気をつけろよ
大とは大の住む団地の前辺りで別れた。
「じゃあ、またあとでな」
と私に手を振る大は穏やかだ。
何よ…突然あんなことして、一体何なのよ…
と心中でぼやきながら、踵を返して家までランニングを再開する。
走りながら大に抱きしめられたことについて考えたが、大がなんだか元気になった気がしたので、あれくらい許してやるかという気持ちになった。
…ていうか、あんなところを誰かに見られたらどうするのよ?
まして、斎藤さんに見られたら、絶対に誤解されるじゃない…
朝日に照らされて、すっかり薄暗くなくなった風景を眺めながら、大のことを考えていた。
でも、昨日の試合会場で大を探しに行った時に見た光景はもう脳裏には浮かんでこなかった。
そのことに少しだけ安堵する。
家にたどり着き、玄関の扉を開ける。
「ただいま」
すると、玄関に和兄の姿があった。
「…あれ?お前いつの間に部屋のベッドからワープしたんだ…?しかも、パジャマじゃねぇし…」
案の定の和兄が私に驚いて、意味が分からないことを言い出した。
だけど、今は和兄のペースに合わせる気分でもないので、何も言い返さずに横を通り過ぎていく。
「シャワー浴びてくる」
と去り際に一言言い残す。
ジャージと下着を脱いで、浴室に入った。
久しぶりに朝から汗をかいた気がする。
シャワーの蛇口を捻り、シャワーの水を出しながらそう思った。
ぬるめの温度にしてあるので、なんとも心地よい。
…ん?よく考えていたら、さっきの私って汗臭くなかったのかな?
シャワーを浴びながら、そういえばと思い出す。
大とダッシュして、短い距離とはいえ割と汗をかいていた筈だ。
それに起きてから歯磨きや顔すら洗っていないのに…
そう思うと、なんだか申し訳なくなってきた。
…まっ、こんなガサツで汗臭い女を抱きしめた大が悪い。
シャワーを浴びながら、舌を出す。
「おい、ちえ!」
心中で大へ文句を言っていると、突然和兄の声が浴室の半透明の扉越しに聞こえてくる。
…えっ、何?
とシャワーの水を止めた。
「和兄?えっ、何?まさかモテなさすぎて、妹の裸を覗きに来たの!?」
と思わず身体を腕で隠す。
「阿呆か!俺はモテるし、そもそもお前は普段から家の中を裸で彷徨いてるだろうがっ!むしろ、少しは恥じらいを持てっ!もうガキじゃないんだから頭はともかく身体はあちこち成長してるんだからな」
扉越しに和兄が怒る。
「…やっぱりそういう目で見てたんだ。いやらしい…」
和兄の言葉の成長してるという箇所に反応する。
「お前なぁ…まあ、いいや俺もこう見えて割と忙しいんだ。お前に付き合っている暇はない…とりあえずお前に伝えたいことがあったんだよ。いいか?しばらくの間、気をつけろよ?」
和兄が珍しく真剣な口調で話す。
「気をつける?何を?」
「お前なぁ…」
私の返答に和兄の呆れた声が扉の向こうから聞こえてきた。
「ついこの前、巻き込まれたばかりだろ?あれはどう見ても誰かがお前を嵌めたんだって、夏美さんの事務所でそう話してただろうが…ほんと馬鹿の妹を持つと困る」
「…馬鹿って言うな」
とぶーたれる。
「とにかく気をつけろよ?また、お前に何かしてこようとしてくるかもしれないからな。てか、お前…何か恨まれる心当たりとかないのかよ?」
和兄の言葉にそんなのあるかなと手を顎下に当てて考える。
すると、脳裏にコウの取り巻きの女子たちを思い出す。
あの時も伊東さんがいなかったら、どうなっていたことやら…
「…思い当たる節がないこともない」
と素直に答える。
「…まあ、いいや。自分では知らないうちに誰かに恨まれていることってあるからな。とにかく忠告したぞ?変なことには極力首を突っ込まないようにするか、周りに相談しろよ?」
と和兄が言ったあと、浴室の半透明の扉越しに見えていた和兄の姿が消えた。
それを確認してから、再びシャワーを浴びる。
気をつけろか…
大とコウにも言われてた気がする。
まっ、しばらく用心はしときますかと、この時の私はどこか他人事に受け止めていた。




