白と黒の約束「沈むは海へ、残すは灰を」④
━━彩花の園ラフレンティア。
現実、幻想。断りなく田園へ咲き誇る鮮やかな花弁。
それはまだ……ギルド〈ハンプティ・ダンプティ〉のお姫様が彩花の園に見惚れ、球体型の奇怪な拠点を築くよりも昔。
〈New Age〉が単なる箱庭だった頃の思い出だ。
網目状に配された田園を埋め尽くす、色彩豊かな花びらの絨毯。
浅風に煽られ、奥へ、奥へと小波を立てていた。
綿菓子の様にふっくらとした雲が頭上を漂遊していて、時折、太陽が隙間から顔を出していた。
田園の美しさに目を奪われ「すごいなぁ」と感嘆を漏らしている青年。
在りし日のヴァンプ・ブギア・スカーレットは〈New Age〉……箱庭を満喫している青年の傍に立って、彼のはしゃぐ様を静かに見守っていた。
「そんなに珍しいものか?」
ぼそりと、彼の背中へ問い掛ける。
「うーん、似たような景色は珍しくないけど。僕は機会がなかったからね。それにさ、比較する対象があるからこそ、素晴らしさがより際立つ事ってあると思わない?」
なにより、写真で見るのと、実際に眺めるのとじゃ、どうしたって同列にはとれないさ。と次第に声を潜めつつ話す彼。
最後の方はヴァンプへ聞かせるというより、彼女じゃない誰かへ……遠く離れてしまった想い人へ語るようだった。
「私も、三賢人と括られる手前、いつかは上界の景色を色々と眺めてみたいものだな」
「うん、いつか一緒に行こう」
あの頃はまだ……彼のそんな言葉を信じ切っていたのだと思う。
「そうだね。この世界にいたままじゃどうしたって望めない景色があるんだ。いつか君をそこへ連れていければいいな」
「そこは綺麗なのか?」
「綺麗だよ。海って僕達は呼んでいる」
「海、か」
「そ、海さ。見る事自体はそれほど難しくもない。けど、海はね、感情を映す鏡の様に、人それぞれ異なった見え方をするんだ。あれは僕達人間をときに慰め、ときに陥れ、ときに癒し、ときに沈める。生死すら包み込む無償の愛の象徴だ」
「ふふっ、ソウイチロウ。言ってて恥ずかしくないか?」
「ヴァンプ。君もいずれ海を望めばわかるさ。言葉ではとても言い表せない神秘が、海にはあるんだ」
もし、いつか本当に彼と海へ行けるなら、その時はどんな服を着ていこうか。寒いのだろうか、暑いのだろうか……などとくだらない妄想を膨らませていた。
「そういう抽象的な表現はいいからさ、もう少し、具体的な形容はないのか?」
「あぁ、そうだね。海は、水に満ちている。川や湖とは比べ物にならない程、遠く深く果てしなく水に満たされているんだ」
「そうなのか?便利だな。そんなに水があれば、喉の渇きに悩まされないだろう?」
「けど、海はしょっぱいんだ」
「しょっぱい?」
「そう、びっくりするぐらいにしょっぱい」
「あまり想像できないな」
「そうかもね」
賢人としての飽くなき探究心を植え付けられていたヴァンプにとって、未知なる上界について語る彼の横顔は何よりも魅力的だった。
「あ、こっちの田園。これ、ベゴニアだね」
「花の名前?」
真っ赤な花弁が敷き詰められた田園へ駆け寄ると、ソウイチロウは膝を曲げて、咲き乱れるベゴニアを覗き込んだ。
「うん。これはたぶん四季咲きベゴニアなんだろうね。ベゴニアはさ、丈夫だから街中でもよく見かけるんだよ」
と、また上界について。ヴァンプに知らない世界について雄弁をふるうソウイチロウ。
「ベゴニアにはさ、幸福な日々って花言葉が込められているんだ。道端の花壇で見かける度に、僕はこういう日常こそが幸せって事なんだろうなって思ってた」
「お前はやっぱり変な奴だな。普通、道端で花を見かけたからといって、幸福を再認識したりはしないだろうに」
「センチメンタルなだけさ」
「そういう男は嫌われるぞ」
「うん、嫌われてたかも」
「けど……そうだな。私は嫌いじゃない」
「ははっ、ありがと。ヴァンプ」
きっともう心を制御する錠みたいなものが外れてしまっていた。
だから、その先はただ堕ちていくだけだった。
━━メンデルハープの樹皮城、屋外庭園。
ソウイチロウの手を掴み、白黒達〈円卓の騎士団〉と別離したヴァンプ・ブギア・スカーレット。
彼女は樹皮城の高所より突き出た庭園で、ソウイチロウと二人、そう遠くない誰かの来訪を待ち侘びていた。
「なぁ、ソウイチロウ。昔さ、海に連れて行くと約束してくれたのを、覚えているか?」
城へ蔦を張り巡らす大樹メイニールの幹が吐く霧と、早朝における朝霧とが相まって、庭園から望める城下は酷く霞んでいた。
「ん、そうだったかな?ごめん、あまり覚えてない」
ロードリア・ティ・フロウウェンの肉体を乗っ取り、吸血剣〈宵闇の串刺公〉を取り戻した移人━━ソウイチロウは首を傾げた。
「いや、覚えてないならいいんだ」
「いいよ。一緒に行こっか。もうすぐブラムが幻想剣を揃えて来てくれる筈だから。そうすれば、ヴァンプ。君も一緒に上界へ行けるよ」
「どうして幻想剣なんだ?」
「加賀道孝の趣向なんだろうけど、彼の価値観は変わっていたからね。僕にもわからないよ」
「そういう意味じゃない。どうして幻想剣が揃えば、上界へ行けるのか。私はそう聞いているんだ」
「あぁ、ごめんね。幻想剣〈系譜〉、〈円卓〉そして〈肖像〉。三対で一願。その地に漂う言葉の鳥をなぞって、過去を復元できるんだ」
過去をなぞる。
それがどういった行為なのか、ヴァンプにはあまり想像できない。
ただ、白か黒か。そう二色で例えるなら……たぶん、限りなく黒い行いなのだろう。
縛るルールとしての問題じゃなくて、人としての倫理観の問題だ。
誰だって、過去には憧れる地点がある。
戻りたいと願う節目がある。
だからといって、過去をやり直せる人生が本当に幸せと呼べるのだろうか?
少なくともヴァンプには、過去の再出発に幸福は見出せない。
先程のソウイチロウの言葉が反芻している。
━━あまり覚えていない。
どうやら自分で思い込んでいる以上にショックだったらしい。
……何を期待していたのだろうか?
もう諦めた筈だった。
世捨て人として、人嫌いとして、もう誰とも関わらずに生きていくと決めたつもりだった。
その中で、グレイに出会い、そしてソウイチロウと再会した。
今、はっきりとしたのは、ソウイチロウもグレイも。出会った時から既にもう……私ではない誰かを見据えていた。という事実だ。
ヴァンプの唇が微かにだが、震える。
誰かに、何かを訴えたくて。彼女の唇は震えた。
その瞬間、初めて……寂しいという感情がどういうものなのか。ヴァンプは自覚した。いや、思い出した。
設定された人生において、彼女自身が選び愛した人。
二人の背中がとても遠かった。
どれだけ手を伸ばそうとも、どれだけ必死に名を叫ぼうとも、二人は決して振り返ってくれないだろう。
それなら、せめて……。
「ソウイチロウ。お前は水瓶座の時代を復元して、それでこの世界の衰退を止めるのか?」
それは昇天の隣人でソウイチロウの残滓がヴァンプへ語り聞かせた言葉だった。
「もしかして、昇天の隣人にでも騙されたかい?僕は世界を救うつもりなんてないし、廃れゆく箱庭に未練なんてないさ。僕はただ、彼女に会いたいんだ。彼女が産み出したもの全てが愛しいんだ。もし結果的に世界が救われるのだとしたら、それは僕が彼女へ向ける愛によって、世界が勝手に救われるだけだよ」
「そうか……」
静かに一歩、また一歩と後ずさるヴァンプ。
「ヴァンプ、どうしたの?」
隣に並んで城下を見下ろしていたソウイチロウ。
━━━━━━━━━━━。
振り返った彼の首が、宙を舞った。
遅れて鮮血が噴水の如く吹き上がる。
庭園の外へ弾け飛び、そのまま大樹メイニールの樹皮を転がり落ちていくロードリアの首。
ヴァンプは右手をすっと前に差し伸ばしていた。
その爪先からは非常に薄い、針よりも繊細な凶器が伸びており……目を凝らせば、かろうじて赤い線が見て取れた。
ヴァンプは首筋から伝う血を爪に拭うと〈血操術〉で凝固させ、尖った鋭器へと変質させていた。
ヴァンプ自身にはもう幸せは望めないかもしれない。
それでも、彼女にはまだ他人の幸せを望めた。
グレイや長政。
友の幸せを守る為、そして、過去の未練を断ち切る為。
彼女は選んでいた。
「さよなら。ソウイチロウ。私が初めて愛した人」
膝から崩れ落ちるロードリアの遺体。
その手に握られた吸血剣を破壊しようと、ヴァンプはもう一度、首元の血を拭い、より凶器を太く、鋭くさせた。
そして、刀身を穿とうと右手を真っ直ぐ突き出す動作に移った。
しかし、その手がぴたりと……止まる。
━━城壁都市ゴゴ・チャッカ。北方第三壁門前。
視界を端から端まで線引く城壁の連なり。
高低差の顕著な自然な山塊とは異なり、人工的に均された城壁の連なりが見せる景色は、メイジに万里の長城を連想させた。
ただ、ゴゴ・チャッカの城壁はもっと高く聳え、もっとくっきりと大地へ牙を立てている。
また、ウェルズニールの自然豊かな風土がそのまま続いている為か、城壁の根元には緑が茂り、壁面には苔が張っていた。
「メイジさん!!見えてきました!!あれがゴゴ・チャッカの城壁です!!」
広大な緑地を夜通し駆け抜けていたメイジとメルティ。
魔物との遭遇を忌避し、まともな休息を挟めなかった二人。その顔色には疲労が色濃く滲んでいた。
道中、ウェルズニール南方に築かれた〈ユーウェイン砦〉と〈ベイリン砦〉に立ち寄っていたが、結果、二人の淡い希望は儚く砕かれていた。
「あとちょっとだね。頑張ろう」
「はい、もうすぐです!!」
お互いに励まし合い、マオが託してくれた僅かな希望へ追いすがる二人。
どちらからともなく、二人は自然と手を繋いで走っていた。
周囲が見れば、それは走りを妨げる行為だと呆れるかもしれない。
それでも、二人にとって。手を繋ぎ、常に相手の温もりを感じる。という行為がどれほど糧となっていたのか。
どれだけ勇気づけられていたか。
二人は長い時間を駆け抜けてきたが、一度たりとも、その感情を言葉にしようとはしなかった。
言葉にせずとも、繋がったままの手が何よりも証明していたからだ。
メイジが息を切らし始めると、メルティは少しずつペースを弱めた。
メルティが小石に躓くと、メイジはそっと彼女の手を引いて支えた。
そうやって思いやりを繰り返す内に、メイジはもう随分と昔からそういう関係だったのではないかと錯覚さえしてしまっていた。
そして、彼は今更になってようやく気付いたのだ。
━━そっか、メルティは……アメリーに似てるんだ。
半年前〈変革〉時に守れなかった少女の面影がメルティに重なって見えた。
私は……貴方には失われたものの為にだけ頑張ってほしくはありません。今、貴方が守りたいもの……思い出してください
確かにメイジは覚えていた。
白黒の弾丸を受け、強制書換を失った狭間。
現実とは違う、夢の世界で。アメリーは微笑んでいた。
それが自身の深層に眠る虚像だったのか、それとも……本当にアメリーが会いに来てくれたのか。真実はわからない。
けれど、メイジが立ち直るきっかけとしては充分だった。
もう僕には意識混濁性消失障害としての職補正がなければ、スキルもない。
理想郷の先駆者としての強制書換がなければ……エントの貯蔵を手助けしてくれた紋様石もない。
戦う術という術を失った少年ではあるが、それなのになぜだろうか……。
メイジには今の自分の方がずっとずっと強く感じられた。
━━ごぉぉぉぉ。
突然、遥か後方より地鳴りが伝わった。
二人の足取りが、震動からか僅かに乱れる。
「な、なにが!?」
反射的に振り返るメルティ。つられてメイジも後ろへ首を回した。
━━蒼い竜が、天空に翼を広げていた。
「……あれって、竜?」
「まさか砦が!?」
広大な緑地の地平線へ蒼い鱗粉を散らす竜。
それは文字通り竜の姿をしている訳ではなく、蒼い粒子が竜を真似ていた。
膨大な量の蒼き粒子が象る竜は、大きく優雅な羽ばたきを繰り返しながら、メイジ達の方角へ移動を始める。
メイジとメルティが立ち寄った〈ベイリン砦〉の上空まで接近すると、蒼き竜はその場に浮遊する。
指先ほどの小ささまで離れた〈ベイリン砦〉に比べて、竜の巨体は数倍は誇って見えた。
そして、竜は蒼い粒子を散らしながら咆哮を上げると、口先に蒼の粒子を集めていく。
それは次第に濃く、隕石の如く、おぞましい塊へと変貌する。
竜はもう一度、咆哮に空を震わすと、〈ベイリン砦〉へその塊を落とした。
再び、凄まじい地鳴りが起き、先程よりも増して大地が縦に揺れる。
まるで砂城みたいに、ぼろぼろと崩れていく〈ベイリン砦〉。
メイジもメルティも、その光景には暫らく言葉が出なかった。
砦を陥落させた竜が、飛行を再開する。
迫る竜を呆然と見上げる二人。
「みーっつけた!!」
ざっ!!と、一瞬、背中越しに暴風が吹き抜けていく。
「久しぶりーメイジ!!もう、すっごく探したんだよー!!元気にしてたっ?」
聞き覚えのあるハイテンション。
振り返ると、懐かしい……真っ赤なカンカン帽子が視界に入った。
半年前とは変わって、真っ赤なワンピースがより活発な印象を与えている。
帽子の上には宝石の様な碧い瞳をした、リスっぽい小動物が座っていた。
隣には葬儀人が纏う黒衣に全身を包む少女、純銀色の髪は頭部左右に結われており、長さが異なっている。
淡い光を灯す紅い瞳は幻想めいており、メイジも一息の間、目を奪われてしまった。
「ココナ……久しぶりだね」
ココナは続けてメイジの隣に立つメルティへ焦点を当てた。直後、目が一杯に見開かれる。
嫌な予感がメイジを襲う。
「ちょ、え。なにこの子。うっそ、可愛すぎ……」
「初めまして。私はキャメロット・ティ・フロぅむぐっ!!」
自己紹介も途中に、メルティはココナの胸元へ沈んだ。
「ココナ。なんだか、なおえさんに似てきたね」
「えへへー照れますなー」
カンカン帽子の上に座っていたリスが振り落とされまいと必死になって爪を立てている。なんだか愛らしかった。
「その格好。葬儀人だよね?君がマオの言っていた……」
成り行きを静観している少女へ、メイジは呼び掛けた。
「リリアよ。マオとの約束だから……貴方達を守りにきた」
「守るって、でも、なにから……」
戸惑うメイジ。
リリアはそんなメイジの後ろを、人差指で示した。
しかし、リリアが指差すのとほぼ同時に、竜は蒼い粒子を飛散させながら形を失っていく。
竜の中心部から、小さな人影が飛び出した。
メイジ達からやや離れた大地へ、力強く着地する人影。
人影の正体は、延べ棒みたいな鈍器を背負う大男だった。
「……バルドさん?」
「〈変革〉以来だな……メイジ。お前に話がある」
理想郷の先駆者━━滅竜士のバルドは眉間に皺を刻み、どこか険しい表情を浮かべていた。
足首に隠れた宝星具〈空鈴〉が、一度だけ……寂しい鈴の音を奏でた。
━━メンデルハープの樹皮城、屋外庭園。
「……スカーレット?」
幻想剣〈肖像〉を片手に、立ち止まる白黒。
首の無い死体へ冷めた緋色の瞳を向けているヴァンプ・ブギア・スカーレット。
「これは、どういう事だ?」
かさねてヴァンプへ問う白黒。
彼女は微かに白黒へ瞳孔を流し、そのまま足元へ転がる吸血剣へ焦点を向けた。
無言で、ゆっくりと吸血剣の柄へ手を伸ばすヴァンプ。
「おいっ!!それに触れるな!!」
白黒は直感的に察した。
幻想剣〈肖像〉を脇に抱え、懐から短銃型宝星具〈無蔵の弾丸〉を抜き出す。
銃口をヴァンプの手元へ狙い定め、もう一度だけ警告する。
「スカーレット!!どうしたんだ!?それに触れない方がいい。今すぐそこから離れろ!!」
「……っ」
撃鉄が火花を弾き、弾丸が空気を捩じる。
ヴァンプの手の甲が貫かれ、血飛沫が彼女の頬に散った。
「グレイ。すまない。私は失敗したみたいだ」
飛び散った血もそのままに、ヴァンプが不意に呟いた。
「何を言って……」
動揺の隙を突かれた。
切り替えが鈍り、白黒が再び引き金へ指を掛けるよりも早く、ヴァンプが吸血剣〈宵闇の串刺公〉を拾い上げてしまう。
「彼女は〈血操術〉について失念していたみたいだね。この剣に血を吸わせた時点で、服従には逆らえなくなると。冷静に考えれば気付けただろうに……」
口調の豹変を受けて、白黒は叫ぶ。
「ソウイチロウ!!貴様っ!!」
「ブラムも賢いね。君に幻想剣を預けておけば、もし負けたとしても、スメラギの元に三本が揃う事を回避できる」
緋色の吸血鬼━━ヴァンプ・ブギア・スカーレットは嗤う。
「さぁ、グレイ。その幻想剣を僕に渡してくれ」
「スカーレットを返して貰うぞ。ソウイチロウっ!!」
メンデルハープの樹皮城、屋外庭園。
そこでは多くの人が志半ばに命を落としていた。
そして、また一人。
〈黎明の騎士団〉第三部隊隊長グレイとしての名を棄て、PKK〈白黒の灰塵〉として葬儀人を追い求め、そして大切な少女との約束を果たす為にずっと戦ってきた。
━━白黒としての、最期の戦いが始まる。




