12月19日
終礼が終わった。
起立、礼!の合図で、クラスメイト達は週末の空に解放されていく。
「おーい仁!これからボーリング行かね!?」
友達の浮き浮きした問いかけに、ごめん、と答える。
「俺、今から部活だから」
何だよぉ、と不満そうに別の友達が口を尖らせる。
「中3の冬なんだし、もう引退なんだと思ってたぜ」
「んー…別に受験あるわけじゃないからな。一応参加は任意だけど」
だったらサボれ、せっかくの土曜なんだぞ、と迫る友達に手を合わせて謝りながら、俺は鞄を抱えて廊下に出た。
すると…
「うわっ!!!」
「きゃあ!!!」
突然タックルされて、硬い廊下に尻餅をつく。
「…い…ててて………」
………何だ?
見ると、スライディングみたいに前のめりに倒れているのは…同級生の女子。
ぱっくり口を開けたディバックからは、ゲーム雑誌がはみ出している。
しばらく動かないので…少し心配になる。
「おい………大丈夫か?」
「う…うう………」
むくっと起き上がった彼女は、赤くなった膝小僧をさすりながら、恨めしそうに俺を見る。
「どこか…痛いとこないか?」
あれだけ派手に転んだのだから、下手すると骨にヒビが入ってるかもしれない。
「…大丈夫だよ。ありがと」
不機嫌そうにつぶやいて、不知火すずは鞄を肩にかけ、また走り出そうとする。
「おい、不知火!!!」
「…何よ、急いでるんだけど!?」
急いでるのは、見りゃ分かるけどさ…
「お前、ぶつかってきといて、ごめんなさいの一言もないのかよ?」
「あー…そうね、ごめんなさい」
不本意そうにそうつぶやいて、でもさ…と頭をかく。
「あんたもちょっとは悪いでしょ!?あんな風に後ずさりで教室出てきたりして…バックするときはちゃんと後方確認しなきゃ駄目だって、交通ルールではそうなってんのよ!」
…それは車の話だろうが。
「お前なぁ、それ以前の問題だ!『廊下は走るな』、ガキの頃から耳にタコが出来るぐらい聞かされてきただろ」
「あーもう!分かった!!!ごめんなさい!!!」
お説教は沢山、とでも言うように、不知火は両手の平を俺に向けた。
「…そんなに急いで、どこ行くんだよ?」
不知火は確か、塾も習い事もしてないはずだ。
彼氏もいないはずだし…急ぐ理由が全く分からない。
あまりに不思議だったので、聞いてみることにした。
彼女は少し顔を赤らめ…答える。
「…ゲーム屋」
「………ゲーム?」
一度口に出してしまうと、羞恥心も薄れるものらしい。
彼女は、そうよ!と開き直ったように腕組みをして、俺を見る。
「今日ね、ゲームの発売日なの!」
ゲーム?
思わず…ぽかんと不知火の顔を見つめてしまう。
「初回限定版、早く行かないと売り切れちゃうのよ。だから、今は一刻を争うってわけ」
そういうことだから、と俺の肩を叩いて、彼女はまた駆け出した。
「バイバイ、水月!また来週!!!」
「あ…ああ………」
彼女が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、俺は何となく…その後姿を見守っていた。
「気をつけろよ…また、転ぶぞ」
不知火すずは隣のクラスで、学年一、二を争うゲームオタクでもある。
RPGだろうが、格闘ゲームだろうが…
あろうことか…恋愛シュミレーションに至るまで、あいつの知識は半端ない。
『あそこまで詳しいと、さすがにひくよな』
みんなそう言って笑うけど、彼女はそんな評判物ともせずに、趣味の道をひた走っている。
オタクってのは…
なんかこう、もっと気持ち悪い感じなのかと思ってた。
不知火は一見すると、普通の同級生の女子と何ら変わるところはない。
強いて言えば、あんまり髪型とか化粧とか、そういうのに興味がないらしい…というくらいのもの。俺達はまだ中学生なんだし、そのくらいが丁度いいんだろうと思うし。
とにかく…変な奴だ。
アップのためにグラウンドを走っていたら、フェンスの向こうに珍しい姿を見つけた。
大きく右手を振って合図する。
「不知火せんぱーい、お久しぶりでーす!」
彼女は突然声をかけられたことにびっくりしたらしく、目を丸くして俺を見た。
そして、不意に野球部の先輩の名前を言う。
「練習来てる?」
「ああ、まだ部室だと思いますけど…何か?」
ええ、と少し戸惑うように笑って、一冊のノートを鞄から取り出す。
「これ、コピーさせてって頼まれてたんだけど…呼んできてもらってもいいかな?」
茶色い無地の表紙には、綺麗な文字で『数Ⅲ』と書いてある。
「月曜まで貸しててあげたいんだけど…テストがあって、勉強しなくちゃいけないのよね」
思わず、感嘆のため息を漏らしてしまう。
「真面目っすねぇ…相変わらず」
本当に…妹のすずとは大違いだ。
「そんなの、ノートなんて月曜でもいいと思いますよ?先輩多分土日で勉強なんてしないと思うし…」
そこまで言ったところで、後頭部にゴン!と鈍い痛みが走った。
背後では件の先輩が、怖い顔で俺を睨んでいる。
「いてぇ…だって先輩もう大学決まってるから、必要ないじゃないっすか」
彼は学校推薦を見事ゲットし、厳しい受験戦争から一足早く解放されたのである。
そんな訳で、高3で部活に参加しているのはその先輩だけだ。
「あのなぁ…成績悪いと、卒業危なくなるかもしんねえんだぞ!?いくら俺でも、テストの勉強くらいはやるっての!」
俺達のやり取りを珍しそうに見ていた不知火先輩は、微笑んでノートを彼に差し出す。
「はい、これ!ここで待ってるから、コピーしてまた返してね」
「あ…ああ!助かるよ、不知火さん」
学校の前のコンビニに走る先輩を見送って、彼女はグラウンドの片隅のベンチに腰掛ける。
俺も隣に腰掛けて、その分厚い眼鏡をじっと見つめた。
高校三年生…か。
「仁くん、すずと同じクラスだったっけ?」
「…え?いえ………隣です」
「そっか………中学三年生か」
つぶやいて、彼女はパーマもカラーもしていない、艶のある長い髪をかき上げる。
「もう…そんなに経つのね」
グランドの片隅では、ソフトボール部の女子部員達が黙々とキャッチボールをしていた。
「ひかりがいた頃はね…うちの女子ソフト、すっごく強かったのよ」
きっとその話になるだろうと…思っていた。
そりゃそうだ。姉ちゃんは、名ピッチャーだったのだから。
姉ちゃんがいなくなって、試合にも勝てなくなって…
女子ソフトボール部は、めっきり勢いが衰えてしまった。
中学三年生の、最後のソフトボールの大会。
そのグラウンドに立つことが出来なかった…姉ちゃん。
「仁くん、ポジションどこだっけ?」
「ライトです」
あら、と彼女は目を丸くする。
「小学生の頃は、ピッチャーやってなかった?」
「ええ…でも、才能ないんでやめました」
「…どうして?」
どうして?って………
「俺、コントロールが悪くて…中学入ってからはずーっと外野です」
「そうなの?『仁はコントロール抜群なのよ』って…ひかり、よく言ってたけど」
姉ちゃんが…そんなことを。
「プレッシャーに弱いんだよ」
振り返ると、さっきの先輩がノート片手に立っていた。
「何回か投げさせてみたんだけど…ここ一番、ストレートで抑えるって所で手元狂わしちゃってパァみたいなことばっかでさ」
「先輩…わざわざそんなこと、言わなくてもいいじゃないですか!?」
不知火先輩は、そうなの…と不思議そうにつぶやいて、彼からノートを受け取る。
「じゃあ、練習がんばってね」
にっこり笑ってそう言って、彼女は校門の方へと歩いていった。
その後姿は………やっぱり不知火とどこか似ている。
「おいっ」
先輩が肘で、俺の脇をつつく。
「…何だよ『仁くん』て!?」
…は?
好奇心いっぱいの目で、先輩は俺の顔を見つめる。
「お前…不知火さんとどういう関係なんだ!?」
「別に………どういう関係でもないっすよ」
「どういう関係もなくて、下の名前でくん付けなんかする不知火さんじゃないんだぞ!?」
先輩………不知火先輩に気があるんだろうか。
そうじゃねえけど、と彼は焦った口調で否定する。
「なんつーか…優等生だし、雰囲気も大和撫子っつーかさ………近寄り難いけどどこか気になる、みたいなことってあるだろ!?」
そういった意味で、不知火先輩は結構人気があるらしい。
「あの分厚い眼鏡外したら実はすごい美人でした!とか…あの子だったら期待できそうじゃね?妹も結構かわいいじゃん」
「…オタクですけどね」
で、と彼は俺の両肩に手を置く。
「どういう関係なんだ?」
「うーん………」
他人にこの話をする時は………実は結構気を遣う。
出来るだけ、湿っぽい感じにならないように…
高3の先輩に話す時は特に。先輩達は姉ちゃんのことを知っているのだから。
でも…そういえば、この先輩は高校編入組だったな、ということを思い出す。
だったらまぁ…そこまで気にしなくてもいいか。
「不知火先輩って、俺の姉貴の親友だったんですよ」
「姉貴?」
不思議そうに聞き返す彼に、こくりと頷く。
中学1年生の時同じクラスになって、何だか息が合ったらしい。
姉ちゃんは中学受験こそ頑張ったものの、昔から勉強が大嫌いだった。
それに、女子の硬式野球チームが無くて、泣く泣く始めたはずのソフトボールの魅力に、すっかり取り憑かれてしまったので、勉強なんかするはずもない。
そんな姉ちゃんを赤点から救ってくれたのが、何を隠そう特待生入学だった不知火先輩。
その代わりというか、あまりの優等生ぶりに敬遠されがちだった彼女を、クラスメイトの輪に引っ張り込んだのは、うちの姉ちゃんだったらしい。
そんなこんなで持ちつ持たれつの関係もあり、二人は無二の親友となった。
「うちにもよく遊びに来てましたし、友達の弟のこと『水月くん』とは呼ばないでしょ。だからじゃないっすか?」
「姉貴って………あ」
先輩は…どうやら気づいてしまったらしい。
何だか、気まずそうな顔をしている。
「わりぃ…何か………変なこと聞いちまって」
「いやいや、いいんです!もう、昔のことですから」
テレビに出てくる有名な俳優なんかがよく使う言葉。
『死ぬときは、舞台で死にたい』ってやつ。
姉ちゃんは割と…それに近かった。
中3になって初めてのソフトボールの試合。
相手は強豪校で、一進一退の手に汗握る攻防戦が繰り広げられた。
それは最終回。
最後のバッターをストライク三振に抑えた姉ちゃんは…
ピッチャーズサークルで………倒れた。
すぐさま病院に担ぎ込まれ、下された診断。
それは…急性白血病による、重度の貧血。
抗がん剤の副作用で帽子が手放せなくなった姉ちゃんは、友人達の面会を嫌がったが、不知火先輩だけは別だった。
『あーあ。早くまたユニフォーム着て、ボール投げたいなぁ』
不知火先輩は、姉ちゃんの愚痴をにこにこしながら聞いてくれていた。
『でも、仁が私の分まで頑張ってくれてるから、私も頑張ろうって思えるんだよね』
俺はそんな姉ちゃんに、何恥ずかしい事言ってんのって、言い返すのが日課だった。
そして、あの日。
少年野球の大会、決勝戦でマウンドに上がった俺。
「恥ずかしい言い方かもしんないですけど…姉貴は今も、俺ん中に生きてますからね」
この試合に勝てれば。
願いは叶うって、思ってたんだ。
あの頃の俺は………
久々にこんな話をしたら…
いつの間にか、ここに足が向かってしまっていた。
暗くなりかけた神社の境内には人気がなく静かで…
裏の竹林が風に吹かれ、さわさわ音を立てるだけ。
ガキの頃は、姉ちゃんとよくここで遊んだ。
小学校の校庭でキャッチボールをした時も、やっぱりここに寄り道して帰った。
『この神社の裏に小さな泉があるの、知ってる?』
立ち入り禁止になっているその泉が、この神社の御神体なのだそうだ。
『あの泉…水の妖精が棲んでるんだよ』
『…妖精???』
呆れ顔で聞き返す俺に、夢が無いなぁ…と姉ちゃんは眉をひそめた。
『そんなもん、いるわけないじゃん』
『いないって証拠もないでしょー?仁がまだ生まれる前、お父さんに連れて来てもらった時にね、見たの』
『見たって…親父も見たのかよ?』
『んーん…きっと大人には見えなかったのね。でも、確かに見たんだもん。ここには水の妖精がいるのよ』
聞こえる?と目を閉じて耳を澄ます。
『竹が風に揺れて、さわさわいう音…妖精に話しかけられてるみたいな気がしない?』
「今も俺ん中に生きてる………か」
死に目に会えなかったから…そう思うのかもしれない。
試合に負けて…駆けつけた時。
姉ちゃんはもう、息をしていなかった。
『仁には連絡しないで』
絶え絶えの息で、姉ちゃんはそう言ったのだという。
『大事な試合なの…だから…お願い』
姉ちゃんはきっと、俺と一緒にマウンドに立ってる気持ちだったんだと思う。
試合終了の合図と、姉ちゃんの臨終時刻は…ほぼ同時だったそうだ。
「妖精………か」
2歳か3歳の頃の記憶なんて、そうはっきりしたものじゃないだろう。
一体…
姉ちゃんは、何を見たんだろう。
戯れに、ポケットから携帯電話を取り出して…裏の竹林にかざしてみる。
最近やっと買ってもらった、新しい携帯電話。
カメラを起動してみる。
このカメラには、画期的な機能がついていて。
前に誰かがこの場所を同じ機種のカメラで撮影して、データに何か書き込んだとする。
すると、別の人のカメラにもその書き込みが写る…というのだ。
だが、残念なことに、この携帯を手に入れて以来色んな場所で試してみるが、一度もそんなものが見えたことはなかった。
「こんな片田舎でそんなもん、あるわけないとは思うけど…」
見えないものが写るカメラ。
ひょっとして、何か写るんじゃないか…なんて。
「そんな夢みたいな話…」
『夢がないなぁ』
姉ちゃんの声が頭に響く。
と。
その時だった。
竹林の入り口に写った文字。
『Let’s Play The GAME』
どきんと心臓が高鳴る。
「………ゲーム?」
立ち入り禁止の鎖をまたいで、その先を写してみる。
『あなたの力が必要です』
「何だよ…これ」
『私の名はウンディーネ』
『泉のほとりに立ち、私の名前を呼んでください』
「何なんだよ………」
怪訝に思いながら進むと。
そこには、姉ちゃんの言っていた通りの…小さな泉があった。
竹林がそのあたりだけ途切れており、月が水面に映し出されて明るい光を放っている。
さわさわという竹の音。
泉のほとりに立ってみる。
そして…辺りを見回す。
きっと誰かのいたずらだろう。
もしかしたら、その辺に隠しカメラがあって、離れたところから俺を見て笑っているのかもしれない。いや…そうに違いない。
「そうと分かって…やるのは馬鹿だよな」
そうつぶやいて、泉の水面を写してみる。
と。
『仁。私の名を呼びなさい』
………仁?
思わず携帯を落としそうになり、慌てて両手で握り締める。
心臓が止まるかと思った。
俺の名前…
出来過ぎてる。
姉ちゃんの言葉。
『水の妖精を見たの』
呆然としながら…
その名は、口をついて出てきた。
「………ウンディーネ」
その時だ。
目が眩むような、青い光が目の前を覆う。
「…何だ!?」
泉の水面が波立つ。
そして突如…水柱が上がった。
水しぶきに顔を叩かれながら、その中心を必死に見つめる。
「な…何なんだよ…これ!?」
目にしぶきが入り、よく見えない。
こんなの…いたずらにしては出来過ぎてる。
水の勢いで圧し潰されそうな恐怖に、足を踏ん張り歯を食いしばって、耐えた。
やがて水柱が収まり、水面も静かになる。
そこに…見たものは。
一人の少女。
俺と同じくらいの背丈の、同じくらいの年格好の、少女。
肩までの髪の色はシルバーに近く、くりっとした瞳の色は濃いブルー。
おおよそ、日本人とは思えない。
だが………
思わず…つぶやく。
「姉ちゃん………?」
不思議そうな顔で小首を傾げ、彼女は静かに俺に尋ねる。
「どうしたのですか?仁…」
「……………」
膝の力が抜けて、ドシン!と地面で腰を打つ。
尾てい骨から背骨を伝い、電流みたいな痛みが全身を走ったが…
そんなこと気にならないくらい、俺は動揺していた。
違っているのは髪と瞳の色だけ、と言っても過言ではない。
ウンディーネと名乗る、目の前の少女は…
俺の死んだ姉ちゃんと、瓜二つだった。




