EP 8
「店長は私だけのものだからね?」メロロンに嫉妬する血まみれマッハ姫への激甘な膝枕
ポポロ村の夜空を覆い尽くすほどの——漆黒の絶望。
それは、物理的な魔物の群れではなかった。
今まで村を優しく照らしていた美しい満月と無数の星々が、まるで黒いインクをぶちまけたように、不自然なほど分厚い暗雲によって完全に塗り潰されたのだ。
「月が……隠された?」
トーヤの隣で、フェイトが険しい顔で空を睨み上げた。
「間違いない、神の干渉だ。炎上神ワイズの野郎、明日の本隊突撃を前に、わざと天候を操作してきやがったな」
駆けつけてきたキャルルが、青ざめた顔でトーヤの袖をキツく掴んだ。
「店長……。月の光が、まったく感じられません」
月兎族にとって、月光は生命線である。特に、昨日の巨大死蟲機との戦いで「満月ハイ状態」になり、自らの寿命を削るほどのダメージを負ったキャルルにとって、月光による自然回復が絶たれることは、緩やかな死刑宣告に等しい。
ワイズと勇者ゼロスは、キャルルという最大の戦力を無力化するために、盤面をシステム(天候)側から物理的に操作してきたのだ。
「(……クソッ、なんて陰湿なクレーマーだ。アルバイトの体調不良をピンポイントで狙い撃ちするなんて、ブラック企業の手口そのものじゃないか)」
トーヤは怒りと極度のプレッシャーで、胃からせり上がってくる酸液を無理やり飲み込んだ。
どうする。キャルルが万全じゃない状態で、明日の昼、数千の死蟲機を迎え撃てるのか?
絶望がトーヤの心を支配しようとした、その時だった。
『……パパ。すごく、怖いお顔してる』
「……は?」
『頑張りすぎよ、パパ。私が癒やしてあげる。全部忘れて、私と一緒に甘い夢を見ましょう……?』
ふにゅん、と。
トーヤの足元に、信じられないほど芳醇で甘い香りを放つ、丸くて柔らかな物体がすり寄ってきた。
昼間、畑から出荷しそびれ、いつの間にか逃げ出していた魔性の果実——『完熟メロロン』である。
「お、おい! なんでお前がこんなところに!」
『パパの疲れきった心音が聞こえたの。私、パパのことならなんでも分かるわ。さあ、その重くて固い防弾チョッキを脱いで、私を優しく抱きしめて? 今日はボトルキープ、サービスしちゃうから……♡』
ぽよん、ぽよん、と豊満な果肉を揺らしながら、メロロンがトーヤの足にねっとりと絡みつく。
極上の催眠フェロモンが周囲に撒き散らされ、A級冒険者であるフェイトでさえ「おっふ……メロン、たまんねぇな……お持ち帰りしてぇ……」と顔をだらしなく緩ませていた。
——ピキィィィンッ!!
その場に、絶対零度の殺気が弾けた。
「……へえ。どこの泥棒猫か知らないけど、随分と図々しい果物ですね」
振り返ると、そこには一切の光を宿していない、虚無の瞳をしたキャルルが立っていた。
月光を絶たれ、フラフラのはずの彼女の体から、魔物すら裸足で逃げ出すほどのドス黒いヤンデレオーラが噴出している。
『あら? 小さなウサギさん。ごめんなさいね、パパは今、大人の包容力を求めてるの。子供はすっこんで——』
「——消し飛びなさい、不純物」
キャルルの手首がスナップし、愛用のダブルトンファーが空気を切り裂く。
「待て待て待てェッ! キャルル、ストップ!!」
トーヤは慌ててメロロンを蹴り飛ばし(フェイトが空中でナイスキャッチした)、キャルルの前に立ち塞がった。
「退いてください、店長。あのメロン、今すぐ『月影流・顎砕き』で粉砕してミックスジュースにして土に還します」
「落ち着け! ただの果物だろ! お前は今、体力が底をついてるんだ。こんなくだらない嫉妬で残りの闘気を使うな!」
トーヤの必死の説得に、キャルルはようやくトンファーを下ろした。
しかし、その大きな瞳には大粒の涙が浮かんでいる。
「だって……っ。私、店長のためにあんなに頑張ったのに……月が出なくて体も痛いのに……店長は、あんなキャバクラメロンに鼻の下を伸ばして……っ」
ポロポロと涙をこぼし、ピコピコと動いていたウサギの耳をしゅんと垂れ下げるキャルル。
それを見たトーヤは、大きなため息をつき、首を横に振った。
「フェイト、そのメロンは冷蔵庫に入れておけ。後でルナキンに出荷する」
「おう、しっかり冷やしてサケスキーのつまみにするわ。じゃあな、店長。お熱いことで」
フェイトは気を利かせて、メロロンを抱えたまま足早に自警団の詰め所へと去っていった。
トーヤは、タローマン製の分厚い防弾チョッキを脱ぎ捨て、近くにあった木箱の上にどっこいしょと腰を下ろした。
そして、自分の太ももをポンポンと叩く。
「……来い、キャルル」
「え……?」
「いいから、来い」
キャルルはおずおずと歩み寄り——トーヤの膝の上に、そっと頭を乗せた。
トーヤは、マジックポーチ(ドワーフ製・牛一頭が入る高級品)の中から、ルナ・イーツで取り寄せた『特製・激甘ニンジンジュース』と、ハニーかぼちゃの飴玉を取り出した。
「ほら、口を開けろ」
「あ、あーん……」
こくり、とジュースを飲ませる。極上の甘さが、キャルルの疲れ切った体に染み渡っていく。
トーヤは、キャルルの銀色の髪を、不器用な手つきでゆっくりと撫で始めた。
「……お前が一番頑張ってるのは、俺が一番よく知ってる」
「店長……」
「月が出てなくて不安だろうが、安心しろ。明日の防衛シフトは、お前が指一本動かさなくても勝てるように組んである。お前は俺の特別なアルバイト(仲間)だ。だから、今は俺の膝で、何も考えずに休め」
ドクン、ドクン。
キャルルの耳に、トーヤの心音が響く。
相変わらずビビりで、明日の戦いに恐怖している情けない心音。
しかし、キャルルを撫でるその温かい手と、「お前を守る」という決意の音には、海のように深い愛情と、1ミリの嘘もない誠実さが満ちていた。
「(ああ……やっぱり、店長は最高だ)」
キャルルは、心底幸せそうに目を細め、トーヤの腹部に顔をすり寄せた。
「店長は、私だけのものだからね……? もし他の子を膝枕なんかしたら、その子の足、粉々にへし折っちゃうから……」
「はいはい。わかったから、今は寝ろ」
重すぎるヤンデレの愛の囁きを、トーヤはクレーム処理で培った完璧なスルースキルで華麗に受け流し、ひたすらにキャルルの頭を撫で続けた。
やがて、キャルルは安心しきった寝息を立て始めた。
そして、数時間の静寂の後。
夜が明け、朝が訪れた。
しかし——太陽の光は、ポポロ村に差し込まなかった。
空を覆う漆黒の暗雲は晴れることなく、不気味な赤黒い雷光を瞬かせている。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!』
地鳴りのような、何千もの足音が、村の防壁の向こうから響いてくる。
トーヤは、膝の上で眠るキャルルを起こさないようにそっと立ち上がり、再び重い防弾チョッキを着直した。
インカムのスイッチを入れる。
「……おはようございます、店長。ついに本隊、来やがったぜ」
詰め所の屋根に登ったフェイトからの、極度の緊張を孕んだ報告。
「数は?」
「ざっと数千だ。空には死蛾機と死蝿機の群れ。地上には死甲虫機の重装甲部隊。……そのど真ん中に、ワイズの加護でステータスをバグらせた、黄金の課金勇者サマがふんぞり返ってる」
絶望的な戦力差。
恐怖で胃がねじ切れそうになる。
しかし、トーヤの目はもう震えていなかった。
「了解した。これより、ポポロ村の絶対防衛シフトを開始する」
トーヤは、タローマン製のメガホンを手に取り、大きく息を吸い込んだ。
「さあ、業務開始だ。最悪のクレーマーどもを、最高の過剰防衛で出迎えてやる!」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




