亡国「円卓の騎士団」⑨
ウェルズニール現国王ベティリア・ティ・フロウウェンの実弟ロードリア・ティ・フロウウェン。
彼の心は名状し難い憎悪に塗り潰されている。
妻を失ったのはもう随分と昔だ。
姉であるベティリアが前代コースに見染められ契りを結んだ後、ロードリアにもまた王族を冠するフロウウェンの名が与えられていた。
〈メンデルハープの樹皮城〉での暮らしは、それまでの様式とはあまりにもかけ離れており、戸惑う彼を支える為に侍女が付けられていた。
ロードリアが彼女に恋心を抱き、やがて変わらぬ愛を誓い、そして……二人はティアメルことアメル・ティ・フロウウェンを天より授かった。
妻はティアメルを生んですぐに病を患い息を引き取った。
ティアメルはグレイに亡国の手引をされ、その最中に命を落とした。
ロードリアはもうこれ以上失うものを持っていない。
もうこれ以上奪われるものが存在しない。
もうこれ以上哀しむ必要がなかった。
今、憎悪に支配された彼の心に大切なものはもうなにもない……実の姉ですら含まれてはいない。
逃れられない悪意はロードリアから発端を忘れさせ、代わりに不鮮明な憎しみだけを残していった。
幸福は誰の元にも平等に訪れる。
ロードリアは決してそれを認めない。
この世界は不平等だ。
希望が崇高なる輝きを発するのならば、絶望が無淵なる闇を吐き出す。
奇しくも前代コースが絶命した庭園。
〈メンデルハープの樹皮城〉は変わらずに霧を纏っていた。
静まった薄闇にぽつりと浮かぶ欠けた月。
「ロードリア。こんな時間にどうしたの?」
ベティリアに背を向けたまま霞む月を見上げているロードリア。
溺れた彼に手を差し出したのは……。
━━其れは虚栄の国が善悪を別つ日。
メイジは帰還術による蒼い光柱に包まれていた。
ふわりと肉体が軽くなり、次第に実感が失われていく。
まるで肉体という器が節々から世界に溶けていくかのような奇怪な感触。
動き。を意識してみても、反応が返ってこない。
目蓋も上げれず、ただ浮遊感に身を委ねていた。
帰還術を行使したのはこれが初めてであったが、メイジはこの体験に覚えがあった。
……そうだ。これって〈New Age〉の世界に。意識混濁性消失障害に陥った時に似てるんだ。
意識混濁性消失障害にとって、ギルドへの加入、脱退の条件というのはまだ酷く曖昧であった。つまり、どうすれば帰還術の権限が得られるのか、解明されていないのだ。
帰還術の権限の有無についての自覚は簡単だ。
スキル取得時と同様で脳の中に直接、機械的なアナウンスが響く。
個々の見解や実体験をまとめようにも、共通点より差異が目立つ為、解明は〈変革〉後も変わらずに低迷している。
長時間、ギルドの拠点で過ごす事により自然と帰還術の権限が与えられた意識混濁性消失障害が居れば、無種族の状態で単独、同一ギルドメンバーのPTに混ざりクエストを達成した後、帰還術が可能になったという噂もある。
信憑性が高く、最も普及していたのはスキル取得時と同様、各地に点在する聖堂なる施設で書類申請を行う事だった。結果、ほぼ確実に加入が認められている。
メイジが帰還術を自覚したのは、ウェルズニールにてマオの問い掛けに答えた瞬間だった。
━━黎明の騎士団に入団するよ。
あの一言がきっかけでギルド加入が認められたのだとメイジは認識していた。
ゆっくりと感覚が戻っていく。
まるで夢から覚めるように、散らばっていた意識が再び象られていく。
もしかしたらこのまま元の世界に……現実へ帰れるのではないかとメイジが微かに抱いた期待は淡く薄れていった。
瞑っていた目を開くと、傍にはメルティとケヴェルの姿もあった。
灯りに乏しい石畳の空間。
圧迫感とは無縁の広がりを見せている室内に見覚えはない。
「ここは……談議室か」
ケヴェルがぼそりと擦れた声を漏らし、対してメルティが無言で頷いている。
察するにどうやら〈メンデルハープの樹皮城〉内部の一室へ転移されたらしい。
暗がりの奥から喧噪が上がり始める。マオの指示によってメイジ達と同様、帰還術による瞬間的な撤退を無事遂げた仲間達の声だ。
悲観の込められた嘆きや、安堵を含む溜息など、耳に届く声色は様々だ。
メイジの胸中を占めているのは、後ろ向きな感情がほとんどだった。
こういった辛さを背負わなくて済むようにと、彼は戦う事を選んだ筈なのに、結果、望まない光景だけが目に付く。
そして、メイジは違和感を覚り出す。
白黒の強制書換〈矛盾する理〉によって、蓄積してきた経験値が……意識混濁性消失障害になってから積み重ねてきた数値が、初期化されていたのだ。
Lv60の線を超えていたメイジにとって、減衰の幅というのは瞭然たるものだった。
現時点ですぐさま実感できたのは腕力や視力など……また抽象的だが「感覚」そのものが鈍くなっている様にも感じられる。
病み上がりを思い起こさせる気だるさにも似た鈍さ。
本当に現実の頃と変わらない。普通の人間に戻ってしまったんだなと改めてメイジは痛感した。
強制書換なる蒼い粒子もまるで扱えない。
それはこの世界……〈New Age〉で生き抜くためには、あまりにも酷な変化だった。
「まだ痛みますか?」
いつの間に寄り添っていたのか、譜術師の少女が上品に屈んでメイジの腹部へ両手を当てていた。
「ううん、もう大丈夫そう」
白黒に撃ち抜かれた腹部へ視線を落とすと、赤黒い染みが衣服に滲んでいた。
「メイジさん、ケヴェル。二人は安静にしていてください。私は母様に此度の出兵の結果を報告して参ります」
紅い水滴の滴る甲冑を軋ませながら、メルティは独り母の元へ向かう。
日は沈み、城は薄闇に覆われ始めていたが、まだ寝静まるには早い頃合の筈である。
それなのに、母……現国王ベティリア・ティ・フロウウェンの姿が何処にも見当たらなかった。
何よりベティリア以前の問題として、人の気配がまるで感じられない。
「どういう事でしょうか……」
次第に歩幅が伸び、交差する足の間隔も短くなる。
焦燥感が膨れ、彼女は遂には声を張り上げてしまう。
「誰かっ!?誰か居ないのですか!?」
反応を窺うが、城内は依然として不気味な静寂を一貫している。
窓の外から垣間見える月は欠けており、〈大樹メイニール〉が吐き出す霧によって霞んで映った。
〈円卓の騎士団〉に対しての敗北よりも嫌な……言い表せない危惧感を抱き始める。
見慣れた筈の城内が、見知らぬ異常を孕んでいる。
王謁の間へ足を運んだ後、メルティは当てもなく庭園を訪れようと思い至った。
もしかしたら……ちょっとだけ余韻に浸りたかったのかもしれない。
自覚してしまった感情について、少しだけでいいから耽りたかったのかもしれない。
きっかけとか、タイミングとか。正直、あまりわからない。
出会ってからまだ日も数えるばかりだ。
でも、恋というのはそういうものなのかな。と彼女は自らを諭そうと呟いた。
誰かを好きになるというのは、きっと理屈じゃない。
小人と移人。その差異など大した問題じゃないと思えるぐらいに彼女は惹かれていた。
だから、彼が傷を負い、死の間際に陥った時、とても怖かった。
大切な人を失う辛さを幾度か経験してきたメルティは、あの瞬間、内心、酷く怯えていた。
彼の傍に居たい。彼に傍に居て欲しい。
メルティが生まれて初めて誰かに抱いた……淡い恋心よりも濃く、やや偏執的ですらある感情だった。
私、メイジさんの事が……。
しかし、彼女の吐露がぴたりと停止する。
「……っ」
吐息だけが微かに喉の奥から漏れた。
かつて、ティアメルやグレイと過ごした大切な想い出の庭園。
温かい過去の景色がどす黒く塗り潰されていく。
薄闇に紛れて立つ男性と、彼の足元にうつ伏している女性。
メルティはどちらにも心当たりがあった。
女性を中心に鮮やかな赤い染みが広がっており、男性が片手に握る緋色の剣先からは鮮血が糸を引いている。
「母様……どうして?」
少女の問い掛けを受けて、口の端を吊り上げる男性。
「嫌な所を見られてしまったね」
ベティリアの亡骸を一瞥し、ロードリアはメルティへ優しい声色で問い掛ける。
「君は確か。えっと。彼女の娘の……そうだ、キャメロット・ティ・フロウウェンだったかな?うん、似てる気がする。あの時の〈水瓶座の時代〉に似てて可愛いね」
それは彼女の知るロードリアの言動とは、あまりにもかけ離れていた。
「貴方は誰ですか?」
メルティは右手を伸ばし、冠光剣〈ランスロット〉を発現させる。
切っ先をロードリアへ向け詰問した。
「答えてください!!」
「僕はソウイチロウ。かつて〈クシャティケルの灯〉を先導していたって言えばわかるかな?」
「貴方がソウイチロウ?……でも、ソウイチロウは一年前に死んだ筈です」
「この〈New Age〉において、死の概念なんてものほど曖昧なものもないさ。虚人もそうだろう?彼等は殺されても当然の如く蘇るじゃないか?」
教えてあげるよ。とソウイチロウは続けていく。
「僕等も君達も所詮は微粒子の塊でしかない。現実の……あぁ、上界だったね。上界の人間を構成するのが水、炭素、アンモニア、石灰、リン、塩分と続く元素だとしたら、この世界。箱庭の住人を構成しているのは電子といった所だ」
彼の言葉が理解できない。
言葉自体は理解できても、彼の意図が理解できない。
メルティは動揺を内側に抑えながら、ソウイチロウの言葉に耳を傾けていく。
「ならちょっと知識があればサルベージだって可能だよ。バックアップがあれば復元も可能だ。上界に比べて随分と御都合主義なんだよ。まぁ、上界だって、御都合的と言えなくはないけどね。上界も〈New Age〉も同じさ。世界に外側が存在しないと誰も証明できない」
おっと、随分と話が逸れてしまったね。と彼は苦笑交じりに呟いた。
「どうして僕がこの男の器を乗っ取っているのか?だったね。簡単な話さ、この剣〈宵闇の串刺公〉自体に僕の精神を遺しておいたのさ……ブラムに協力して貰ってね」
協力というよりは交渉か。と頷くソウイチロウ。
「僕とブラムは共犯者だ。あの日……〈レギオン〉が終わりを告げた日。僕とブラムは取引をしていたんだ」
「スメラギさんはこの事を知っていて、それで国を去ったのですか?」
「そうだね。ブラムはなぜかスメラギの記憶だけをそのまま残した。葬儀人をも騙しておきながら、彼はかつての仲間を騙すことを拒んだんだ」
理解が追い付かない。それでも、メルティはかろうじて「なぜ?」とだけ言葉を返した。
「僕はただ彼女に会いたい。そして、ブラムはただこの国を守りたい。お互い矛盾しているようだろ?酷く歪んでいるんだよ……僕も彼もね」
ソウイチロウの握る〈宵闇の串刺公〉が微かにだが震動する。
「急いだ方がいい。僕はさっき、〈宵闇の串刺〉に彼女の血を吸わせて〈血操術〉を発動させた。一年掛けてじっくりと整えてきた仕掛けがもうじきこの国を襲い出す。僕達は密かに眷属を生み続けていた。知ってるかい?吸血鬼は血を吸った相手を従えさせる事ができると言われている。今頃、ねずみ算式に〈吸血鬼〉が増えているかもね」
「いえ、私には反逆者である貴方を咎める責務があります」
「見逃してあげる。と言っているんだ。〈水瓶座の時代〉に似て可憐な君を殺したくはないからね。それにこれ以上大切な人を失ってもいいのかい?」
想い人(大切な人)が見つかったと思った矢先、彼女は母親(大切な人)を失った。
背負う使命と抱く恋心の狭間で揺れ動く少女。
「くっ……」
ケヴェルもメイジさんも……そして〈黎明の騎士団〉の仲間達を見捨てる訳にはいかない。と自らに言い聞かせ、彼女は〈ランスロット〉を閉光した。
「お利口だ」
背中に浴びるソウイチロウの嘲り。
メルティは一度も剣を振るう事無く、庭園を後にした。
「どうしたのだ!?目を覚ませ!!」
メイジとケヴェル、それに二人の治癒に専念していた譜術師の少女は薄暗い部屋の隅まで追い込まれていた。
彼等の眼前を阻んでいるのは、〈吸血鬼〉を発症し、ソウイチロウの眷属として立ち塞がる仲間達の変貌した姿だった。
正気を残す僅かな仲間達も散り散りに〈吸血鬼〉と対峙している。
最も接近していた一人がケヴェルへ襲い掛かる。
治癒の不完全な片腕に牙を突き立てられる。
ずぶりと噛み付いて離れない〈吸血鬼〉。
「ケヴェル!!引き剥がして!!」
「わかってるわっ!!」
お互いの慟哭と重なる様に、周囲でも仲間達の叫びが木霊していた。
「おいっ!!やめ……うわぁぁ」
と、何処かで聞き覚えのある男性の悲痛な声が響く。
しがみつく吸血鬼を振り払おうと反対側の肘で頭部を叩いているケヴェル。
突然、メイジの傍に居た譜術師の少女が呻き出した。
事の発端において、背後より変貌した仲間より首元を噛まれていた少女。
「まさか伝染するのか!?」
その症状を受けてケヴェルは焦燥する。
「くそったれ!!」
彼は歪曲した愛剣を抜いた。
そして、ひらりと弧を描いて自らの腕を肩から斬り落とした。
離れた腕に噛みついたままの吸血鬼を蹴り飛ばし、ケヴェルは後退する。
「だ、大丈夫!?」
慌てるメイジに苦悶の表情を見せるケヴェル。
「片腕ぐらいくれてやる。それよりも早く脱出するぞ!!」
「……」
無力な自分に歯軋りした。
目の前ではケヴェルが腕を斬りとしてもなお抗う姿勢を見せている。
僕に何ができる?
彼の……ケヴェルの盾ぐらいになら。
「無駄な事は考えるなよ!!貴様の助けなど要らん!!」
メイジの葛藤を先んじて抑え込むケヴェル。
「俺が道を斬り開く!!絶対に噛まれるなよ!!よし、ついてこい!!」
残された片腕に握る歪曲刀を翻しながら、ケヴェルが群れへ飛び込んでいく。
メイジは成す術もなく、ただ無言で彼の背中を追った。
迫る吸血鬼の手をかわしながら、ケヴェルとメイジは城内の通路まで辿り着く。
そして、二人は立ち尽くした。
「そんな……」
一室より抜け出た通路の左右どちらにも、進路方向を阻む様にして変貌した住人達がふらふらと獲物を求め彷徨っていた。
「こっちだ!!」
ケヴェルは〈大樹メイニール〉の図太い根が這い出ている窓を指した。
隙間は小さく、同時に潜れそうはない。
「先に行け!!」
ケヴェルが切迫した声を上げ、メイジは言われるがまま隙間に身体をねじ込んだ。
四肢を圧迫させながらも外へ這い出ようとする。
衣服がどこかに引っ掛かったのか、布地が伸びてメイジの動きを制限しようとする。
布を引き千切る勢いで強引に抜け出す。
欠けた月に〈大樹メイニール〉の霧が掛っていた。
すぐさま振り返るとメイジは呼び掛けた。
「ケヴェル!!早く!!」
窓の向こう側でケヴェルが雄叫びを上げている。
メイジは窓の向こうへ腕を伸ばした。
「腕を伸ばすな!!噛まれるぞ!!」
「でも!!ケヴェル!!早くしないとっ!!」
吸血鬼らしき者達の人外染みた呻き声が漏れ、僅かな沈黙が時を支配した。
「置いていけ」
「ケヴェル?何を?」
「噛まれた。俺はもう手遅れだ。貴様だけでも逃げろ」
腕を引っ込めて窓の向こう側を確認しようと、メイジは顔を近付ける。
内部にケヴェルの姿が見つけられない。
しかし、すぐ傍で彼のか細い声が聞こえていた。
ケヴェルは窓のすぐ下に背を預けて座り込んでいた。
彼は窓を見上げ、視界に映らないメイジへ呼び掛けた。
「キャメロット様を守ってくれ。済まない……メイジ。お前だけが頼りなんだ」
「諦めるなんてらしくないよ!!……ケヴェル!!」
「らしくないか。結局、俺は自分らしく正義を全うできたのだろうか」
ケヴェルを標的に滲み寄る吸血鬼の群れ。
彼はメイジにも届かない微かな独り言を口にした。
「悔いはない……」
いつか夢見た光景。
メルティに側近として仕える事が出来た。
それ以上先を望むのは傲慢というものだろう。
「悔いは……」
彼が幼い頃に抱いた恋心は叶わなかった。
それでもケヴェルは満ち足りていた。
満ち足りている。とそう言い聞かせてきた。
「少しだけ……メイジ。貴様が羨ましくもあったな」
その言葉を最期にして、ケヴェルは無抵抗なまま吸血鬼に埋め尽くされていった。




