小人が見た夢「黒」
たとえ、国に逆らうとしても。かつての仲間へ、銃を向けなければならないとしても、彼女を諦める訳にはいかなかった。
「どうしても……語ってはくれないの?グレイ」
彼女の叔母に当たるベティリア・ティ・フロウウェンが、俺へ切なげな眼差しを投げ掛けている。
「はい。俺が、ティアメル様を国から連れ出そうとしたのは事実です。それ以上は……何も言えません」
〈レギオン〉が終結を迎え、〈クシャティケルの灯〉が滅亡し、そして、蒼い焔を操る謎の人物にティアメル様を奪われて、数日が経過していた。
正体不明の黒衣に傷付けられた片目はいまだ回復せず、もしかしたら、このまま視力は戻らないのかもしれない。
〈レギオン〉にて命を落としたコース様の代わりに、ベティリア様が新たな国王として戴冠式に望んだのは、もう先月の出来事だ。
〈黎明の騎士団〉団長を務めていた頃とは、雰囲気が変わりつつあった。
鋭く突き刺さる眼光は、かつての凛々しさを失い、威厳を育みつつある。
「貴方が真相を語らなければ、誰も納得しないわ。そうなれば、私は貴方を罰せねばならない。グレイ……私は、そうはしたくないの」
答えられない。
俺は全てを疑っていた。
ティアメル様を失った日を境に、何かが変わってしまっていた。
黙したまま〈黎明の騎士団〉の象徴である幻想剣〈肖像〉をそっと、懐から抜く。
そして、そのまま王謁の間に敷かれた朱色の毛羽立った絨毯へ、〈肖像〉を寝かせた。
「俺には追わねばならない憎しみがあります。果たさねばならない約束があります。だから、まだ死ぬわけにはいきません」
「グレイ……」
哀しみを含んだ呟きは棘となり、心に深く突き刺さった。
けれど、もう立ち止まれない。
俺は必ず、彼女を海へ……必ず、また彼女の隣へ、辿り着かなければ、死ねなかった。
目を瞑る度、克明に思い出せた。
でも、いつかは薄れ、忘却の淵に沈めてしまうのかもしれない。。
それが無性に恐ろしかった。
忘れる筈がないと言い聞かせても、底知れぬ恐怖は拭えない。
避けられぬ流転は、俺をこの国ではない何処かへ向かわせようとしていた。
もう、国へ誓う忠誠も、仲間達へ募らせる恩義も、全てが欠け落ちていた。
「俺はウェルズニールを去ります。……阻むものには容赦しません」
それだけを言い残し、俺は王謁の間を後にした。
城門を抜ける際、門兵が行く先を阻んで立ち塞がった。
「グレイ様!!貴方を城から出さないようにと、ブラム団長から厳命されています。どうか、樹皮城へお戻りください」
「……どけ」
腰元から白銀の短銃を抜き、引き金に指を掛けた。
「お、お止めください」
銃口を向けられた門兵は見るからにうろたえ始め、どう対処すべきか判断に困っていた。
俺は銃口を下げ、無言で彼の脇を通り過ぎようとする。
すると、意外にも門兵は俺の肩を掴んで引き止めた。
さきのやり取りで相手の気概は挫いたとばかり思っていた為、驚きで微かな吐息が漏れた。
「邪魔をするなら、殺すことも厭わないぞ」
脅しを含む低い声色で言い放つ。
「わ、私には、妻子がおります。息子はグレイ様に近く、もうすぐ18歳になります。羊肉と香草を煮込んだスープが好物で、〈黎明の騎士団〉へ入団する為に日々、己を磨いております」
「それがどうした?」
「息子はグレイ様に憧れておりまして。よく私に問い掛けてくるのです。グレイ様はどれだけ強いのか?どれだけ優しいのか?どれだけ国を想っているのか……と」
「……手を放せ」
「放せませんっ!!息子も、そして、私も。グレイ様を信じております。ティアメル姫が姿を消したのは、グレイ様の仕業ではないと。何か事情があるのでしょう?ですから、どうか疑いを晴らしてください。私達はグレイ様の口から真実が語られるのを望んでおります」
「黙れ」
再び、俺は銃口を彼の額へ突きつけた。
「グレイ様っ!!」
俺は……。
不意に、ロランの言葉が脳裏を過ぎった。
━━君みたいな種類は、道が見つからなければ強引に切り開き、切り捨てたものは仕方ないと割り切れる。結果、戻れなくなるんだ。なおさらに。
貴方の言う通りだ。
俺は、切り捨てる事を躊躇しない。
戻るつもりなんてない。
前へ、前へと。放浪を止めず、いつか約束の元へ辿り着くんだ。
指に力を込める。
あと一押しすれば、銃弾は放たれ、彼の脳天を貫くだろう。
あと……一押しで。
呼吸が止まる。
「グレイっ!!」
その呼び声を耳にした瞬間、喉奥から深く、息が抜け出していった。
遅れて無意識に呼吸を止めていたのだと自覚した。
酸素を求めて、肩が上下を繰り返している。
「スメラギさん」
門兵は声の主を確かめて、安堵の息を吐いた。
異色の双眸を鋭くさせて、こちらへ歩み寄ってくる青年。
彼は勢いそのままに、俺の頬を殴り飛ばした。
尻から地面に崩れ、頬が熱を帯びる。
「君は……今、何をしようとしたのか、分かっているのか!?」
「……スメラギさん」
短銃を懐へ忍ばせ、立ち上がる。
「グレイ。私は君を止めはしない。しかし、私が愛する国へ、民へ君がその銃口を向けるのならば、話は別だ。思い出してくれ……グレイ。君が、いや、君達が愛した平穏は、君達だけで成立しているものじゃないだろう?……踏み外すなっ!!」
嫌でも思い出す。
この国にいては、必ずどこかで彼女との日々に繋がり、幸せだったあの緩やかな時間が浮かび、息苦しく苛ませた。
忘れたくない。
思い出したくない。
相反する感情が、俺の足を突き動かす。
「グレイ!!いつかまた皆で〈還日祭〉を楽しもう。君達が帰る場所を、私は……守っているよ」
後ろから、スメラギさんが呼び掛けていた。
温厚な彼にしては珍しく、無理やり絞り出したかのような妙な声だった。
少しだけ……その言葉自体に迷いを垣間見る。
〈レギオン〉以降、スメラギさんは自室にひきこもる時間が多くなっていた。
時折、城内でばったりと遭遇しても、あまり口を開かず、目を伏せた横顔からは、憂いが窺えた。
もしかしたら、いずれ国へ刃を向けるのは、俺ではなく……。
視線は眼下に伸びる城下へ向いたまま、俺は唇を噛んで、彼に問い掛けていた。
スメラギさん。貴方は今でも、この国へ忠誠を誓えると、そう言い切れますか?
手を血に染めることなく、俺は亡命に成功していた。
振り返れば、薄霧に包まれた樹皮城がじわりと片目に滲んで見えた。
まずは城壁都市ゴゴ・チャッカへ流れよう。
方角を確かめ、緩やかなスロープを描く浅道へ歩を進める。
行商人だろうか?
やや前方には、がたがたと木を軋ませて、ゆっくり道を辿る馬車が一台だけ、視界に入り込んでいた。
交易路の道中には幾つかの砦が設けられており、滅多なことでは魔物も寄りつかない。
膝丈ほどの草花が茂る平原は見晴らしもよく、安心な行路が約束されている。
前を進む馬車にも護衛の影は見当たらないが、しかし、それが慢心と結び付かない。
眼前に広がるのんびりとした光景からは、平穏の国として隣国に慕われる証が確かに覗かれた。
ナノケリアは蜥蜴人が広く生息しており、気性が荒いと聞くし、バンブリオは山塊がひしめき合って、魔物は当然ながら、道のり自体が険しいとの噂だ。
暖かな日光が、平原を極明色に照らし、さらりと吹き抜ける風が、ひんやりと肌に心地良い。
馬車の尻を追って、のんびりと南下している道中。
その先で、俺は、最後の揺さぶりに遭遇してしまった。
彼女達は砦へ常駐していたのだろうか?
二頭の馬が規則正しく横列を成し、奥から姿を表していく。
次第に輪郭線がはっきりと浮かび上がる。
どちらも見覚えある……二人組だった。
「グレイ!!どうしてこんな所に!?」
行商人の馬車とすれ違った直後、彼女は俺の姿を見止めて手綱を引いた。
馬は突然の停止に驚いて、蹄で硬土を抉り、鼻息を鳴らした。
隣には、孤児から彼女の側近にまで昇り詰めた天才剣士、ケヴェル・コッコが控えていた。
「メルティ様。……視察の帰路ですか?」
「グレイ!!貴様っ!!姫様の疑問に答えろ!!」
ケヴェルが唾を飛ばして、こちらへ射抜く様な鋭い視線を向けている。
「こら、ケヴェル!!お止めなさい」
「し、しかし……こいつは今、城内にて謹慎処分を言い渡されている筈。グレイ……貴様、まさか亡命か!?」
「……そうだ」
ありのままを伝える事に、僅かな躊躇いも抱かなかった。
「そんな……グレイ。なぜですか?」
ティアメル様の使用人として傍に仕えてから、何度も顔を合わせ、会話を弾ませ、笑顔を交わしてきた。
ティアメル様と同じくらい、俺に対して分け隔てなく接してくれた少女。
キャメロット・ティ・フロウウェンことメルティ様は、ティアメル様によく似て美しい表情を僅かに曇らせて、俺へ問い掛けた。
「俺はまだ死ねないのです。……どうしても、果たしたい約束があります」
「約束の相手とは、その、ティアメルなのですか?」
その問いには何も答えられなかった。
しかし、沈黙が返答となり、メルティ様は切実な面持ちで訴え始めた。
「でしたら、私もお連れ下さい。独りで戦おうとしないでください」
「なっ!?キャメロット様!!何を仰って……」
「お気持ちは嬉しいですが、これは俺が果たさなければならない。いえ、俺が独りで遂げなければ、きっと納得できない……夢のようなものなのです。ですから、どうか、このままいかせてください」
「でもっ!!私だって、ティアメルを助けたいのです!!」
そうだ。
彼女だって、いや、彼女の方がずっとティアメル様との付き合いは長いのだ。
理屈では分かっている。
それでも、俺は彼女の訴えを頑なに拒む。
もしかしたら、独占欲に似た、どこか仄暗い感情が働いたのかもしれない。
彼女達の脇を通り過ぎるように、歩みだす。
「まてっグレイ!!俺が見過ごすと思うか!?、止まらなければ、貴様を斬る!!」
ケヴェルがざっと馬を飛び降りて、愛用する曲刀を抜いた。
刀身が日差しを反射し、光点が視界を貫く。
ケヴェル・コッコの実力は認めていた。
ずっと見上げるばかりだった。
だとしても、もう俺は退けない。
懐に忍ばせていた双銃を抜き掛けた。
その瞬間、メルティ様が大声を響かせた。
「ケヴェル!!ウェルズニールへ帰ります!!」
「キャメロット様!!それで……よいのですか!?」
「いいのです。私達は今日、誰とも出会わなかった。それでいいですね?」
「……ははっ!!キャメロット様がそう仰るのであれば、ままに」
「グレイ。必ず……ティアメルと一緒に帰ってくると約束してください」
「残念ですが、約束はできません」
俺が約束できるのは、彼女とだけだ。
それだけで精一杯だった。
寂しそうに、瞳を伏せるメルティ様。
「そうですか……。わかりました。せめて、貴方の道行く先に幸が在らん事を」
瞬く間に小さく離れていく二人の後姿。
それから月を跨がずして、キャメロット・ティ・フロウウェンは〈黎明の騎士団〉第三部隊隊長として幻想剣〈肖像〉を授かった。
グレーニール・イプサことグレイはその名を棄て、三賢人の一人ヴァンプ・ブギア・スカーレットとの出会いを果たす。
それは、お互いの道がもう二度と重なり合わないであろう事を示唆していた。




