白と黒の約束「沈むは海へ、残すは灰を」⑥
「女性の肉体って、なんだか暖かいね。ぽかぽかしてる感じだ」
緋色の刃……始祖たる吸血剣〈宵闇の串刺公〉を眺めながら、ソウイチロウは素朴な感想を漏らした。
白黒は短銃型宝星具〈無蔵の弾丸〉の銃口をソウイチロウへ向け、そして声を荒げる。
「スカーレットの肉体から出て行け!!ソウイチロウ!!」
しかし、彼女は。いや、彼は臆する素振りすら見せず、飄々としたまま話し出す。
「この剣の銘にもあてられているツェペシュの名だが、グレイ。君はヴラド・ツェペシュを知っているかい?」
「移人か?」
銃を構えたまま、疑問に疑問を返す白黒。
「そうだね。ツェペシュには串刺しにする者という意が込められている訳だが、かつて、その名を冠するヴラド公は粛清に串刺し刑だけを選んだと伝承されている。それは領主としての絶対的な権威を表明する為の手段だったらしい」
「正気とは思えないな」
「ははっまったくだ。僕もそう思うよ。まぁ、彼の人物像には脚色された面が多いから。あまり信憑性もないけどね。これも一説になるけどヴラド公は多くの人間を串刺しにして林を築き、攻め入った相手の戦意を喪失させ撤退させる事にも成功したと伝えられている」
白黒に向けられた銃口を真っ直ぐに見据えながら、ソウイチロウは続ける。
「串刺しには先陣を務めた相手の兵が贄として使われたと語られているが、どうだろう?僕は実際の所、林には相手の兵に限らず、様々な人間が紛れていたんじゃないかと思うんだ。鎧を着せれば兵と偽る事もできるだろうが、きっと彼はそうはしなかったんじゃないかな。ねぇグレイ。君はさ、もし無差別に人が処刑されている狂気染みた景色を目の当たりにしてさ、それでも、その国を欲しいと思うかい?」
「欲しくはないだろう。だが、戦争は奪う為だけに起きるものではない。俺達はそういった悪魔の元から人々を解放するためにも剣を掲げるものだ」
「現に君は吸血鬼の巣窟と化したウェルズニールに躊躇いもなく踏み込んで来ているんだ。その言葉に偽りはないんだろう。ただし、君は自覚するべきだ。そういった感情で、我が身を省みず足を動かせる人間というのは、少数派だという事を」
「履き違えるな、ソウイチロウ。言っておくが、俺が此処にいるのは、国を救うためでも、悪を糺すためでもないんだ。俺はただ……ティアメル様との約束を果たす為に。……此処にいる」
「そうだった。話が逸れたね。もう一年前になる。ティアメルこと……アメル・ティ・フロウウェンが水瓶座の時代として覚醒したのは、この屋外庭園だったそうじゃないか」
グレイにはまだ知らされていない事実だった。
「幻想剣には三対で一願。その地に眠るデータの復元を可能にする権限が認められている。グレイ。楽しみだね……もうすぐ僕達は会えるんだよ。愛しくて愛しくてたまらない。彼女に」
小脇に抱えていた幻想剣〈肖像〉。その薄く透き通った刀身へ視線を落とす白黒。
「本当に……そんなことが可能なのか?」
「うん。だから僕達が争う必要はないんだよ。きっとブラムが残りの幻想剣を取り返してきてくれるさ」
白黒は、自分が善悪の狭間で揺れ動いているのが自覚できた。
グレイ……。ねぇ、グレイ。約束して。いつか私を海に連れて行って。
はい、約束します……。
いつの日か、もう一度。彼女に会える日を……彼女と旅する日を求め。
叶わない夢と知りながら、約束を果たす為に世界を巡り続けてきた。
幾ら手を伸ばしても決して届くことはなかった。
右目の視力を奪われ、右手の握力を奪われても、願ったものは何も得られなかった。
ずっとずっと……追い続けてきた。
幾つもの幸せを。幾つもの色を。幾つもの灰を踏み躙ってきた。
ヴァンプの肉体を乗っ取ったソウイチロウは、彼女が白黒に一度も見せたことのない下卑た笑みを浮かべる。
「グレイ。僕と一緒に大切な人を取り返そう。……一緒に幸せになろう」
墨がかった灰色の前髪の分け目から覗く、瞳孔だけが黒く細く輪郭線として浮かんだ白い右目。
記調律の予兆を嗅ぎつけたのか、その右目には多くの言葉の鳥が映り込んでいた。
淡く蒼い発光を伴って、朝霧に包まれた屋外庭園を優雅に飛び回る奇妙な言語列。
銃口が……足元へ落ちる。
奈落の底へ堕ちかける白黒の背中へ、怒号が浴びせられる。
「グレイ!!騙されるなっ!!」
「スメラギ……さん?」
駆けつけしは幻想剣〈系譜〉と〈円卓〉を腰に携えし青年━━スメラギだった。
上品な色合いの金髪が点々と返り血に濡れている。
「どうして、彼女が!?」
吸血剣を握るヴァンプと、彼女の足元に転がる首無し死体。
状況がのみ込めず動揺するスメラギ。
「ブラムは死んだのかな?」
「……ソウイチロウ。なのか?」
ソウイチロウの問い掛けには答えず、スメラギはグレイの隣へ並び立った。
「まったく。ブラムは善にも悪にも成り切れない半端者だったね。だから、負けるんだ。国を守るだなんて、口だけ番長もいい所さ」
「黙れ」
スメラギにしては低く、敵意を明確に含んだ声色だった。
両手にはそれぞれ幻想剣とは異なる剣が握られている
〈閃光〉と〈シャムロック〉を眼前に交差させて構えるスメラギ。
「でも、これで幻想剣は揃った。さっ、あとは三本を束ねて、天へ掲げればいいだけだ。グレイ、スメラギ。幻想剣を僕に渡して」
「貴方には渡せない」スメラギが拒む。
交渉の余地なしと踏んだのか、ソウイチロウの標的が白黒に絞られる。
「グレイ。さっきも話したよね。幻想剣は揃った。今なら手を伸ばせば届くんだ。君の願いが叶えられるんだよ」
「俺は……」
「グレイ!!ソウイチロウに惑わされるな!!このまま多くの犠牲を伴ったまま再会できてもティアメル様が喜ぶのか?違うだろ!!今、取り戻しても、君達は何処に帰る?何処で暮らす?君達が幸せになるには、まだ足りないものがたくさんある筈だ!!」
「スメラギさん……」
「二人ぼっちの世界が本当に幸せと呼べるのか。君なら分かる筈だ」
こんなにも近づけたのに。
やっと……ここまで辿り着けたのに。
それでも、まだ耐えろと。
まだ灰色の景色の中に生きろと。
━━そう言うのですか?
「どうか耐えてくれ。彼とは、私が決着を付ける!!」
踏み出すスメラギ。
迎え撃つソウイチロウ。
お互いの刃が衝突する。
スメラギは連続して、もう一方の手の残る〈シャムロック〉をソウイチロウの腹部目掛けて薙ぎ払った。
固有スキル〈三一〉によって、三又の傷が腹部に刻まれ、ヴァンプの肉体から鮮血が迸る。
「この剣が元凶か!!」
吸血剣を睨み、スメラギは叫ぶ。
そして、再び、今度は吸血剣に対して〈閃光〉を力の限り振り下ろした。
分裂した刃が、吸血剣の背を叩いて金属音を重なる。
「無駄さ」
スメラギの猛攻を嘲笑い、皮肉めいた口調でソウイチロウは喋り出す。
「吸血剣が砕ければ、眷属も全て灰塵と化す。ヴァンプはもう助からないよ」
〈シャムロック〉に付着した血は丸く宙に浮かび、それらが一斉にスメラギへ襲い掛かった。
「〈血操術〉か!!」
節々に被弾しながらも、身を翻して致命傷を避けるスメラギ。
血弾は白黒にも迫っていた。
反射的に地面を蹴って回避する白黒。
「くっ」
言葉とならない苦悩に喉を唸らせ、白黒は〈矛盾する理〉を発動させる。
蒼き魔方陣が彼の手先に浮かんでいく。
「まさか、強制書換?」
白黒の周りに漂う蒼い粒子が、ソウイチロウの疑問に対する解答として形を成していた。
「ソウイチロウ。俺は、お前を倒してティアメルもスカーレットも取り戻す」
「その決意。ちょっとだけ遅かったね」
白黒の瞳孔がゆっくりと萎んでいく。
突然、ヴァンプの体が脱力し、無残に崩れ落ちていく。
「やめろっ!!私の中に、入って……くる、なっ!!」
スメラギが双剣を手離し、頭を抱えて苦しみ出す。
始祖たる吸血剣における〈血操術〉には、人格の乗っ取りが可能であり、その発動条件は吸血行動に留まらない。
幾拍かの呼吸を挟んで、ぴたりと静止するスメラギ。
彼はゆっくりと顔を上げ、白黒へ微笑んだ。
「やっぱり、男の方が馴染むな」
一度でも体内に〈血操術〉の侵入を許せば、始祖への絶対服従が求められるのだ。
不滅なる悪意が白黒の仲間を次々と蝕んでいく。
倒れ込んだヴァンプから吸血剣を奪い取るソウイチロウ。
「さぁ、これで邪魔者はいなくなった」
「……スメラギさん。すぐに助けます」
短銃を今一度構え直し、〈矛盾する理〉の魔法陣へ銃口を近づける白黒。
「そんな紛い物の強制書換で何をするつもりだい?ほらっ大人しく僕に従いなよ」
乾いた銃声が、庭園の隅々まで伝った。
〈矛盾する理〉で速度も威力も相乗的に書き換えていた。
光の速さに匹敵する弾速に、対象を爆散させるであろう威力。
しかし、その絶対的弾丸も吸血剣を砕く事が叶わない。
〈血操術〉で凝固させた血に刃をコーティングさせていたソウイチロウ。
「もう諦めなよ」
ソウイチロウが吸血剣を軽やかに振るう。
刀身から伸びた緋色の奔流が、白黒の四肢を絡め取っていく。
身動きが封じられ、ぎりりと歯軋りを鳴らす白黒。
「かはっ」
一筋の血流が尖り、白黒を喉から股下まで真っ直ぐ縦に串刺す。
「アクア。もうすぐだ。もうすぐ……君に会える。愛してる。何度でも君に囁きたい。僕は、君を愛しているよ」
白黒の足元に転がる幻想剣〈肖像〉を求めて、ゆっくりと歩を進めるソウイチロウ。
━━グレイ。諦めるなんてらしくないじゃないか。
不意に〈血操術〉の拘束が解ける。
貫かれた体内を激痛が駆け巡る。白黒は血を吐き出しながら、すぐに〈矛盾する理〉を自らの胸元へ翳した。
侵入した〈血操術〉の濃度を書き換え、中和していく。
「私の好いた男は、そんなにやわじゃなかった筈だ」
「ヴァンプ。君が……どうして立っている!?」
彼女の足元には大量の出血により、真っ赤な水たまりが出来上がっていた。
「さぁな。」
水たまりから幾数もの紅い鞭が伸び、ソウイチロウへ向かってしなる。
「ちっ、眷属が逆らうなよっ!!」
「覚えておくといい、ソウイチロウ。一方的な愛は迷惑にしかならないんだ」
「ふざけるなっ!!」
ソウイチロウも吸血剣を振り回して、ヴァンプ同様〈血操術〉の鞭を展開する。
お互いの鞭が絡まり、牽制し合う。
「グレイ!!今だっ!!」
ヴァンプがかつてない叫び声を上げていた。
喉が潰れ、言葉を返せない白黒。
撃てば、スカーレット(ヴァンプ)が……スメラギが……。
「迷うなっ!!!!」
ヴェンプは命の残り滓を絞り出す勢いで、全身から血を流している。
ソウイチロウも応戦する為に、ありったけの血を彼女へ向けていた。
吸血剣を覆っていた血が剥がれ、錆びた刃が僅かにだけ覗く。
「……っ!!」
白黒は声も上げれず、ひゅうと息を大きく吐いて、短銃の狙いを定めた。
蒼い魔方陣が銃口に寄り添う。
引き金に人差し指を掛けた。
白黒の行動に気付いたソウイチロウが声に焦燥を滲ませている。
「やめろっ!!こんな……」
そっと力を込めた。
瞬間、剥離した部分が正確に撃ち抜かれ、砕け散る吸血剣。
「がぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
獣染みた叫び声が庭園に反響し、糸切れたスメラギの肉体が水たまりに沈む。
そして、端からゆっくりと灰化が始まった。
灰は血を吸って固まりながら、スメラギの生きた証をそのままに残していく。
「クリアンレズムでマオと相対した時にな、彼の強制書換で〈改竄〉して貰っていたんだ」
━━本当にそんなのでいいの?時間さえ掛ければ、もっと色々できるけど。
あぁ、私はただ死ぬにしては少し生き過ぎた。だから。いや、せめて……最期は愛する人の役に立って終わりたいんだ。
━━君の言う通り、ソウイチロウとの決着が僕達の鼓動を止めるんだとして、それでも、君はいいんだね?
お前達をも巻き込む事は悪いと思っている。それでも、私はもう決めたんだ。私達と同じような不死なる悲劇を増やすべきじゃない。
━━ううん、僕はいいよ。リリアの事だけが心配だけど、メイジなら……きっと救えるから。
随分と信頼しているんだな。
━━仲間だったから……ね。
私もそうだな。グレイならきっとソウイチロウを倒してくれると信じている。だからこそ、この賭けに踏み出せるんだ。
━━そっか。お互いさ、良い人に出会えたんだね。
それだけはソウイチロウに感謝してもいいな。あまりにも長い死の延長線上だったが、悪い事ばかりでもなかった。
「マオは〈赦されざる報い〉と名付けていた。それが私に与えられた死の延長線の途切れの先に記された僅か数十秒の点。呪いから解き放たれた正真正銘、最期の抗いだ」
ヴァンプの髪が、腕が、足が……さらさらと灰になって爽やかな朝の風に運ばれていく。
「お前と出会って、もう一年も経つんだな。グレイ、お前が私の塔に来た時、すごく嬉しかった。お前と過ごせた時間は、すごく幸せだったよ」
白黒は込み上がる血を吐き出して、ヴァンプへ手を差し伸べる。
しかし、掴みたくても、彼女の腕はもう塵となって飛散していた。
「さよならだ。グレイ……私が最期に愛した人」
立ち昇った朝日が霧をうっすらと晴らし、庭園へ眩い光を注ぐ。
日差しを受けて煌めく灰塵。
よろよろと彼女の立っていた場所へ、膝を曲げて崩れる白黒。
庭園に残された砂山を両手で救い上げる。
手の平一杯に溢れる灰へ、一粒の雫が落ちた。




