EP 4
嘘を見抜く月兎姫は、世界で一番ビビりで、世界で一番優しい元店長の『心音』に愛を誓う
ドクン、ドクン、ドクン。
キャルル・ムーンハートの耳に、激しく、不格好に乱高下する「心臓の音」が響いていた。
「おい、キャルル! しっかりしろ! 誰か、回復魔法を使える奴はいないのか! ルチアナ教会の神父を呼んでこい!!」
頭の上から、悲痛な叫び声が降ってくる。
ポポロ村のしがない裏方であり、ホームセンター『タローマン』のヘビーユーザー。そして、キャルルが「店長」と呼んで慕う男、秋月冬夜の声だ。
彼の腕の中に抱きとめられながら、キャルルは薄れゆく意識の中で、その心音に全神経を集中させていた。
(……ああ。店長、すごくビビってる)
月兎族——特に王族の血を濃く引くキャルルには、並外れた脚力とは別にもう一つ、特異な能力が備わっていた。
それは『超聴覚』。
ただ遠くの音が聞こえるだけではない。対象の脈拍、血流、呼吸のわずかな乱れから、その人間の『真実と嘘』を100パーセント見抜くことができるという、呪いのような才能だ。
かつてキャルルがいたレオンハート獣人王国の王宮は、この「嘘」で溢れ返っていた。
『キャルル姫、あなたは我が国の至宝です』
——(嘘。お前は他国を威圧するための便利な核兵器だ)
『どうか、私めの忠誠をお信じください』
——(嘘。お前と結婚して、王族としての権力を手に入れてやる)
美しい言葉の裏で鳴り響く、ドス黒く濁った醜い心音。
権力、欲望、打算。誰一人として、キャルルという『少女』を見てくれる者はいなかった。皆、マッハ1で敵を粉砕し、全回復魔法を使える『便利な道具』として彼女を扱おうとした。
それが嫌で、彼女はすべてを捨てて国を出た。
嘘つきばかりの王宮から逃げ出し、身分を隠して冒険者となり、辿り着いたのがこの辺境のポポロ村だったのだ。
「キャルル! 目を開けろ! 死ぬな、頼むから死なないでくれ……ッ!」
トーヤの声は、情けないほどに震えていた。
キャルルの超聴覚が、トーヤの心音と本音を容赦なく拾い上げる。
——ドクン、ドクン、ドクン。
(怖い。魔物が怖い。あんな巨大なカマキリ、夢に出そうだ。嫌だ、戦いたくない。痛いのは嫌だ。逃げ出したい。日本に帰りたい。安全な地下シェルターに引きこもって、震えていたい)
「(……ふふっ。店長は、本当に臆病で、世界一のビビリだなぁ)」
キャルルは血に染まった唇で、微かに微笑んだ。
魔力ゼロ。身体能力も一般人以下。口では立派なことを言っていても、その心臓は「怖い、逃げたい」という恐怖で悲鳴を上げている。
だが。
キャルルの超聴覚は、その『恐怖の心音』のさらに奥底に眠る、**『絶対に揺るがない強固な音』**を捉えていた。
「(……でも、村の皆は守る。絶対に守る)」
トーヤの心音が、ピタリと一貫したリズムを刻み始めた。
「俺は店長だ! 自分のシフトに入ってくれた仲間を、二度と理不尽に死なせたりしない! この村の全員、俺が責任を持って管理する! だから、お前も勝手に死ぬな!」
トーヤは、血まみれのキャルルの両肩を強く掴み、顔をくしゃくしゃにして叫んだ。
「俺がすべてのリスクを背負って盤面を作る! お前は俺の後ろで、ただ笑ってればいいんだ! だから……これ以上、お前の命を削るようなマネは、俺が絶対に許さない!!」
——ドクン、ドクン、ドクン。
キャルルは、大きく目を見開いた。
嘘がない。
1ミリも、1ミクロンも、欠片ほどの打算もない。
トーヤの心臓は、相変わらず恐怖で早鐘を打っている。
自分が傷つくことを恐れ、責任の重さに胃を痛め、ガタガタと震えている。
それなのに、「お前を守る」「もう誰も死なせない」という言葉には、一切の濁りがなかった。純度100パーセントの、血を吐くような誠実な叫びだった。
『私が、君を一番に愛しているよ』と囁く貴族たちの心音は、泥水のように汚かった。
『お前が怖い、関わりたくない』と震えるトーヤの心音は、澄み切ったクリスタルのように美しかった。
「(ああ……なんだ。私の居場所、ここにあったんだ)」
キャルルの心の中に長年巣食っていた「人間不信」という名の氷が、音を立てて溶け出していく。
彼なら、私を道具として扱わない。
私が戦えなくなっても、マッハ1で走れなくなっても、きっと文句を言いながら、あの防弾チョッキを重ね着した不格好な背中で、私を庇ってくれる。
キャルルの瞳に、深い、深い光が宿った。
それは、依存。そして、決して逃がさないという重すぎる愛の覚醒だった。
「……店、長」
「キャルル! 喋るな、今止血を……」
「……大好き」
「え?」
間の抜けた声を出すトーヤの首に、キャルルは血に濡れた両腕を回し、ギュッと抱きついた。
「私、店長のシフトに一生入ります……。だから、店長は私だけの店長でいてね? もし、私以外の子を特別扱いしたら……ううん、私をクビにしようとしたら……その時は、店長ごとこの村を蹴り飛ばしちゃうかも、しれないから……」
「お、おい!? なんでこんな時にそんな物騒なことを——って、キャルル!?」
キャルルはそのままトーヤの首にすりすりと頬を擦り寄せると、安心しきったようにパタリと目を閉じた。
トーヤの叫び声が響いたが、彼女の顔は、とても穏やかで幸せそうな寝顔だった。
***
——翌朝。
「……うーん」
ポポロ村の村長宅(現在はトーヤが仮住まいしている)。
朝の陽光が差し込むベッドの上で、トーヤは激しい寝苦しさに目を覚ました。
「(……重い。なんだこれ、金縛りか? それとも、昨日一歩も動いてないのに全身が筋肉痛なのか?)」
寝ぼけ眼をこすりながら、胸の上にのしかかる「重み」の正体を確認しようと視線を下ろす。
「……すぅ、すぅ……店長ぉ……だめぇ、そこは……私の、シフト……」
「」
トーヤの心臓が、昨日の魔物襲来時とは全く別の意味で跳ね上がった。
そこには、薄着のキャミソール一枚になったキャルルが、トーヤの体に腕と脚を絡みつかせ、巨大なニンジン抱き枕のようにガッチリとホールドしていたのである。
昨夜、村の医者に診せたところ、「体力の極端な消耗による一時的な気絶。魔力回復ポーションを飲ませて一晩寝かせれば治る」と診断された。
トーヤは彼女をベッドに寝かせ、自分は床で寝袋にくるまって寝たはずなのだが——どうやら夜中に、キャルルがトーヤの寝袋を蹴り破り、ベッドに引きずり込んだらしい。
「お、おい! キャルル、起きろ! これは色々とマズい! コンプライアンス違反だ! 店長とアルバイトの不純異性交遊は、本部にバレたら一発で懲戒解雇——」
トーヤがパニックに陥り、必死でキャルルのホールドを解こうと暴れた、その時。
ギィィ……。
「よぉ、店長。昨日は災難だったなぁ。自警団の詰め所から報告書持ってきたぜー」
ノックもなしに、部屋の扉が開いた。
そこには、無精髭を生やし、ルナミス新聞社発行の競馬欄を片手に持った一人の男が立っていた。
ポポロ村の自警団リーダーであり、A級冒険者。フェイト・ラック(25歳)である。
「……」
「……」
「……むにゃ、店長ぉ……好きぃ……」
沈黙が落ちた。
フェイトは、ベッドの上でキャルルに押し倒されるような形になっているトーヤを、無表情のまま見下ろした。
「……あー、悪い。休憩時間の邪魔をしたな。若いってのは良いことだ。村の連中には『店長は今、村の過疎化対策(少子化対策)の真っ最中だ』って伝えておくわ」
「違う! 誤解だフェイト! 頼むから扉を閉めるな! 昨日の夜、お前どこに行ってたんだよ! 自警団リーダーのお前がいれば、あんな大事には——」
「あ? 俺か?」
フェイトは、ドアノブから手を離し、悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「親戚の従兄弟の隣のオバサンの友達の犬が死んでな。その葬式で忙しかったんだよ。……じゃ、俺は今日は有給もらうから」
「ふざけるな! お前、先週もまったく同じ理由で休んだだろうが!!」
トーヤの絶叫が、朝のポポロ村に虚しく響き渡った。
かくして、世界の敵を引き寄せるビビリの元店長、愛が重すぎるマッハ1のウサギ、そして絶望的にサボり魔のクズ剣士。
後に世界を揺るがすことになる「最強(最狂)のトリオ」の、波乱に満ちた日常が幕を開けたのである。
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