?という不知火の提案に乗り、近くのファーストフード店に入った。
「注文してくるからちょっと待ってて!何なら、席取っててくれてもいいけどっ」
それは…席を取っておけっていうことか。
まぁでも…奢ってくれるっていうんだし、いいか。
店の階段を上がる途中で、ポケットの携帯が鳴る。
『今どこ?』
友達からのメール。
そうだ…映画。
今から行けば、間に合うことは間に合うが…
『ごめん!急用出来たから、また今度』
そう返信して、携帯をバッグにしまう。
どうせ即座に電話がかかってきて、何だ?女か?とか何とか…面倒なことを聞かれるのは目に見えてる。
窓際の席に腰掛け、しばらく待つと、不知火の暢気な声が飛んできた。
「はーい、お待ちどおさまっ」
ポテトとコーラの載ったトレイをテーブルに置いて、あー疲れた!と伸びをする。
首をコキコキ鳴らすのに合わせて、二つに分けた長い髪がふわふわ揺れた。
「ここんとこ運動不足気味だから、大騒ぎしたら疲れちゃった」
「…あんなの運動したうちに入んねーよ」
さっきの口止め料と講義料にしては安いな…とちらりと思ったが。
懐が寂しいのはお互い様だろうし、まぁ文句は言えまい。
しばらく無言でポテトを貪った後、で…と彼女は真面目な顔で俺に向き直る。
「どうでした!?先生!!!」
「…どうって………ひどいな」
はっきり言って、二人プレイである必要がないくらいの状態だった。
ひどいときには、銃口が画面を向いてすらいない。
誰かに教えを乞おうという気になるのも頷ける。
「ねえねえ!どうやったらあんたみたいになれるの!?」
「どうやったらって、なぁ…」
あれは…どこをどう直す、というレベルの話じゃない。
敵が出てくると、パニクってきゃあきゃあ騒ぐだけで、スクリーンは全く直視していないように見えた。
お前は敵を狙ってない、と指摘すると、彼女は不満げに首を振る。
「…狙ってるわよぉ」
「いーや狙ってない。目の前に沢山現れた時とか、『とりあえず沢山撃っときゃ当たるだろう』って風に見えたぜ?」
図星をついたようで、彼女は気まずそうな顔をしたが…
すぐ、居直った風に威勢よく言い返してきた。
「………だって、一匹狙ってたら違うところから狙われちゃうじゃない!?」
「でも結局一匹も倒せなければ、そんだけダメージ受けるんだぞ」
きょとんとした目で俺を見て、そっか…とつぶやき、しょんぼりする不知火。
…ちょっと、言いすぎたかな。
さすがに少し反省して、優しい口調で声を掛けてみる。
「俺がちゃんと援護しててやるから、今度はちゃんと狙って撃ってみろよ。一番近くにいるやつから、落ち着いて一匹ずつ、な」
「…まだ、付き合ってくれるの!?」
目を輝かせる彼女に…ため息をつく。
ころころ表情が変わって、忙しい奴だ。
「しょうがないだろ。観るつもりだった映画、もう始まっちゃったし」
げ、とつぶやいて、彼女は小声でこわごわ尋ねる。
「ひょっとして………デート…すっぽかしちゃったってこと?」
「そうじゃねえよ」
呆れて思わず顔が緩んでしまう。
そんな大事な用があったら、お前のゲームなんかに付き合ったりするもんか。
「クラスの奴らだよ。さっき電話あったんだけど、急用出来たからって断った」
「…よかったの?」
よかったの…か。
昨日もボーリングすっぽかしたばかりだし…ノープロブレム、とは言いがたい状況だけど。
「別に映画観たいって気分でもなかったし…」
『明日の夜、またここで…』
ウンディーネは、そう言って微笑んだ。
今日の夜。
あの場所へ行くべきか、行かざるべきか…
ゲーム…か。
彼女の言い方からすると、『ゲーム』というのは、不知火が好きなテレビゲームとかというよりはむしろ、競技とか勝負とか…そういった意味だろう。
勝敗を決する方法は何なんだろう。
そして…敗者はどうなってしまうのか。
やっぱり、死んでしまうのだろうか。
それとも…
よくあるファンタジー映画よろしく、悪党が勝者になったら世界が滅亡してしまう…とか。
そんな厄介そうな『ゲーム』に首を突っ込むなんて、どうかしてるとしか言いようが無い。
でも………
「ねえ、水月!?」
目の前に突き出された手にびっくりして、不知火の顔を凝視してしまう。
「ごめん、ちょっと…考え事してた」
怪訝そうな表情の不知火の口からは、『どんな?』とか『何の?』とか…今にも質問が矢継ぎ早に飛んできそうだった。
ひょっとしたら『ゲーム』に興味を示すのは、俺より不知火なのかも知れないけど。
「…で」
コホン、と咳払いをして、話題を変える。
「お前のほうこそ、どういうことなんだ?」
「…何が?」
不知火が得意なのは、家に閉じこもってパソコンとかテレビに向かってやるゲームであって、こんな風に街中でやるゲームではないのだろう。
普通、女の子がゲーセンに行く理由って考えると…
やっぱり、デートじゃないだろうか。
「普通の女子だったら、あんなもん上手くなくたって困りはしないんだろうけど…ゲーマーを名乗る不知火としてはやっぱ、出来なきゃ格好付かないってとこ?」
「格好って…誰に?」
すっとぼけた様子の不知火に、とどめの質問をぶつけてみる。
「一緒に、シューティングゲームやりたい男がいるってことだろ?」
「あんた何言ってんの!?」
不知火は突然素っ頓狂な声を上げ、テーブルをものすごい勢いで叩く。
周囲の視線が一斉に俺達に注がれ、フロアはしん…と静まり返った。
少し恥ずかしくなって…俺は首をすくめるが。
彼女はそんなことなどお構いなしで、そんなんじゃないわよ…と不機嫌そうにつぶやく。
「本当かぁ?」
「本当!もう…急に意味わかんないこと言わないでくれる!?びっくりしたじゃない」
「………そうか」
多分、お前よりも周りの客の方が…びっくりしたと思うんだけど。
「じゃあ、何なんだ?」
それは…とつぶやいて。
彼女は視線を天井に向けた。
何か真剣に考えてる様子で、じっと一点を睨んでいる。
そのまま…しばらく時間が経過する。
シューティングゲームが上手くなりたい理由一つ説明するのに、そんな大それた理由が必要とは、到底思えないんだが…
やっぱり変な奴だ…と思いながら見つめる俺に、彼女は心底困ったような視線を向けた。
「うまく説明出来ないんだけど…」
やっと口を開いたはいいが、その口調はしどろもどろで…
やっぱり何か…隠そうとしているみたいだ。
「訳あって…どうしてもシューティングゲームの腕を上げなくちゃならなくて…これは…これはね………うーん」
「…何だよ、訳って」
腕組みをして、またしばらく黙り込んだ後。
何か名案がひらめいたらしく、不知火の瞳がきらっと光った。
「これは…一つの課せられたミッションなの」
「…ミッション?」
「そう。ゲームをクリアする上で、どうしても越えなくちゃならない壁っていうか…」
「…ゲーム」
俺の動揺は………彼女に伝わってしまっただろうか。
今…確かに不知火は『ゲーム』と言った。
『あなたには、ゲームに参加する権利があります』
ウンディーネの言葉と…同じ。
まさか………不知火も?
「そんなゲームに、不知火は参加してるのか?」
恐る恐る尋ねると、そう!と彼女は明るく頷いた。
「そうなの。普通はゲームってオンラインでやるけど…あれよ、オフでカードバトルやったりとかするじゃない!?ああいうのと同じ」
「オフ…?」
「オフって言ったらオフライン、ネット上じゃなくて現実にって意味に決まってるでしょ?だから…今日は助かったわ、水月のお陰で!」
満面の笑みで感謝の意を表す不知火。
オフ………知るかよ、そんなもん。
でも………そうだよな。
まさかな。
「まあ…いいや」
不知火が敵だなんて考えるのは、あまり気持ちのいいことじゃない。
少しほっとして、ごちそうさま!と手を合わせる。
「じゃ、特訓再開と行くか…礼は上手くなってから、言ってもらわないとな」
「おっけー!よろしくお願いしますっ」
その後、何回か両替機のお世話になって…
不知火は最初の頃と比べると、大分上手くなった。
そろそろ帰らなきゃ、と腕時計を見て、彼女はにっこり笑った。
「本当に今日はありがとね!水月」
「ああ。俺も結構楽しかったよ」
映画を観るより出費は嵩んだけど…映画を観るより気晴らしになった。
ただ…
不知火がしきりに周囲を気にしている風だったのが、なんとなく気がかりだった。
それに、『ゲーム』という言葉も。
ふと、ウンディーネに会った時のことを思い出し、バッグから携帯を取り出した。
ソフトを起動して…カメラ越しに不知火を見てみる。
と………
はっとした。
彼女の肩のあたり。
カメラに写ったのは…黒髪で浅黒い肌の男の姿。
空中に浮いているようなその様子は、昨夜のウンディーネと同じ。
全身から力が抜けるような感覚。
「………やっぱり」
『ゲーム』。
そうなのか。
けど………あいつが言っていたことと、ウンディーネが言っていたことは、何だか大きくかけ離れているような気がする。
シューティングゲーム?
そんなものが…ゲームに必要なのだろうか。
不知火が参加しているということは…俺は、あいつと戦わなきゃならないのだろうか。
あいつは、不知火先輩の妹なんだぞ?
それに、不知火先輩は…姉ちゃんの親友だった人だ。
どうしたらいいんだろう。
そうだ。こんなゲーム、参加しなければ…
『あなたの力が必要』
昨夜のウンディーネの…姉ちゃんに良く似たあの声が、頭に響く。
全身に溜まった重苦しい空気を追い出すように、大きく一つ深呼吸をする。
「とにかく………今夜行ってみなきゃ、何も始まらないよな」
俺の姿を見て、ウンディーネはとても嬉しそうな顔をした。
「来てくれたのですね!?仁」
だが…石を突き出す俺に、彼女は一瞬で表情を硬くする。
「まずは…俺の話を聞いてくれ」
俺は、不知火の話をした。
そして…あの浅黒い肌の男の話も。
彼女は深刻な表情で、そうですか…とつぶやく。
「それは…炎の精霊サラマンドラです。おそらくその少女は」
「その、サラマンドラって奴の…パートナーってことなんだろ?」
ウンディーネは困ったように俺を見つめ、小さく頷く。
「俺、あいつと戦うなんて…出来ないんだ。同じ学校に通ってるし、まぁ…友達だし。あいつは女だし…傷つけるわけにはいかない。それに…」
ありがとね、と笑った不知火の顔を思い出す。
「あいつ…そんな大変なことだって分かってなくて、ゲームに参加してるんじゃないかな?もしそうだとしたら…参加するかどうかは別としても、俺あいつのこと…止めてやらなきゃ」
「…ですが」
黙って俺の話を聞いていたウンディーネは、厳しい表情で俺を見た。
「サラマンドラの攻めの魔術は、他の三精霊を遥かに凌いでいます。彼女が魔術の扱いに不慣れだとしても、おそらく簡単に負けることはないでしょう」
「魔術にも…攻めと守りがあるのか?」
「ええ。守りの魔術に関しては…私がおそらく、一番上かと」
「…だったら、別に俺がいなくたって」
いえ、と彼女は首を振る。
「パートナーがいなくては、ゲームで勝ち残ることは出来ません。パートナーとなる人間がいてはじめて、私達は実体化することが出来、その『賢者の石』に触れることが出来る…パートナーがいなければ、戦うことすら出来ず、『賢者の石』を奪われてしまうのです」
握っていた石を見つめる。
青く光るこの石…『賢者の石』っていうのか。
これを奪われるということは…彼女が消滅してしまうということ。
パートナー…か。
「その…シューティングゲームというものは、よくわからないのですが…おそらくサラマンドラは、そのすずという少女の適性に一番適った戦い方として、その方法を選んだのだと思います」
人によって、戦い方も異なるのか。
もう一度…尋ねる。
「それ………俺じゃなきゃ、駄目なのか?」
潤んだ青い瞳が、射抜くように俺を見つめる。
「私を見つけて名を呼んでくれたのは、仁…あなただけです。以前、幼い少女が私に話しかけてくれたことがありましたが…」
心臓が高鳴る。
『妖精を見たの』
………姉ちゃんのことだ。
「彼女はまだ幼過ぎて、ゲームのことが分からないようでした。だから…」
ウンディーネは、泣きそうな顔で俺を見て、深々と頭を下げた。
「お願いです!仁…私と一緒に戦ってください」
「戦うったって…」
『一体どうやって』と言いかけたその時。
びくっと彼女の体が震える。
「どうしたんだ?ウンディーネ…」
「結界の中に………誰かが」
青ざめた彼女に…
俺は、意を決して叫んだ。
「行こう!ウンディーネ」
「仁………」
「この石を…守るんだ!」
ウンディーネに連れられて行った先は…
さっき不知火と遊んだ街。
終電まではまだ時間があるし、年末で大賑わいのはずなのに…
バスターミナルには、全く人気がなかった。
時が止まってしまったかのような静寂の中。
一人の男が立っていた。
黒のパーカーにジーンズ姿の、長身で細身の男。
フードを目深に被っているので、顔は暗くなっていてよく見えない。
ただ…一つだけわかったこと。
その男は、ウンディーネやさっきのサラマンドラとは違う。
………人間だった。
「…水の精霊ウンディーネ」
歌でも歌うように、男は滑らかな調子で言う。
「そして…坊やがそのパートナーってわけ」
声からして、20代くらいの若い男のようだ。
「お前は………?」
「俺?」
ふっ、と笑って男は答える。
「俺は…風の精霊シルフィードの…パートナーだよ」
「で………その…シルフィードってのは、一体どこに隠れてるんだ?」
「…どこにも隠れちゃいないよ」
楽しそうに言って…男は黒いフードの下で、にやりと笑った。
「素人のチビくん相手なら…俺一人で十分だからね」
その瞬間。
ものすごい風が吹いて、体が数メートル後方に吹っ飛んだ。
「いっ………!」
アスファルトに叩きつけられ、一瞬息が出来なくなる。
「仁!!!」
悲鳴を上げるウンディーネに、男が静かに近づく。
「さ…石を渡してもらおうかな?」
はっとした顔をして。
ウンディーネは何か唱え、両手を天にかざした。
滝のような轟音と共に、彼女の目の前に厚い水の壁が出来る。
水しぶきを避けるように、腕で顔を覆いながら、楽しそうに男は叫ぶ。
「そう!さすが鉄壁の守りのウンディーネ…そうこなくっちゃね!!!」
男がかざした手の先端から、かまいたちのようなものが幾重にも重なり合って飛んでくる。
風の刃は水の壁を切り刻もうと襲い掛かり、激しい水しぶきが幾つも上がる。
苦しそうに、顔を歪めるウンディーネ。
「うう………」
「まだまだ!」
男は両手を天にかざし…その手をウンディーネの方に向ける。
すると、空圧の塊のようなものが水の壁を貫き、そして…
彼女の体を貫いた。
「うっ………」
「ウンディーネ!!!」
腹を押さえてうずくまるウンディーネに、急いで駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「え…ええ………でも………危ない!」
叫ぶ彼女を抱え、飛んできた風の刃を避ける。
男は俺を見て、愉快そうに口笛を吹く。
「へぇ…なかなかやるじゃん」
「お前っ………」
反撃しなくては。
でも………やり方が分からない。
その時、俺と男の間に水の柱が幾つも発生する。
見ると、ウンディーネは苦しそうな息の中、何か懸命に唱えていた。
「ウンディーネ!」
「…これで………少しは………攻撃を防ぐことが」
「けど…お前………怪我してるのに」
彼女の腹部からは、人間と同じ…真っ赤な血が流れ続けている。
「仁………一緒に………戦ってなんて言って、私………こんな」
彼女の目に涙が滲む。
悔し涙だろうか。
水柱は風の刃に切り裂かれ、一つ、また一つと消えていってしまう。
このままじゃ………
ごめんなさい…と涙声で言って俯く彼女の肩を、強く揺さぶる。
「諦めちゃ駄目だ!」
「………仁」
「俺に戦い方を…教えてくれ」
最初からあの男のようにはいかないだろう。
だけど………
「ウンディーネ、頼む!」
彼女はぐっと唇を噛んで、また何か小声で唱えた。
そして…強い眼差しで俺を見る。
「仁………球体をイメージしてください」
「球体!?」
頷いて、彼女は依然攻撃を続ける男を、じっと見据えた。
「手の平に…球体があるとイメージして、それを………あの男に」
………そうか。
ボール。
荒れ狂う風の中、大きく息を吸い込んで。
マウンドに立つように、ぐっと足を踏みしめる。
右手の中には…野球より二回りくらい大きい、水のボールが握られていた。
「…ストレートだ」
自分に言い聞かせるように…つぶやく。
勝負はこの一球。
九回裏、2アウト満塁。
あの日、俺の手を離れたボールは…
最終打者のバットに、まるで吸い込まれるようにヒットしたのだった。
それ以来俺は、ピッチャーマウンドに立つことをやめた。
どうしても…姉ちゃんが死んだ、あの日の試合を思い出してしまう。
トラウマなんて簡単な言葉では、言い表すことが出来ない。
…恐怖だった。
けど………
傷を抑えてうずくまりながら、必死に呪文を唱え続けているウンディーネ。
彼女を…このまま消滅させるわけにはいかない。
約束したんだ…守るって。
「行くぞ!!!」
大きく振りかぶって…
投げた。
その瞬間、水の球は更に大きさを増し。
猛スピードで男に向かって走る。
はっとした表情の男。
その体は、水の塊に大きく吹き飛ばされる。
………筈だった。
水の塊は、突如起こった大きな竜巻にぶつかって…弾けた。
「…間に合ったようですね」
穏やかな女性の声。
見ると、男の傍らに、ブロンドの長髪の女性が立っている。
「シルフィード…」
苦しそうに、ウンディーネがつぶやく。
あらあら…と困ったように笑って、シルフィードと呼ばれた女性は言う。
「ウンディーネ…長い眠りから醒めたばかりで、少し…体が鈍っていたようですね」
そして、彼女は興味深そうに目を見開き、俺の方をじっと見た。
「初めてにしては、なかなか…お見事でした。ウンディーネのパートナー」
ぐっと歯を食いしばって、ウンディーネの前に立ちはだかる。
「まだ…やる気なんだろ?」
その時。
フードの男が、愉快そうに大声で笑った。
「まあまあ、そう怖い顔するなよ…」
静かに前に進み出て、俺の前に立つ。
「今日は様子見。明日は早いし…この辺にしといてやるからさ」
「今日は…って」
「明日の夜」
彼は東の方にある、電化製品の店が軒を連ねる街の名を告げた。
「そこへおいで。きっと…面白いものが見れると思うよ」
じゃあね、と片手を挙げた彼の体は、ふわりと宙に舞い上がった。
シルフィードも彼に従って、空中に浮き上がる。
「…待て!!!」
空に消えていく男を…大声で呼び止める。
「お前…一体何者なんだ!?」
「俺…?」
男は振り返って、また…にやりと笑う。
相変わらず、顔は半分以上黒いフードに埋もれ、その全容を窺い知ることは出来ない。
「俺はね………風群睦月」
「風群…睦月?」
「そ………またね、水月仁くん」
こいつ………何で、俺の名を?
待て!と呼ぶ俺の声に、再びは答えることなく。
睦月と名乗った男とシルフィードは、ビルの立ち並ぶ街の遥か向こうへ…消えた。