亡国「円卓の騎士団」③
もし仮に善良なる民なるものが存在したとしても「純善たる国」というものは決して存在しないだろう。必ず害悪は潜んでいるのだ。
基盤がネット上の仮想世界だとしても、自立思考する小人達が織り成す〈New Age〉にとって、それは現実と変わらずに該当する。
「ケヴェル・コッコ」は幼い頃、そんなウェルズニールにおける汚れの中に蹲っていた。
善悪の挟間に苛まされた彼の幼少時代の葛藤を知る者はごく僅かだ。
ケヴェルは孤児だった。
彼を生んだ両親が今も何処かで生きているのか、それとも死んでいるのか。
ケヴェル自身は何も知らないし、今更、調べようとも思っていない。
ただ、彼が物心付いた頃、傍には誰も居なかったのは紛れもなく事実であった。
あらゆる面で無力な孤児が、生き抜く為に選べる手段というのは残酷な程に少ない。
無知でありながら知恵を絞り、彼等「孤児」は懸命に生きようとする。
ケヴェルは周囲の孤児と徒党を組み、あらゆる悪事を働いていた。
当時、ケヴェルを含む孤児の徒党は平穏なウェルズニールにとっての汚点に間違いなく、国民からは忌み嫌われていた。
ナノケリアの城下町貧困区やバンブリオの地下階層に比べれば、ウェルズニールの汚れというのは薄く、言い換えればケヴェル達にとっての居場所は非常に狭く限られていた。
焦点にも当たりやすく、区別する必要もなかった彼等は……ただ「孤児」とだけ一括りにされていた。
廃棄物を漁り、屋店へ盗みを働き、裕福な女子供や護衛を従えていない商人などを狙っての襲撃。
幼い頃のケヴェルはそれが悪だと感じていても思い止まれなかった。
優先すべきは生きる事であり、善悪の意識なんてものは二の次だったのである。
ケヴェルが他の孤児達に誇れるものが一つだけあった。
剣術だ。
ケヴェルは剣の才に恵まれていた。
独自の剣技を〈舞剣術〉と名付け、彼はその才を自覚して律儀に伸ばす事へ努めた。
また本質的な面で、彼は汚れの中に住んでいながら正義心というものを秘めていた。
故に、ケヴェルが心身ともに青年へと成長した頃、必然的にある葛藤が彼の心を占めるようになっていた。
このまま悪事に手を染めていていいのだろうか?
今の俺になら、他にも生きる道があるのではないか?
それらの葛藤は周りに話せず、誰にも学べず、ケヴェルはずっと答えを先送りにしていた。
年齢も様々な孤児達の輪を大切にしたいという絆も芽生えていた。
成長し、剣術に優れていた彼は周囲に頼られる事も、憧れる事も多く、それらの眼差しというのは決して心地が悪くなかった。
それでも彼は悩んでいた。
そして怖れていた。
やがて自身の葛藤が抑えられなくなり、ふとしたきっかけで爆発してしまうのではないかと。
「ケヴェル。お前さー剣を握らなくなったな」とは、幼少時からの悪友の言葉だ。
彼は押し黙る他なかった。
初めこそ仲間達を守る為に剣を振るうのだと自身へ言い聞かせていたが、いつしか言い訳だと気付いてしまった。
自分達は悪い事をしている。
成長するにつれて膨れ上がる罪の意識。
それとは別に、自分がこれまで憎んできた大人に近付いているのだとも悲観していた。
ケヴェル・コッコが初めてキャメロット・ティ・フロウウェンの姿を瞳に映したのは、およそ一八歳の時。
正確さには欠けるが、彼は幼い頃に基準となる年齢を決めてはその流れに従って月日を重ねてきた。だから、およそ一八歳だ。
薄暗い路地裏に身を潜めていたケヴェルの視界を横切ったのは、煌く白馬に跨りしメルティだった。
綺麗だ……。彼は初めて抱く感情に困惑していた。
数歩詰めれば触れられそうな距離だったが、彼にはその間が遠く……あまりにも遠く感じられた。
自分とは住む世界が違う。
近くの民の会話を盗み聞き、彼女がフロウウェン王の血統を宿す王女であると知った。
決して関わってはいけない存在なのだと、眩しすぎる王女に彼は酷く眩暈を覚えた。
しかし、運命は僥倖なる縁をやがてケヴェルへ齎す。
眩しすぎる善の象徴を目の当たりにしたケヴェルはいよいよ目を逸らす事に耐えられなくなっていた。
今の自分達は、もうあの頃とは違う。
仲間も増え、身体も精神も成長した。
選択肢なんて望めば幾らでも見つかる筈なんだと、彼は仲間達を正しき方へ導こうと拙い言葉ではあったが、懸命な説得を試みた。
しかし、仲間達から返ってきた言葉というのは、ケヴェルの期待を裏切る。或いは予想を裏切らない言葉だった。
「そういうのって疲れない?」
「今更、真面目に働くとか無理でしょ」
「人生、もっと気楽に考えようぜ」
誰もケヴェルの訴えに頷こうとはしなかった。
正しくなろうとする事が、そんなにも間違っているのだろうか?
それでもケヴェルは諦めなかった。
必死に訴え続ければ、いずれ仲間達も理解を示してくれる。
きっとそうだ。と彼は幾度となく嘲笑されても、絶対に折れなかった。
少しずつ、周囲の対応が冷めていく。
しかし、仲間達はケヴェルをあからさまに突き放す事はしなかった。
ケヴェルの戦力的価値は大きく、懐に置いておくだけでも牽制として役立つ。
自分達の居場所を……彼等は、彼等らしく生きる為に必死なのだ。
数か月に渡り正義を問い続けていたケヴェルは疲弊していた。
肉体的ではなく精神的に、彼は打ちひしがれていた。
キャメロット・ティ・フロウウェンに会おう。
唐突な決断だった。
自身の認識を改めさせた彼女なら何か……ケヴェルには思いも寄らない術を教えてくれるのではないか?と。
すがるような思いだったのかもしれない。
ケヴェルは無謀にも真正面から〈メンデルハープの樹皮城〉に単独で赴き、門兵へ頭を下げた。
━━キャメロット姫に会わせて欲しい。
小汚い青年に頭を下げられた所で、門兵の対応は変わらない。
彼等は頑としてケヴェルの願いを拒んだ。
ケヴェルとしても、さすがにそれ以上の暴挙へ躍り出る気概など無く、彼は意気消沈と仲間達の住処へ向かった。
彼は自覚していなかった。
自身がどれ程、国内に悪名を轟かせていたのか。
門兵が彼の正体に気付いていた事も。
彼の後ろを追跡している騎士達の気配にも。
「ケヴェル!!俺達を売ったのか!?」
「このっ!!裏切り者がっ!!」
「ケヴェルお兄ちゃん……そんな、どうして」
仲間達の慟哭が絶え間なく響いた。
違う……こんな筈じゃ。
騎士達は悪の掃討に躊躇いがなかった。
正しいのはどちらか……たぶん自分達じゃない。
守るべきはどちらか……きっと仲間達だ。
揺れる天秤が傾く事はなく、ケヴェルは両者から刃を向けられる。
俺はただ……。
彼はただ自らを守る為だけに剣をかざした。
もう何をすべきなのか。何もわからなくなってしまっていた。
━━その時だ。
薄暗い路地を純白の光が裂いた。
人間離れした感覚で、剣筋を察知したケヴェルはその光を寸でかわす。
振り返ると、彼の眼前には光の刃を掲げる少女━━キャメロット・ティ・フロウウェンが立っていた。
「双方、剣を収めてください!!」
彼女は凛とした声を張り上げる。
光をかわせなかった騎士や孤児達が脱力して倒れ込んでいく。
たった一言、たった一振りで……ケヴェルには望めなかった未来を描く少女。
その神々しさにケヴェルは涙さえ浮かべていた。
それでも止まらない暴動に対して、メルティは哀しみの眼差しを向ける。
続け様にもう一度、翳される冠光剣〈ランスロット〉。
今度は避けようとも思わなかった。
ケヴェルは意識を削ぎ落とす純白に視界を奪われ、意識を静かに沈めた。
昏睡していた彼が目を覚ました時、すぐ傍に彼女は座っていた。
「あっ……」
どう接すればいいのか分からず戸惑うケヴェルに、彼女は優しく微笑んだ。
「初めましてケヴェル・コッコさん。私はキャメロット・ティ・フロウウェンと申します」
夢にも描けなかった出会いが、彼の前に起きていた。
それから彼女は訊ねかけた。
「貴方が〈メンデルハープの樹皮城〉を訪ね、私に会わせて欲しいと頼み込んでいたと門兵から伺いました。……よければ、その理由を話して貰えませんか?」
彼女はゆっくりと諭す様にケヴェルへ訊ね掛けた。
王女に嘘を吐きたくなかったケヴェルは、ありのままを語った。
当時を思い返してみれば、実に恥ずかしい独自である。
内容の薄さはまるで思春期に悩む少年みたいだなと過去の自分を殴りたくなる程だ。
そんな嘆きにも、彼女は真摯な対応を最後まで崩さなかった。
「初めに謝らせてください。貴方の無言の叫びに気付けなかった私をどうかお許しください」
頭を下げられ、ケヴェルはあからさまに狼狽した。
そんな彼を見兼ねてか、彼女は続ける。
「そして貴方の素晴らしき意志を見込んでお願いがあります。これから先、国の平和の為。私と共に戦っては頂けませんか?」
貴方の仲間達の身の安全も保証致します。と彼女は付け加える。
断る理由など、どこにも無かった。
「はい。この身果てるまで……キャメロット様に尽くす事を誓います」
ケヴェル・コッコは類希な剣術の才も相俟って、瞬く間に〈黎明の騎士団〉での地位を上り詰めていった。
約束通りキャメロット・ティ・フロウウェンの側近にまで辿り着き、彼女の為の刃である事にこれ以上ない幸せを感じていた。
今でも孤児上がりのケヴェルに侮蔑や嫉妬の眼差しを向ける騎士達は少なくない。
かつての仲間達の現状は知っていても、交流は途絶えている。
それでも、ケヴェルは満ち足りていた。
彼は今、確信している。
自らが迷うことなく「正しさ」の中に居ると。
━━緩やかな傾斜を見せる青草の原を縦に細長く列を成して駆け抜けていく馬の群れ。
〈円卓の騎士団〉の拠点である透石箔の館〈クリアンレズム〉を目指す一向の中にケヴェル・コッコは紛れていた。
前方には白銀の鎧に身を包み、金色の髪をはためかせているキャメロット・ティ・フロウウェンと、鮮やかな朱色の髪から突き出た猫耳を寝かす小柄なマオの背中が見つけられる。
ケヴェルはすぐ隣を並走している少年……蒼銀の髪を揺らしているメイジへ視線を移し唾を吐いた。
「メイジ!!貴様、分かってるだろうな!?今度の戦い、俺や貴様が絶対に守らなければならないものがある!!」
「ごめん、何か言ってた!?」
馬を周囲に合わせて走らせるのに必死のメイジは、ケヴェルの訴えに耳を傾ける余裕がなかった。
ケヴェルは再度、先程よりも声を荒げる。
「だからっ!!この戦い。キャメロット様を失う事だけは絶対に避けなければならない。俺と貴様で守るんだ!!いいな!?」
今度はメイジも聞き取れた様子で頷いて返した。
「うん。約束するよ」
「貴様と約束なんぞ交わしたくはないが……〈円卓の騎士団〉は手強い。メイジ、頼むぞ」
「大丈夫、絶対に誰も死なせない」
二人は視線を交え意志を確かめ合う。
次の瞬間だった。
━━攻撃が来るよ!!左右に逸れてっ!!
突如、マオの叫び声が届いた。
メイジとケヴェルの二人は〈円卓の騎士団〉陣営の召喚師が唱えたと思われる魔術。
〈氷飛礫〉なる数多の氷粒が〈黎明の騎士団〉の頭上へ降りかかる瞬間を━━。
彼らの結束を嘲笑うかの様な急変を共に視界へ捉えていた。




