白と黒の約束「沈むは海へ、残すは灰を」①
━━メンデルハープの樹皮城、屋外庭園。
朝霧に包まれし屋外庭園、遠く、霧の向こうから注ぐ日差しは脆弱で、庭園を淡く照らしている。
蔦の這う樹皮城が後方には聳え立っており、庭園の足場には薄汚れた赤黒い染みが滲んでいた。
庭園の端、鉱石を積み重ねた柵へ片手をのせ、城下を望んでいる一人の青年。
黒髪は首元まで伸びており、腰元には三本の細剣を携えていた。
黎明の騎士団団長であり、葬儀人のブラムだ。
彼より数歩下がった辺りの空間が不意に歪む。
「思ったより遅かったな」
ブラムは振り返らず、来訪者へ投げ掛けた。
「遅かったか。ふん。随分な歓迎だ」
じじっ、と不可解な雑音と共に姿を現す葬儀人フィズ。
「ブラム。どういうつもりだ?」
フィズの問い掛けに、振り返るブラム。
「言っていた筈だ。あくまで〈クシャティケルの灯〉を制圧するまでの間だと。私はもうあの時から、お前達を仲間だとは思っていなかった」
「〈レギオン〉の時も、〈変革〉の時も。〈水瓶座の時代〉へ直接的に干渉したのはお前だったな」
「あぁ、〈レギオン〉の時の狙いは、記憶の改編ではない。〈変革〉の時もそうだ。上界との遮断は、お前と〈岬朝日〉との交信を絶つのが真の目的だった」
「何を企む?」
「この国の存命だ。今、この世界は徐々に狭まりつつある。いずれ、外側〈未開領域〉の軍勢が押し寄せてくるやも知れない。衰退していく世界で最後まで繁栄を究める。かつて、この国の王が目指した理想郷だ」
「コースの前代か。小人の癖に酷く人間染みた奴だった。しかし、王も民も亡き国に価値があるのか?それは虚栄だと思うが」
「価値を決めるのは、今じゃない。後世だ。いずれ……この箱庭を俯瞰した誰かの記憶に残れば、それでいい。それだけで、証となる」
「どうやらソウイチロウに色々と吹き込まれたらしいな。ブラム。お前は愚かだ。あいつはただ〈水瓶の魔女〉に会いたいだけだ。その為だけにお前を……この国を利用している」
「ならどうする?私を止めるか?」
突如、フィズの頭上から彼の葬具である柄無き剣が出現し、蒼い粒子を散らしながら、ブラム目掛けて真っ直ぐに突貫した。
ブラムは、フィズと同様、葬具である細剣を虚空より掴むと、迫る浮遊剣を難なく弾き落とす。
蒼い粒子だけが軌跡となって、そのままブラムの視界を染めた。
しかし、それも束の間。すぐに散る粒子。
「止める?か。ふん、その必要はないな」
弾き落とされた浮遊剣へ焦点をあてながら、フィズはぼそぼそと続ける。
「滅びると分かり切っているものにまで干渉するほど。こちらも暇じゃない」
「……」
「葬儀人として、一つだけ言い残しておこう。理想郷は人が生み出すものではない」
「……皮肉のつもりか?」
その時、初めてフィズは乾いた笑い声を上げた。
「ははっ、そうだな。創られたこの箱庭の中で理想郷を求めるというのは……皮肉なものだ」
そして、彼はゆっくりと背景に紛れていく。
「精々抗うといい。お前もソウイチロウも、糺すには値しない。そうだな……トワイライトには戻れないから、今度はメルファーレにでも住み着くとしよう。いや、その前に雨頃仔百に会っておくべきか……なに、焦らずいくとしよう」
ぼそぼそと独り言を呟きながら消えるフィズ。
「騙されているのか……騙しているのか。どちらにせよ、もう時間はあまりない、か。スメラギ、グレイ。早く来い。あの約束の下で私は待っている」
ブラムもまた秘めたる想いの一片を言い残し、踵を返した。
━━緑祭の都ウェルズニール、西の辺境。
「ようこそ……〈円卓の騎士団〉僕はこの日をずっと待っていたよ」
「ロードリア様……!?」
メルティ率いる〈黎明の騎士団〉の撃退に成功したスメラギ達〈円卓の騎士団〉はそのまま進軍を開始。
明朝、遂にその日を迎えていた。
メンデルハープの樹皮城を目指すスメラギ達の行く手を阻むは、たった一人の男性。
現国王ベティリアの実弟、そして、ティアメルの実父。
ロードリア・ティ・フロウウェンだった。
腰には抜き身の剣を携えている。
「それは……〈宵闇の串刺公〉か」
三賢人が一人、ヴァンプ・ブギア・スカーレットが緋色の刃を見止めて呟いた。
「ふふっ、久しぶりだね。ヴァンプ」
「まさか!?」
容姿こそ異なれど、その笑い方には覚えがあった。
懐かしき恋人の面影が重なり込む。
「そうだよ。僕だ。ソウイチロウさ」
白黒が会話に割り込む。
「……ソウイチロウだと!?」
「おや、初めまして。白黒の灰塵……いや、グレイだったかな?娘がお世話になったね」
「ロードリア様の姿でふざけたことを口走るな!!」
「怖いね。けれど、この肉体の主は君の事をとても恨んでいるよ。僕にまでひしひしと伝わってくる程にね」
「それは……」
否定できなかった。
かつて、ティアメルことアメル・ティ・フロウウェンを国外へ連れ出そうとし、そして、失わせてしまった。
当時の白黒は弁明せず、詳細を語らず、ただ結果だけを言い残した。
父親であるロードリアに叫喚された過去が嫌でも蘇る。
「ねぇヴァンプ。彼がさ……今の君のお気に入りなの?」
「グレイの事か?」
「うん、そうさ。昇天の隣人では、僕の残滓に会えたかい?どうだろう、同じ事を言っていたんじゃないかな?振られた身としては、ちょっとだけ嫉妬するよ」
「心にもない事を言うな」
「ふふっ、なんだか懐かしいな」
「昇天の隣人で、お前は葬儀人を探せと言っていた」
「あぁ、たぶん、君を此処へおびき寄せる為の嘘だね。まったく、僕もいい加減な事を言うな」
「なぁ、ソウイチロウ」
「なんだい?ヴァンプ」
「私はな、心配していたんだ。お前が……いつだって、私に違う女を重ねていたのを」
「そっか……だから、振られたんだね」
「突然、飛び出していって。振られたのは私だ」
「それならさ、やり直そうよ。ヴァンプ、こっちにおいで」
ロードリアの姿をしたソウイチロウは微笑み、片手をヴァンプヘ差し伸ばす。
「ヴァンプ殿!?」
長政が不安そうな眼差しでヴァンプを見上げている。
「スカーレット。好きにするといい。あいつはお前にとって……大切な人。だったんだろ」
「グレイ……」
━━引き止めて欲しい。なんて考えるのは身勝手か。
不死なる賢人ヴァンプ・ブギア・スカーレットは選択する。
「グレイ。必ずティアメルを取り戻せよ。私は信じている」
「スカーレット……」
静かに。彼女は踏み出した。
〈円卓の騎士団〉から抜け、ソウイチロウの元へ離れていくヴァンプ。
長政はその後姿を見つめたまま、白黒へ問い掛けた。
「なっ!!白黒殿、いいでござるか!?」
「それは俺が決める事じゃない。スカーレットが……あいつが決める事だ」
ぼんやりと、賢人を見送る白黒。
「いいんだね?グレイ」
「えぇ」
白黒の返答を確かめて、スメラギは〈閃光を抜いた。
それを合図に、控えていた〈円卓の騎士団〉の面々も、各々が臨戦態勢を見せる。
「スメラギ。君の幻想剣〈円卓〉を僕に譲ってはくれないかな?」
〈円卓の騎士団〉が向ける敵意に臆せず、ソウイチロウは穏やかな物腰でスメラギへ提案した。
「断る」
「そっか、幻想剣さえ揃えば、君達〈円卓の騎士団〉とは戦わずに済んだんだけどね。残念だよ」
そして、ソウイチロウは吸血剣〈宵闇の串刺公〉の刃をヴァンプの首元へ当てる。
「ごめんね、ヴァンプ。痛いけど我慢してね」
「わかってる」
優しく刃を引くソウイチロウ。
ヴァンプの首元に紅い線が浮かぶ。
眷属の鮮血を啜った緋色の刃がより濃く染まる。
「円卓の騎士団。それにグレイ。僕達はメンデルハープの樹皮城で待っているよ。失ったものを取り戻したいのなら、追ってくるといい。僕達はそれを歓迎する」
〈血操術〉による紅き濃霧を刀身から吐き出していく吸血剣。
瞬く間に視界は霧に覆われ、ソウイチロウとヴァンプの姿が薄れていく。
「スメラギさん、どうしますか!?」
円卓の騎士団の仲間が声を張り上げる。
「まだ動くな!!〈詩術師〉と〈召喚師〉は霧を晴らす術を展開してくれ。霧が晴れ次第、次の行動を指示する!!」
スメラギは〈閃光〉を構えたまま、静観の姿勢を保つ。
ぴたりと硬直した場にて、彼は微かな足音を耳に捉えていた。
「まさか……」
徐々に晴れる紅霧。
「白黒殿!?……何処へ行ったでござるか!?」
長政の叫び声が残響している。
霧に紛れて消えた白黒の行方を辺りに探し求め、長政は必死に何度も何度も、その名を呼び続けていた。
━━言葉の鳥を追うは、白と黒の小人。
およそ一年振りとなる帰郷。
しかし、変わり果てた街中からは、とても愛郷心など蘇らなかった。
白黒は連なる住居を屋根伝いに飛んで、霞む城を目指している。
眼下では、おぞましい影が幾つも蠢いていた。
眷属とは異なり、単純に〈血操術〉の餌食となった吸血鬼もどき。
それらが獲物を求めてか、覚束ない足取りで街中を徘徊している。
「くっ」
白黒は歯の根を噛み、ぐっと激情を堪えた。
国を去る直前は違えど、生涯において何度も眺めてきた幸せな日常。
白黒自身も〈黎明の騎士団〉隊長に任命されてからは、国民と触れ合う機会が多かった。
だから、辛い。
先週あたり〈還日祭〉がだったのだろう。
落ち葉という幸せの残滓が、道の隅に小山を築いている。
もう二度、あの光景は望めないのだと、爪が肌に血を滲ませる程、拳を強く握った。
「ブラム団長、これが貴方の望んだ国の姿なのか……」
葬儀人として待ち構えている筈の団長の幻影へ訴えかける白黒。
彷徨う国民を見捨てて、黙々と樹皮城へ突き進む。
それが正しい判断なのかなど分からない。誰も教えてはくれない。
「俺はそんなにお人好しじゃないんだ……」
まるで少女の愛像へ言い訳をするかのように、白黒は自らを諭す。
ただ、約束を果たす為に今まで抗ってきた。
それも、もうすぐだ。
もうすぐ全てが終わる。
根拠なき予感だったが、白黒は信じていた。
今日……この日で永遠にも思えた黄昏がようやく終わるのだと。
白黒━━色褪せた世界で、彼女との失われた時間を取り戻す為に。
灰塵━━塵芥と化した幸福の形を、もう一度象る為に。
「ティアメル。俺は……」




