EP 2
宴会芸『ハゲたぬきのポンポコ節』と、ハズレを引いて鳩の餌を狙うクズ剣士
ルナミスキング(通称ルナキン)の窓の外で起きた、不可解な『見えない斬撃』。
街路樹と野菜の木箱が一瞬にして両断されるという異常事態に、店内はパニックに陥りかけていた。
「皆、落ち着け! 窓から離れて、床に伏せろ!」
秋月冬夜は咄嗟に指示を出しながら、タローマン製の防弾チョッキの中に手を入れ、いつでもトラップを展開できるよう身構えた。
だが、斬撃はそれきりだった。数分待っても、追撃の気配はない。敵が姿を現すこともなかった。
「……牽制、あるいは偵察か?」
トーヤは胃の痛みに顔をしかめながら、窓の外を睨みつけた。
第一章のヤラセ勇者騒動が終わったばかりだというのに、全く休まる暇がない。店長のシフトは常にブラックだ。
「ひぃぃっ……怖いよぉ……また魔物かな……」
「ポポロ村はもうおしまいだべ……」
店内に避難していた農家のおじさんや村人たちが、ガタガタと震えながら顔を寄せ合っている。
恐怖と不安の空気が、重くのしかかっていた。
「(マズいな。このままだと、村の生産性がガタ落ちする。なんとかして客の不安を取り除かないと……)」
トーヤが頭を悩ませていた、その時だった。
「——さあ、皆さま! 暗い顔はそこまでですわ!」
ドンッ!
先ほど厨房に避難させていたはずの芋ジャージの少女、リーザが、堂々と店の中央に置かれた『みかん箱』の上に飛び乗った。
「こんな時こそ、アイドルの出番! 私の歌で、皆さまに笑顔と勇気をお届けしますの!」
「おいバカ、こんな時にライブなんてやってる場合じゃ——」
トーヤが止めようと手を伸ばすが、リーザの行動の方が早かった。
彼女はジャージのポケットから取り出した『五円玉』を、迷うことなく己の美しい鼻の穴にスッと詰め込んだ。
そして、ジャージの裾を少し捲り上げ、白いお腹をポロンと出す。
「(……えっ?)」
トーヤの思考が停止した。絶世の美少女が、鼻に五円玉を詰めて腹を出している。情報量が多くて脳が処理しきれない。
「ミュージック、スタートですわッ!」
リーザが、自分のお腹を平手でペチペチと叩き始めた。
『♪た、た、たぬきのお腹は ポンポコポンポン!』
『♪月よ~月で~頭は ハーゲハゲでピーカピカ~!』
『♪お尻はツールツル~ ターマターマはマ〜ルマル~!』
「」
トーヤは、白目を剥きそうになった。
それは、ルナミス帝国の忘年会などで酔っ払いのオッサンが披露する、ド底辺の宴会芸『ハゲたぬきのポンポコ節』だった。
透き通るようなアズールブルーの髪を揺らしながら、美少女が「ターマターマはマ〜ルマル〜!」と鼻声(五円玉のせい)で満面の笑みで歌い踊っている。
「(……なんだこれ。俺は今、どんな地獄を見せられているんだ? アイドルとは?)」
トーヤが頭を抱え、ツッコミを入れる気力すら失いかけた、その時。
「……ぷっ」
「あははははっ! なんだべあの姉ちゃん、オラたちの村の宴会芸知ってんのか!」
「ソレ! ヨイヨイッ!」
「ア、ドッコイ!」
なんと、先ほどまで恐怖で震えていた村人たちが、手を叩いて爆笑し始めたのだ。
キャルルまで「リーザちゃん、それルナミス帝国の新曲!?」と目をキラキラさせて合いの手を入れている。
「(……いや、待て。ただの宴会芸じゃない)」
トーヤのクレーム対応で鍛えられた観察眼が、ある『異常』に気づいた。
リーザの歌声から、微弱だが確かな『魔力波長』が広がっている。
その波長が空気を振動させ、村人たちの脳内に直接作用して、強制的に『戦意喪失』と『爆笑』を引き起こしているのだ。
「(バフ……いや、広域精神干渉魔法か!? このアホみたいな宴会芸で、村人たちのパニックを完全に打ち消しやがった……!)」
腐っても人魚姫。彼女の歌には、システムそのものに干渉する本物の『奇跡』が宿っていた。
『♪み~んな合わせて 腹太鼓~! ポンポコ ピーヒャラ テーンツルリン!』
「「「ワハハハハハッ!!」」」
曲が終わる頃には、ルナキンの中は完全に宴会場と化していた。先ほどの斬撃の恐怖など、誰の記憶からも綺麗に消し飛んでいる。
「ふふん! 見ましたか、店長様! これがアイドル(私)の力ですの!」
鼻から五円玉をスポッと抜き取りながら、ドヤ顔でピースサインを決めるリーザ。
「……お前、自分の尊厳と引き換えに客を笑顔にするなんて、芸人の鑑だな」
トーヤは呆れ半分、感心半分で、タローマン製の強力胃薬をボリボリと噛み砕いた。
その後、村の安全確認のために外の見回りに向かったトーヤは、ポポロ村の公園で、さらなる頭痛の種と遭遇することになる。
「……キルケゴールは言ったぜ。『死に至る病、それは絶望である』と。今の俺はまさにそれだ。腹が減って……死ぬ……」
公園のベンチの下。
全身ミスリル製のアーマーを着込んだ巨体の男が、地面を這いつくばりながらブツブツと哲学的な戯言をこぼしていた。
ポポロ村自警団リーダー、フェイト・ラック(25歳)である。
「おい、フェイト。こんな所で何やってる。また有給か?」
「おお、店長……。実は今日の朝、日課の【コイントス】で『大ハズレ(裏)』を引いちまってな……」
フェイトはゲッソリと頬をこけさせ、涙目でトーヤを見上げた。
「ステータスが激減したせいで足がもつれて、排水溝に財布を全額落とした。さらにスライムに足を踏まれて骨折しかけた。運気も体力もマイナスだ……。頼む、何か食い物を恵んでくれ……」
「お前という奴は、本当に確率50%で使い物にならなくなる完全なゴミだな」
トーヤが呆れてため息をついた、その直後。
フェイトの濁った目が、公園の地面に撒かれている『鳩の餌(豆)』を捉えた。
「……豆。タンパク質。背に腹は代えられねぇ……」
フェイトが、よだれを垂らしながら鳩の豆に向かって這い進んでいく。
「——ストォォォォォップ!!」
突如、マッハの速度で飛び出してきた芋ジャージの影が、フェイトの顔面を健康サンダルで踏みつけた。
「ぐふぅッ!?」
「泥棒! 浅ましいですわ! その豆は、私が毎朝6時に鳩のおじさんと交渉して、私と鳩で『5:5』の割合で分けるという協定を結んだ、私の貴重な非常食ですのよ!!」
ルナキンで致死量のハンバーグを平らげたばかりのリーザが、鳩の豆を守るために般若の形相で立ちはだかっていた。
「ど、退け小娘……! こっちとら、腹が減って哲学の海に沈みかけてんだ……! その豆をよこせ!」
「お断りですわ! アイドルの豆に手を出すなんて、100年早いですの! 五円玉ガトリング、撃ちますわよ!?」
ステータス激減状態のクズ剣士と、胃袋の限界を知らない極貧アイドル。
ポポロ村の公園で、ルナミス帝国史上最も底辺で不毛な「鳩の豆争奪戦」が勃発した。
「(……ダメだ、この村。人材のクセが強すぎて、俺の胃壁がマッハで削れていく)」
トーヤは、砂埃を上げて取っ組み合う二人を見下ろし、持っていたタローマン製の『業務用ガムテープ』を無言で引き出した。
この後、二人をガムテープでぐるぐる巻きにして捕獲し、キャルルに引き渡すまでが店長の業務である。
夜。
騒がしかったポポロ村も寝静まり、静寂が訪れていた。
トーヤは一人、防弾チョッキを重ね着したまま村の外周を防壁沿いにパトロールしていた。
昼間の『見えない斬撃』。あれがどうしても気にかかる。偶然の産物ではない、明確な敵意を感じたからだ。
「(また、俺のシフトを脅かす悪性のクレーマーが来てるのか……?)」
警戒しながら歩を進めていたトーヤの耳に、ふと、かすかな『歌声』が届いた。
昼間に聞いた「ハゲたぬきのポンポコ節」のような、ふざけた鼻歌ではない。
どこまでも澄み切った、まるで海の底から響いてくるような、切なくも美しいメロディだった。
音のする方へ向かうと、防壁の物見櫓の上に、月明かりに照らされたリーザの姿があった。
あずき色の芋ジャージ姿のまま。
彼女は、防壁の外の暗闇に向かって、目を閉じて歌っていた。
その横顔は、昼間の図太いニート娘とは別人のような、本物の『人魚姫』の神秘性を帯びていた。
「(……すごい、な)」
トーヤは思わず足を止め、息を呑んだ。
彼女の歌声には、聞く者の魂を直接揺さぶるような、圧倒的な引力があった。
そして、トーヤは信じられない光景を目撃する。
防壁の外——暗闇の森の中から、低級の魔物である『牙狼』や『死蟲機』の残党が数匹、のそりのそりと姿を現したのだ。
だが、彼らは村を襲うわけでも、吠えるわけでもなかった。
ただ、櫓の上のリーザを見上げ、まるでおとなしい仔犬のように——あるいは、熱狂的な『ファン』がステージを見つめるように、その場にちょこんと座り込んで、彼女の歌に聞き惚れていたのである。
「(魔物の闘争本能すらも、歌一つで完全に塗り替えてしまうのか。こいつの歌唱魔法……一歩間違えれば、世界を狂わせる劇薬だぞ)」
月明かりの下。
極貧の地下アイドルが放つ、恐るべき支配力。
トーヤは、彼女がただのコメディ要員ではなく、この村の防衛シフトを根底からひっくり返すほどの『特大のジョーカー』であることを、痛いほどに理解したのだった。
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