EP 11
命を削るマッハ姫の暴走。震える店長の『怒りのビンタ』
ズドォォォォォォォンッ!!!
ポポロ村の防壁を越え、秋月冬夜の首を刎ねようと跳躍した勇者ゼロス。
その黄金と漆黒が混ざり合ったオーラごと、ゼロスの巨体を横殴りに吹き飛ばした『何か』があった。
それは、一条の流星だった。
いや、違う。満月の光を背に受け、シェルターからマッハ1の速度で飛び出してきた少女——キャルル・ムーンハートの蹴りだ。
「ガ、ハッ……!? き、貴様ァッ!!」
数百メートル先まで吹き飛ばされ、地面を何度もバウンドしたゼロスが血を吐きながら叫ぶ。
「……店長に、汚い手で触らないで」
砂煙の中から姿を現したキャルルは、どこか様子がおかしかった。
いつもピコピコと愛らしく動いているウサギの耳は、刃物のようにピンと張り詰めている。その瞳からは理性の光が消え失せ、代わりに『月兎族』の野生と狂気がドロドロと渦巻いていた。
そして何より異常だったのは、彼女の口の端から、そして両目から、ツツーッと赤い血の涙が流れていることだった。
「キャルル!? お前、シェルターから出るなと……その体はッ!」
トーヤは顔を青ざめさせ、悲鳴のような声を上げた。
昨日のダメージが全く回復していない体での、強制的な『満月ハイ状態』。
それはエンジンオイルが空っぽの車で、アクセルをベタ踏みしているようなものだ。彼女の筋肉は悲鳴を上げ、毛細血管が次々と破裂している。
「あはっ……ふふっ。大丈夫だよ、店長。私、今すっごく調子いいの」
キャルルは血だらけの顔で、恍惚とした笑みを浮かべた。
「店長が、私のために頑張ってくれたから。あんなに震えてたのに、私を休ませるために、一人で矢面に立ってくれたから。……だから、今度は私が、店長の敵を全部、ぜぇんぶ壊してあげるね♡」
ドンッ!!
音置き去りにした。
キャルルの姿がブレたかと思うと、次の瞬間、戦場を埋め尽くしていた死蟲機たちの群れの中で、次々と爆発が連鎖し始めた。
マッハ1の速度で戦場を駆け回り、死甲虫機の硬い装甲を素手と蹴りだけで紙屑のように粉砕していく。
「あはははははっ! 壊れろ、壊れろぉっ! 店長の村に、ゴミを散らかさないでよねっ!!」
狂ったように笑いながら魔物を屠るキャルルの姿は、まさに戦神だった。
だが、トーヤの目には、それが『死に向かって全力疾走している少女』にしか見えなかった。
魔物を一体粉砕するたびに、キャルルの口から鮮血が吐き出される。彼女の命が、ロウソクの火が燃え尽きる前のように激しく、そして危うく瞬いていた。
「やめろ、キャルル! もう動くな! それ以上やったら、お前が死ぬぞ!!」
トーヤが叫ぶが、満月ハイ状態のキャルルの耳には届いていない。
「……ふざけるな。ふざけるな、たかがケダモノ風情がぁぁっ!!」
その時。
吹き飛ばされていたゼロスが、狂乱の叫びと共に立ち上がった。
炎上神ワイズの加護と、残る全財産を注ぎ込んだユニークスキル【マネー】の力。ゼロスの手にあるオリハルコンソードが、太陽のように眩い極太の光刃へと変貌する。
「貴様も、その後ろで震えているゴミ店長も、まとめて消し飛ばしてやる! 喰らえぇぇぇっ!!」
ゼロスが剣を天高く掲げた。
膨大なエネルギーが収束し、戦場の空気がビリビリと震える。
狙いはキャルルではない。キャルルの直線上にいるトーヤと、その奥にある『地下シェルター』の入り口だ。
キャルルが避け避ければ、村人たちとトーヤが消し飛ぶ。彼女のヤンデレ気質と防衛本能を逆手に取った、極めて卑劣なロックオンだった。
「……させない。店長は、私が守る」
キャルルは血まみれの顔で微笑むと、ゼロスの光刃の前に立ち塞がった。
その華奢な両腕を交差し、残る全生命力(寿命)を燃やし尽くして、絶対に破られない『絶対防衛の盾』を展開しようとする。
「(……ごめんね、店長。私、シフトに穴、空けちゃうかも。でも……店長に出会えて、本当に幸せだったよ)」
キャルルが静かに目を閉じ、自らの心臓の鼓動を止めようとするほどの極限の闘気を練り上げた、その刹那。
——パァァァンッッ!!!
乾いた音が、戦場に響き渡った。
「え……?」
キャルルが目を見開く。
彼女の左頬が、じんじんと熱を持っていた。
目の前には、息を荒げ、涙と鼻水と脂汗で顔をぐしゃぐしゃにしたトーヤが立っていた。
トーヤは、タローマン製の防弾チョッキの重さも忘れ、足の震えも無視して、キャルルの元へ全力疾走し——そのままの勢いで、彼女の頬を全力でビンタしたのだ。
「てん……ちょう……?」
「馬鹿野郎ォォォッ!!」
トーヤの怒鳴り声が、ゼロスの放つエネルギーの轟音すらも掻き消した。
「誰が命を懸けろと言った! 誰が寿命を燃やして俺を守れと言った!!」
「だ、だって……私が止めなきゃ、店長が……っ」
「黙れ! お前は俺のアルバイトだ! 俺の許可なく、勝手に命を削るな!!」
トーヤはキャルルの両肩をガッチリと掴み、血走った目で彼女を睨みつけた。
「俺は店長だ! シフトに入った仲間の命は、俺が全責任を持って管理する! お前が死んで守られるくらいなら、俺が土下座でも何でもしてやる! だから——俺の後ろにいろ!!」
その言葉に、キャルルの目から赤い血の涙ではなく、透明な大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
満月ハイ状態の狂気が、トーヤの『絶対に部下を死なせない』という強烈な心音によって、強引に叩き割られたのだ。
「(あぁ……やっぱり、店長は……世界で一番ビビりで、世界で一番、かっこいい)」
キャルルの体から力が抜け、その場にへたり込む。
「ハハハハッ! 泣かせる三文芝居だな! だが、これで貴様らを守る盾は消えた! 一緒に灰になれぇぇっ!!」
ゼロスが狂ったように笑い、極大の光刃を振り下ろそうとする。
周囲の死蟲機たちも、弱ったキャルルとトーヤを食い殺そうと一斉に群がってきた。
フェイトは離れた場所で魔物の群れに足止めされ、救援には間に合わない。
絶体絶命。
完全に詰んだ盤面。
逃げ場はどこにもない。
しかし、キャルルを背に庇って立つトーヤの目は、もはや恐怖に支配されてはいなかった。
彼の脳内は、クレーム処理の極致——『どうすれば、この理不尽な客の矛先を、完全に自分一人だけに向けることができるか』という、冷徹な計算で満たされていた。
「(……やるしかない。この狂ったシステム(ルール)を、逆手に取る)」
トーヤは震える右手を持ち上げた。
そして、その手を——他でもない、自分自身の胸元(作業着)へと、強く押し当てた。
「キャルル。耳を塞いで、目を閉じてろ。……店長(俺)の、一番醜い仕事を見せることになるからな」
次の瞬間。
世界に、あの異質なシステム音声が響き渡った。
『————条件達成』
『ユニークスキル【鬼ごっこ】を起動します』
『対象:秋月冬夜を【鬼(ヘイト対象)】に指定しました』
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