届きますように「偶像の鳥かご」⑤
「……あーあ」
烏の職〈鬼〉は分類上、特異職に該当し、〈吸血鬼〉と同様、突然変異型宝星具によって齎されるものだ。
〈鬼〉には独特の嗅覚が備わっており、一度嗅いだ血の匂いは鮮明に記憶できる。
そして、どんなに離れていようとも、その匂いを嗅ぎ取って追跡する事が可能だった。
喰い逃がした獲物は決して逃がさない。
まさしく、今、この瞬間。〈鬼〉なる烏の眼前で、一羽の鷹が今にも息絶えようとしていた。
「……もう死にそうじゃん」
「カラス……」
円錐階層都市バンブリオの第四層。最下層の最果て。
狭き路地の両脇には幾つもの住居が所狭しと詰め込まれており、壁の如く連なって並んでいた。
その路地のつきあたり。高く聳える防壁へ、鷹は背中を預け羽を休めていた。
「……ねぇ、鷹。さっきのあいつ。鷹の何なの?」
「モトチカ、カゾク」
「……ふぅん。家族か」
鷹は限りある余力を一滴残さず絞り出そうとする。
〈理想郷の先駆者〉を殺して、紫苑の元へ帰ろうと思っていた。しかし、紫苑はとうの昔に鷹を見限っていた。
烏を追い返して、〈戦国華憐家〉の家族になれればと恋焦がれた。しかし、その為に元親が死ぬのなら、家族なんていらなかった。
誰も巻き込まない為に外へ逃げようとした。しかし、バンブリオという鳥かごは彼女が抜け出すことすら許してはくれなかった。
がくがくと嗤う膝を疑似強制書換で強引に立ち上がらせる。
蒼い焔纏う漆黒の鞭を片手に握る。
脇腹の出血はとうに致死量など超えているのだろう。意識が朦朧としている。
対して黒塗りの長尺太刀〈酒呑童子〉の切っ先を鷹へ突きつける烏。
「……ばいばい」
その時、さよならの挨拶に別の声が被さった。
「やれやれ、こっちは外れだったか」
烏の背後より現われし人影。
鷹の瞳が映し出すは、首回りまで切り揃えられた黒髪が凛々しく、桜色の浴衣が艶やかに映える双剣の女侍だった。
「……だれ?」
「それはこっちの台詞さ。愛弟子との約束でね……葬儀人リリアを他の誰よりも早く見つけ出す為に似た気配を追っていたんだが。どうやら私が追っていた気配の正体は君みたいだな」
烏へ真っ直ぐに目線をあて、彼女は訊ね返す。
「君は誰だい?どうして〈移人狩〉を追っている?」
「……俺は烏。鷹は失敗作だから」
「ふむ。察するに、二人とも……」
━━紫苑の作品だろう?
感情起伏に乏しい、烏の金色の猫目が見開き、より瞳孔が細長く切れた。
「……どうして」
「知っているか……だろ?いやなに〈ゾディアーク教団〉とはね、昔、ちょっと縁があったのさ。腐れ縁だけどね」
双剣の女侍は言葉を重ねていく。
「紫苑は、まだこんな愚行を続けているのかい。わかりやすく説明した筈だったんだがな。死体だろうと、君みたいな虚人だろうと、意識混濁性消失障害だって同じさ。私達は、精神面だけがこの世界に囚われている。肉体は容量オーバーだからね。この世界における器は同一の仮想物でしかない。法則から外れるんだよ。不均衡が生じ、やがて精神が仮想に合わせて軽量化されていく。だが、私達は記憶するだろう?つまりは質量の増減を繰り返している訳だ。この世界における増減は、断片化を伴う。更に劣化も加わるからね。現実よりも数倍の速度で、私達は記憶を失っているんだ。今はまだ精々、幼少時だったり、何気ない日常風景だったりするだろうが、それも時間の問題さ。だから、紫苑は意識混濁性消失障害の精神が少しずつ断片化していく未来を懸念し、君達みたいな愚かな偶像を創り出している訳だ。最適化……あぁ、私はこの断片化に対する一つの案を〈最適化〉と名付けているんだが。紫苑は〈死霊術〉に〈最適化〉の術を見出そうとし、人体実験を繰り返しているのだろうな。まったく……愚かな奴だよ」
「……でも、俺は成功だって。紫苑が言ってた」
「君も愚かだな。奴が嘘を吐かない所を、私は見たことが無かったよ」
「……違う!!紫苑は!!」
「いいさ、好きに信じるといい。私も別に、他人の崇拝を否定したい訳じゃない」
「……お前は」
「これは失礼。自己紹介がまだだったか。私はなおえかねつぐ……上界では〈花卉の魔女〉と称されている。おっと、お喋りが過ぎたみたいだ。仲間達がもうすぐ来てしまうな。その前に、君達の口封じをしなければ……ね」
告げ終わると、なおえは静かに双剣を抜刀した。
長短二対の小刀。その柄頭から垂れる紅紐が優雅に宙を翻る。
〈極須の神質〉が、本来の発動条件を無視して発現する。
瞳孔に灯る碧い粒子。
そして……。
「……トリ」
鷹がぼそりと呟いた。
なおえの周囲に漂う奇妙な文字列。
淡く、蒼く発光する文字列は鳥を真似て、三人の周りを舞い踊っていた。
〈言葉の鳥〉を横目に捉えつつ、なおえは双剣を交差させて構える。
「鳥は好きじゃないんだ。なかでも烏は大嫌いだよ。図々しいし、目障りだし、何より……昔、肩に糞を落とされたからね」
━━戦国華憐家の一軒家。
開け放しにされている扉が視界に入り、半兵衛はより駆け足を強めた。
「元親っ!!」
幾つもの日常風景が脳裏を過った。
それは、とても幸せな日々。
半兵衛にとって、家族との大切な思い出が詰まった部屋。
音を立てず、幸せの断片が崩れ落ちていく。
視力を失った元親は、額や両腕など体中から血液を垂らしており、辺りの床にはガラスの破片と血痕が飛び散っていた。
叫びを押し殺し、両肩を震わせて唸る家族の姿。
半兵衛は彼の元へ駆け寄り、そっと肩に触れる。
「半兵衛……俺。駄目だったよ。また守れなかった……」
「元親……」
元親は幸村を抱き寄せた際に、彼女の懐へ仔百の〈製菓〉を忍ばせていた。
所有者同士の鼓動を確かめ合う。可愛らしいハート型のクッキー。
雨頃仔百が祝勝会に向けて持参したお菓子の中に紛れていたそれは、本来、仔百が元親と半兵衛に向けて生成した〈製菓〉だった。
お互いの鼓動に合わせて、脈動していたクッキー。しかし、今はもう……。
お菓子を真似た道具が、ぽろりと元親の手から零れ落ちる。
床へ衝突し、儚く砕け散るハート。
「なぁ半兵衛。どうしてなんだろうな……どんなに頑張っても、失敗しちまう。ただ、家族全員で一緒に暮らしたい。ただ、家族揃って笑い合いたい。それだけなのに。それだけの願いすらも掴めないんだ……俺にはあまりにも遠いんだ」
「すみません。私がもっと早く助けに入れていたなら……」
「いや、違う。俺の所為だ。俺さえ、もっと……もっと、強ければ」
お互いに謝罪の言葉を並べ立てる元親と半兵衛。
扉の間際に立っていたエルが後ろの二人へ呼び掛ける。
「私達は行きましょう。まだやるべき事があるわ」
「あぁ」
「そうじゃな」
エル、言理、ベリルの三人が去っても、元親と半兵衛は変わらずに、自責と赦免に沈んでいた。
「ははっ、悪い、みっともねーな。これじゃあ、半年前と何も変わんねー……結局、俺は誰も救えなかった」
「そんなことありません。元親。貴方に救われた人は居ます。確かに……居るんです」
元親の肩を掴んでいた腕を、半兵衛はもっと奥へ、彼の背中まで伸ばした。
「半兵衛?お前、メイド服はどうした?」
上半身は言理から借りている薄手のスーツを着ており、下半身は下着一枚を残して、素肌を晒していた。
盲目の元親は布の触れ心地に違和感を抱いて、そう訊ねた。
「あ、こ、これは……その、」と、珍しく声色に動揺を覗かせる半兵衛。
半兵衛の焦りを受けて、元親はそれ以上の追及を避けた。
代わりにそっと半兵衛を抱き寄せる。
「なぁ、ちょっとだけ……泣いてもいいか?」
耳元へ小声で囁かれ、半兵衛の身体が僅かに弾む。
しばらくして半兵衛は両目を瞑ると、優しく微笑んだ。
「仕方ないですね。ちょっとだけですよ」
「ありがとな」
いつもはあんなにも賑やかで暖かかい家族の溜まり場。
日常からかけ離れた静寂が二人を包み込んでいた。
元親の嗚咽だけが、静けさの水面へ途切れ途切れに波を打っている。
━━割れた窓の隙間から、一羽の鳥が入り込む。
雀程の大きさをした小鳥は、ぴょんぴょんと床に散らばるガラス片を飛び跳ねて避けながら、身を寄せ合う二人の元へ近寄っていく。
そして、ちゅん。と愛らしく一鳴きした。
小鳥の素朴な丸い瞳は、いつまでも……家族の姿を映していた。
〈ハンプティ・ダンプティ〉所属━━ナイトレイ・シュヴァリエと雨頃仔百がその場へ駆け付けた時、事態は既に収束を迎えていた。
「……遅かったじゃないか」
首から上だけを曲げて振り返るなおえ。
彼女は双剣の切っ先を下げて、ぼんやりと立ち尽くしていた。
周辺のありとあらゆる面に無数の斬痕が刻まれている。
「こ、これ。なおえさんが一人でやったですか!?」
驚愕に声を震わす仔百。
なおえの足元でうつ伏せになっている人影。
真っ黒な頭髪から突き出ている赤褐色のねじれ角。その片方が無残にも折れていた。
双剣を鞘へ収めながら、なおえは呟く。
「どうやらお互いに争っていたみたいだが、私が来た時にはもう遅かったよ」
バンブリオの防壁へ背中を預けて息絶えている女性。
ナイトレイは屈み込んで素性を確認する。
「〈移人狩〉ですね。間違いありません」
「こっちは生きてるです!!すぐに治療しないとです!!」
一方の仔百は、片角の青年の傍に蹲って、フリルの縫われたスカートをまくると、太もも回りに括り付けられている色とりどりの〈製菓〉を取り出し始めた。
その様子を無言で見下ろすなおえ。
「彼は、〈死霊師〉紫苑によって生み出された存在ですね」
ナイトレイの一言で、なおえの瞳孔が一瞬、萎んだ。
しかし、治療に専念する仔百にも、やや離れて問うナイトレイにも、その変化は見抜けない。
「よく、知っているね」
「実際、目にするのは初めてです」
「君の言うとおりさ。私は、二人の言い争いを少しだけ聞けたんだ。どうやら、彼も〈移人狩〉も紫苑の作品だったみたいだね」
「なるほど。詳細は不明ですが、〈移人狩〉の狙いは姫様。いえ、理想郷の先駆者でした。なぜ〈ゾディアーク教団〉は滅竜士バルド以外の先駆者を一掃しようとしているのでしょうか。まったく……メルギルウス王の先見の明には感服させられます。この国の王は、始めから〈ゾディアーク教団〉を注視していました。先日のウェルズニール派兵へ彼等だけを選んだのは、つまり、そういう事なのでしょう」
「〈ゾディアーク教団〉が裏切る。って事かい?」
「おそらくは。今度の派兵による真の目的は、炙り出しだと仰っていました。明日にも〈ゾディアーク教団〉の拠点は制圧されるでしょう。そして、彼は貴重な情報源になります。モモ、救えますか?」
「任せるです!!お転婆菓子職人の名にかけて、この人は救ってみせるです!!」
「無事なのか?……ギル」
姫の両翼の片割れを担うナイトレイ・シュヴァリエ。
彼は煌く星空を見上げ、自身と対を成すもう一人の翼━━双子の弟ギルフォート・シュヴァリエの身を案じた。




