亡国「円卓の騎士団」⑧
━━旧ナノケリア領土、星道の外れ〈オーロ野営地〉
この世界がまだネットゲーム〈New Age〉だった頃。
点在するテントの周囲にはたくさんの冒険者の姿が見つけられた。
〈変革〉後、トワイライトにて新たな冒険者が生まれなくなって……もう半年になる。
現在、かつての賑やかな面影を失ったオーロ野営地には、バンブリオより派兵されたギルド〈ゾディアーク教団〉の面々が束の間の休息に身を委ねていた。
平原を薙ぐ浅風により、ばたばたとはためいているテントの表面。
空はどんよりとした灰色の雲泥に覆われており、ウェズルニールとの領土境界線上に位置する山塊〈星屑の壁〉は陰影に沈んで見えた。
「半年振りか……」
延べ棒にも似た鈍器を担いでいる男性は独り酷くしゃがれた声を出した。
彼は〈星屑の壁〉よりも遠く、ウェルズニールを見通そうと表情を険しくさせている。
もそもそとテントから這い出る青年。
一人で立ち尽くす男性に気付いた青年は、何気無しに声を掛けた。
「バルド?何してるん?」
鈍い紫色の頭髪はやや長めで、首周りを覆っている。
赤紫の瞳に不健康な印象を与える青白い肌。目元には薄っすらと隈すら浮かんでいる。
身長は男性にしては低く、バルドと呼びかけられた巨鎧の男性と並ぶと二人の身長差が露骨に際立った。
青年は横からバルドを見上げ、その視線の先を辿る。
「紫苑。メイジについては話したよな?」
紫苑と呼ばれた青年は質問を受けて唸るような仕草を見せたが、僅かな沈黙を挟んで後、ぽんっと拳と掌を合わせた。
「あー……三人目の理想郷の先駆者やろ?覚えとるで」
「二度目の反転が起きる」
「反転?せやけど、あれは一度きりちゃうんか?」
「確かに俺と〈ハンプティ・ダンプティ〉のお姫様は一度しか経験していないが、断定とは結びつかん。もっとも……あのお姫様が嘘を付いていない証拠などないが」
「ここ驚くとこやろ?はー……びっくりやな!!」
わざとらしくリアクションを返す紫苑。
バルドは見向きもせず、会話を続ける。
「急いだ方が良いかも知れん。カラメルの件もある」
「せやなー……ほんなら出発しよか」
ふらふらと遠ざかっていく仲間━━死霊師の紫苑へ一度だけ視線を流し、バルドは再びウェルズニールの方角を見据える。
「葬儀人。お前達はどうするつもりだ?」
〈滅竜士〉であり〈理想郷の先駆者〉━━大男のバルドは延べ棒にも似た鈍器を担ぎ直しながら呟いた。
「メイジ……」
膨大な量の蒼い粒子が辺りに吹き荒れ、メイジを見失った白黒。
彼の隣に長政が駆け寄ってくる。
「白黒殿?これは一体!?」
「俺にもわからん」
白黒はメイジの戦闘力を奪う為だけに〈矛盾する理〉を弾丸に纏わせた。
結果、弾丸に貫かれたメイジの数値が初期化されたのは確認できた。
しかし、その後……今、白黒と長政の眼前で起きている現象はどういう事なのだろうか?
詳しく述べれば初期化と同時にエントの循環力をも低下させていた。
その変化に起因する「変化」なのか?
白黒は無言で、視界を染める蒼い粒子へ問い掛ける。
「貴様等!!メイジに何をしたっ!?」
額から血を流し、片腕をぶらりと垂らし、片足を引き摺って立つケヴェル。
彼は満身創痍とも思える立ち姿でありながら、白黒と長政へ憤怒の眼差しを向けている。
白黒は何も答えられない。
彼自身、何が起きようとしているのか理解できていなかった。
その時、沈黙する二人の横を少女が駆け抜けていった。
見覚えのある後姿。
「メルティ様……?」
白黒は躊躇せず蒼い粒子の中へ飛び込んでいく少女の名を呼んだ。
━━どんな別れなら哀しまずに済んだのかな。
半年前、初心者狩りギルド〈バジリスク〉の崩壊とネットゲーム〈New Age〉のサービス終了を引き起こした〈変革〉。
〈変革〉の時、メイジは誰も守れなかった。
葬儀人にアメリーを奪われ、フォルテを失い、マオに裏切られ、ココナに話せず、言理に答える事すらできず。
それでも仲間達は誰もメイジを責めなかったし、誰も諦めてはいなかった。
どうしてそんなに強くいられるの?
メイジは何度も何度も、無言で仲間達に訴えた
そして、彼は仲間達の代わりに自分で自分を責め続けた。
誰も死なせない。皆で帰る。
ご立派な宣言だ。だけど、どうだった?僕は何をした?
「また繰り返すの?」
反省したんでしょ?もう仲間を作らずに、一人で戦うって決めたんでしょ?
「それなのに、また繰り返しているの?」
どうして断れなかったのだろうか。
嬉しかった。
メルティに必要だと言われた時、すごく嬉しかったんだ。
「だけど、君はまた誰も守れていない」
また失おうとしてる。
陽射しの当たらない薄暗い教室の隅に彼は立っていた。
黒板の前に立つ虚像が……蒼く染まった眼球を覗かせるメイジが、メイジを責め続けている。
「別れは幾ら逆らっても必ず訪れるんだ。後悔しても過去は変わらないんだよ」
出会った時は単純に幸せかもしれない。
けれど、繋がりが強くなれば強くなるほど……絆が生まれれば生まれるほど。失った時の辛さも増す。
「出会いと別れを繰り返して……誰もが正しい方向に成長できる訳じゃないんだ」
━━泣けない僕の代わりに、彼は泣いていた。
蒼く染まった眼球から涙が零れ落ち、粒子となって飛散する。
「もういいじゃないか。所詮、この世界は仮初だ。このまま死んでしまえば、あっさりと目が覚めるのかもしれない」
悪い夢だったんだよ。と優しく語り掛けてくる。
そうだね。うん……僕はもう駄目みたいなんだ。
頑張ってきたつもりだった。
でも、辛かった。
どう足掻いても失敗ばかりに思えて、何度、笑おうとしても後ろめたさが消えなくて。
一羽の〈言葉の鳥〉が視界を横切った。
言語体を模る蒼い光が、鳥を真似て優雅に翻る。
「メイジさん」
誰かが少年の名前を呼んだ。
とても優しい響き。
メイジは無意識に教室を飛び出していた。
暗がりの続く廊下の先に、彼女は立っていた。
「……アメリー」
窓の外には暗闇が張り付いており、微かな灯りも届いていなかった。
言葉の鳥がふわりと少女を照らす様に舞っている。
メイジが最期に見た時と変わらない姿で、アメリーは微笑んでいた。
「そんなに一人で背負おうとしないでください。メイジさんは独りじゃない筈です」
気の狂った自分が見せている幻なのだろうか。
それでもいい。とメイジには思えた。
ずっと謝りたかった。
「アメリー、ごめんね。僕……君を助けられなかった」
優しく諭す様に、アメリーが答える。
「そんなことありません。私は助けて貰いました。オーロ野営地でも、モネスト山岳でも、あの時だって」
助けようとしてくれたじゃないですか。
「だけど!!」
「そんなに塞ぎ込まないでください。メイジさん。私は……貴方には失われたものの為にだけ頑張ってほしくはありません。今、貴方が守りたいもの……思い出してください」
僕が守りたいもの?
「諦めないでください。忘れないでください。どうか絶望しないでください」
そこまで告げて後、彼女の表情に微かにだが切なさが紛れた。
「貴方に希望を押しつけるつもりはありません。私が貴方を選んだのは、ただ〈彼〉に似ていたから。それだけの気まぐれでした。ですが、今は違います。メイジさん、貴方なら、きっと……いえ、何も言わないでおきましょう。早くお戻りください。貴方を待っている人達が居ます」
━━メイジさん!!
アメリーとは異なる、けれど似た響きを持つ声。
薄っすらと目蓋が開く。
蒼に染まる景色の中、彼女の表情だけが鮮やかに浮かんでいた。
「メルティ?」
自分を抱き寄せていたのは、可憐な頬を涙に濡らす少女だった。
「メイジさん!!良かった……本当に良かった!!」
メルティがぎゅっと力強くしがみついてくる。
絹糸の様にさらさらとした金色の髪が鼻先をくすぐった。
「メイジさんは私と約束しました。死なないと約束しました。……忘れないでください」
「うん、ごめんね」
胸の奥を鋭い痛みが焦がしており、おびただしいい量の出血が衣服を重く湿らせていた。
━━っ!?
自らへ突き刺さる殺気を肌で感じ、メルティに抱き着かれたまま、メイジは反射的に身構えた。
「許さん。メイジ……覚えておけよ」
……ケヴェルだった。
薄れていく蒼い粒子の向こうに彼は立っており、よく見れば気概に反して痛々しい負傷を半身に残している。
メイジは寸前の出来事を思い出し、焦りを表情に滲ませた。
「ケヴェル、大丈夫ですか!?」
遅れてケヴェルに気付いたメルティが上擦った声を上げる。
彼の元に駆け寄るメイジとメルティ。
メイジは強制書換での治療を試みるが、いつまでも蒼い焔が燃え上がる事はなかった。
もし、あのまま……存在過剰摂取二次発症者に反転していたなら、強制書換が扱えたのか?
メイジは過去、〈蛇腹の頂〉で反転し、バジリスクの面々を独りで相手取った記憶がある。
正気を代価に限界を超越する〈反転〉。
存在過剰摂取二次発症者であり、存在過剰摂取二次発症者とは異なる変化を見せる〈理想郷の先駆者〉たる固有の一つ。
バルドも、ハンプティ・ダンプティのお姫様こと「メリーベル・アン・ラズベリー」も一度だけ経験した事のある〈反転〉。
もし……の先は誰にも分からない。
メイジの二度目の反転は未然に防がれた。
今は確かな結果として、それだけが残されていた。
「メルティ様。お久しぶりです」
白黒は構えていた短銃を下げ、メルティへ礼儀正しく頭を下げた。
「グレイ……そうでしたか。貴方も〈円卓の騎士団〉に」
メルティは白黒の姿を見止め、哀しげに漏らした。
━━突如、二人の再会を遮って、間の空間が歪む。
じじじっと不可解な雑音が鳴り、滲み上がる黒衣の人物。
フードを捲くり、萌黄色の髪を晒して黒衣の人物は告げた。
「〈黎明の騎士団〉……お前等は撤退しろ。不本意だが、ここは私が引き継ぐ」
メイジは彼に見覚えがあった。
「フィズ……さん?」
「悪くない再会だ。久しぶりだな、メイジ」
メイジは仲間達の元を無断で去る前にエルから聞かされていた。
バイオレット・フィズも葬儀人だったのだと。
「あー、フィズ!!何しに来たのさ!!」
フィズと同様、空間を歪ませて姿を現すマオ。
「何をしに来た?か。愚問だな、マオ。お前も下れ」
「ねぇ、フィズ。僕さ、聞きたい事があるんだけど」
「下がれ」
「ふーん……あっそ」
マオはつんと顔を逸らして、メイジ達の元へ近寄っていく。
「それじゃ、あとはフィズに任せて帰ろっか」
「そういう訳にはいきません」
メルティは拒否の姿勢を見せている。
「団長命令だよ。これはさ」
メルティをなだめようとマオが告げる。
「僕達は負けたんだ。だから、撤退の時間を稼ぐ為にフィズが来た。そういう事なんだ」
「そんな一方的なものが納得できるかっ!!第一、あいつは誰だ!?部外者じゃないのか!?」
片足を引き摺りながらケヴェルが訴えかける。
「敗者に求められるのは納得ではない。一方的な受諾だ」
フィズが背を向けたまま淡々と告げた。
「くっ!!」
「立つことすらままならない貴様に何ができる?今、悪戯に傷口を増やすことにどんな価値がある?貴様等にはまだバンブリオとの戦争が待っている。努々(ゆめゆめ)忘れるな」
終には反論できず、ケヴェルは押し黙ってしまう。
白黒と長政の後方より〈円卓の騎士団〉の面々がこちらへ接近してきている。
迫る援軍を見据え、メルティは決断した。
「全軍撤退です!!帰還術の使用を許します。マオさん、後続への伝達をお願いしても宜しいですか?
「うん、任せて」
すぐさま紅い霧の晴れた平原へ……後ろへ置いてきた〈黎明の騎士団〉の元へ向って走り出すマオ。
「メイジさん。帰還術は使えますか?」
帰還術は上界の移人━━つまりは元ネットゲームプレイヤーである意識混濁性消失障害にのみ与えられている権限だ。
ギルドに所属している場合に限り、ギルドマスターが定めた拠点地へと瞬時に舞い戻れる。
ただし休息期間は長く、24時間に一度の使用しか認められていない。
〈黎明の騎士団〉の拠点とは、無論〈メンデルハープの樹皮城〉である。
発動までにやや時間を要する為、咄嗟の状況下で狙うのは難しいが、その為のフィズだった。
「葬儀人、お前一人で俺達の相手をするつもりなのか?」
白黒は瞳孔の輪郭線だけが黒く細く浮かぶ右の白眼でフィズを睨んだ。
「一人で……か。無論だ」
一貫して無表情のまま、フィズは両手を広げた。
黒衣の下より幾つもの柄無き両刃剣が姿を現す。
それぞれがフィズの頭上へひとりでに舞い上がり、ふわふわと浮遊を維持している。
帰還術なる蒼い光の柱が足元より伸びメイジ達を覆い隠し始めている。
「白黒さん……ありがとう」
白黒にはメイジを殺す機会があった。しかし、彼はメイジを殺す事ではなく、無力化する事を選んだ。
その事実について、メイジはありがとう。とだけでも伝えたかった。
「やはりお前は、呆れるお人好しだな」
メイジは視界が蒼い光に遮られる直前、白黒が微笑むのを確かに見止めていた。




