亡国「円卓の騎士団」②
「……へっぷしぁ!!」
風邪でも引いてしまったのだろうか。
長政は濡れた髪を指先でとかしている最中だった。
どうやら肉体的な強度や五感の鋭敏化など意識混濁性消失障害としての補正は物理的な面に傾いているらしく、現実と変わらず病魔にはしっかりと侵される。
とはいえスキル選択によっては症状を和らげたり、或いはそもそも予防となったりの例もあるらしい。
幸いなのは〈New Age〉の世界特有の伝染病などが猛威を振るっていない事だ。
静まり返った室内に、ヴァンプが浴びているシャワーの水音がしんみりと伝わっている。
当たり前と言えば当たり前の事だが、白黒だけ別室に案内されていた。
ヴァンプは「私は別に同じ部屋でも構わないのだがな」と拗ねていたが、対してメーニャは「駄目でしょ!!絶対駄目!!長政ちゃんの教育にも悪いから!!」と断固、拒否していた。
相変わらず何処に居ても子供扱いされる長政は不平不満を訴えたかったが、拙者も大人でござるからな。とそこはぐっと堪えたのだった。
腰元まで伸びている紺色の髪は乾くと、次第に所々の毛先がはねて、ふわりと膨らんでいく。
長政は現実世界の自らの髪がこんなに長くはなかったので、初めは苦労させられたものだった。
〈クリアンレズム〉の館は電気系統が機能していないのか、天井に照明は無く、室内は暗く影に満たされている。
しかし、二列に並ぶベッドの奥に置かれたランプの紐を試しに引っ張ってみると、ぱぁっと室内に丸く明暗が滲んだ。
〈New Age〉の世界は基準というか、世界観がけっこう曖昧で科学も魔術も混在している。
ただ科学の発達の度合は現実世界に比べて衰退しており、代わりになる魔術の進歩が著しい。
このライトも魔術の類なのだろうか。
細い筒の上に乗っかった球体にそっと指を触れてみると蒼い粒子がちらついた。
周囲のエントを代価にして明かりを灯しているのだろう。
それぐらいの原理は長政にも理解できるようになっていた。
「すげぇな、オール電化じゃなくオール魔術ってやつになんのかね、これは」
ギルド〈戦国華憐家〉に居た頃の何気ない日常風景がふと浮かぶ。
「元親も長政も危ないですから、離れていてください」
夕御飯の支度に取り掛かっていた半兵衛を後ろから覗いて、元親と長政は揃って「おぉー」と感嘆の声を上げていた。
二人が見つめているのは、蒼い粒子を飛散させながら熱を発する鉄鍋だ。
魔術師以外でも発動できる簡略された詠唱文が鍋底には刻まれている。
「ゲームとして遊んでた頃は、こんなの知らなかったよなー」
「衣食住の必要性なんてなかったですからね」
「なな半兵衛、今日のご飯は何でござるか?」
「クリームシチューです。それと、この前に食材屋の主人が勧めていた〈逆立ち蟹〉を茹でてみようかと」
「もしかしてシチューにまた〈花丸人参〉入ってる?」
元親の問い掛けに半兵衛は無言で頷く。
「ちょ、あれ苦手だからいいって」
「せ、拙者もあんまり」
「二人とも好き嫌いは駄目ですよ。食材があるだけ恵まれているのですから」
「けどなぁ……」
「うむぅ……」
と、またしても揃って唸る元親と長政。
半兵衛はくすりと口の端を緩めつつも、手慣れた動作で調理を続けていた。
「考え事か?」
「あびゃぁ!!」
「そんなに驚かなくても……すまない」
長政と同じ真っ白な布で肌を伝う水滴を拭きながら、ヴァンプは傍らのベッドに座り込んだ。
湿った緋色の髪が、普段よりも増して艶やかな色合いを薄闇の向こうに覗かせている。
「ヴァンプ殿はスメラギ殿の話を聞いて、その……」
と、歯切れ悪く押し黙ってしまう。
「ふむ、遠慮しなくていいぞ」
今度は頭部に布を被せてわしゃわしゃと水気を拭き取っているヴァンプ。
露わになっている女性らしい緩やかな曲線を描く上半身から目を背けて、長政は再び口を開いた。
「ソウイチロウ殿とヴァンプ殿は昔、恋仲であったと白黒殿から聞いたでござる。だから、その……寂しくはないでござるか?」
いつの間に話していたんだ。と小さく溜息を吐いて、ヴァンプはゆっくりと話し始めた。
「寂しいと感じた事はないな。確かに私は昔、ソウイチロウと一緒に暮らしていた。愛情を確かめ合った経験もある」
言葉の意味を察してか、長政の頬が紅く染まる。
「けれど、なぜだろうな。ソウイチロウと過ごす未来というのが、私にはどうしても思い描けなかった。たぶん、私達はお互いに、いずれは一緒に居られなくなると分かっていたのだろうな」
長政にはまだ理解できなかった。
好きならばいつまでも一緒に居たいと思うのが普通なのじゃないかと。
「そんなの……なんだか切ないでござるよ」
「切ない。か」
「やっぱり一人は寂しいものでござる」
長政の無垢な訴えを受けて、ヴァンプは忘れかけていた胸の苦しみを少しだけ思い出してしまっていた。
人嫌いに……一人きりに慣れてしまった筈の自分がどうして白黒を拒まなかったのか。
私はもう諦めたつもりだった。
けれど、もしかしたら本心は未練がましく人の温もりを求めていたのかもしれない。
「確かに……私は寂しかったのかもしれないな」
「でも、今のヴァンプ殿には白黒殿も拙者も居るでござる。ヴァンプ殿さえ良ければ今度、拙者の家族も紹介するでござるよ。元親はちょっとちゃらいので危ないでござるが、半兵衛が殴ってくれるので安心でござる」
「ふふっ、そうだな。考えておくよ」
楽しげに帰るべき家族について語る長政が、ヴァンプには暗がりの中でとても眩しく見えた。
「……あつ」
白黒が目を覚ましたのは太陽も昇りきり、日差しが館内にまで影響を及ぼす頃合いだった。
目覚め頭、彼は癖で枕元を弄り愛銃の居所を探した。
中々見つからない二本目の銃に苛立ちを覚えるが、双銃の方割れはもう半年も前に失われていたのだと、遅れて気付く。
次第に寝惚けていた思考も覚醒を始め、白黒は目元を擦りながら上半身を起こした。
脇に目をやると、就寝前には被っていた筈の布がもみくちゃになって床に転がっている。
聴覚を尖らせると、何処か遠くから生活の物音が細かく漏れ聞こえている。
ベッドに身を預けて寝たのは随分と久しぶりだった。
中二階街ネーレンを出発して以来、今に至るまで野宿続きだったのだ。
透石で建てられた屋根は日光を遮断する意向などまるで介しておらず、蒸し暑い。
「しかし、ほんと悪趣味な館だ」
白黒は鎖骨をなぞるようにぼりぼりと掻きながら、頭上を見上げ悪態を吐いた。
白と黒の色合いが風変りないつもの服装に着替えようと立ち上がる。
もし誰かが白黒の悪態を聞いていたなら、それこそ悪趣味だ。と彼の服装について突っ込みを入れただろう。
ほぼ握力の失われている右手の所為もあり、衣服を変えるのにも余分な手間暇を必要とした。
「長政もスカーレットも、さすがにもう起きてるだろうな」
昨夜の案内では先にあの二人が部屋へ通された為、自分がすぐ隣の部屋だと知っていた。
また反対側の壁は外の色彩が濃く滲んでいるので、白黒の部屋は館の突き当りに位置しているのだろう。
昨日はシャワーを浴びるなり、横たわってしまったから、あの二人がどれくらい起きていたのかは知らない。
あっちの部屋の水音が洩れていたので、少なくとも白黒より早く両方が寝たという可能性は無いと思われる。
接合部だけ異なる材質があてがわれている扉を押すと、擦れた音が響いた。
試しに二人の部屋の前に立って扉を叩いてみるが、反応は返ってこない。
急ぐ用がある訳でもない。
白黒はのんびりと館内を歩き回る事にした。
「どもっす。今起きたんすか?もう昼過ぎっすよー」
「あ、メーニャが言ってた客人ですね。ゆっくりしていってくださいな」
「ちっす。この館暑いでしょ?食堂と中央ホールは魔術冷却が効いてるからさ、耐えられなかったらそっちに行きなよ」
すれ違う度に〈円卓の騎士団〉の面々は白黒へ気さくに話しかけてくる。
〈黎明の騎士団〉にて共に肩を並べていた頃のスメラギが率いていた第二騎士団とはどうしても結びつかない。
それでも不思議と嫌な感じはしなかった。
また昨夜のメーニャ然り、上界の移人の姿が多く見受けられる。
瞳孔線だけの浮かぶ白目で見通すと彼等の実力が大まかに識別できるのだが、中には長政を上回るLvを記している移人も発見できた。
実は昇天の隣人を克服した後、白黒は長政にある提案を持ち掛けていた。
昇天の隣人を克服できなかった長政を不憫に感じたのも事実だが、そういった類の感情論とは別に白黒は提案してみるべきだと判断したのだ。
ところが長政は白黒の提案に対して首を左右へ振る。
ふんわりと膨らんでいる紺色の長髪がはばたき、日常生活ではあまりお目にかかれない程の風圧が白黒の顔を襲った。
頑なに拒む長政へ理由を訊ねてみると、こう言葉が返ってきた。
「そんなの問題外でござる!!それで数値上成長しても、拙者の成長にはならんのでござるよ!!」
これも移人と小人との間に生じる価値観のずれなのだろうか。
いや、その認識方法は放棄だと、過去のヴァンプも話していた。
今はまだ長政が拒んだ理由が白黒にはまるで理解できない。
けれどそれでいいのだろう。
誰だって、相手を理解するのには時間が必要だ。
大切なのは理解しようとする心。・・・・・・なのだと思う。
広々とした庭園へ足を運んでみると、燦々と日差しが降り注ぐ中にぽつぽつと人の姿が見止められた。
浅風に煽られて鼻先をくすぐるのは甘ったるい花蜜の香り。
蛇の這った跡を連想させる細道の脇に石灰色の小さな噴水が築かれていた。
水滴の弾ける音が耳に涼しい。
噴水の足回りを覗いてみると、掘られた水路に蛙が半身を沈めていた。
前方には遮蔽物の見当たらない萌黄色の草原が、遠く〈クリアンレズム〉を囲う塀まで続いている。
花壇は庭園をざっくりと線引き、斜め奥では深緑の葉を揺らす樹木が身を寄せ合っている。
草原を隅から薄影が覆っていく。
見上げれば、太陽の下を雲泥がそそくさと通過していた。
白黒は束の間の休息に心身を委ねている。
物事を考えずにぼんやりと庭園を歩いていたら、覚えのある声援が何処からともなく聞こえた。
「メーニャ殿!!ふぁいとでござる!!」
声の主を探して首を曲げてみると、やや離れた樹木の日陰にメーニャと長政を見つけた。
「何をしてるんだ?」
ゆっくりと近付いてから、白黒は二人へ声を掛けた。
「あっ!!白黒殿、おはようでござるな!!」
「起きたばっか?もうお昼過ぎだよ」
白黒に気付いた二人が屈託のない笑顔を返す。
「メーニャ殿は弓闘士らしくてな!!拙者が頼み込んで弓術を拝見させて貰ってたでござる」
「あたしってば宝星具とか持ってないし、Lvも大したことないから、別に珍しくもないんだけどねー。それでもいいって長政がごねるからさ」
「メーニャ殿、そう謙遜なさるなでござるよ。拙者、とても感動してるでござる」
注意深く周囲を見渡してみると、樹木よりも奥……塀間際に手製と思わしき的が立てられていた。
円形状の的には幾つかの矢が刺さっている。
「あたしさ、意思混濁性消失障害になったばかりの頃、帰りたいって思いつつも、どこか興奮してたんだ。自分は選ばれた特別な存在なのかも。とかさ思っちゃって」
〈変革〉の後、長政やメーニャだけでなく、ほとんどの移人が自らを意識混濁性消失障害と形容している。
そして彼等は皆、元の世界━━上界には、もう戻れないと嘆いている。
半年前、葬儀人であるブラムから真実の一端を聞かされていた白黒は彼等の境遇が僅かばかりでも理解できた。
「けど違ったよ。この世界にだって特別な奴らは存在してるんだ。久遠さんだったり、言理とエルの二人だったり……あぎとだったり。あたしはそういう特別な人達にたくさん出会ってきたから、嫌でも分かっちゃうわけ。自分は違う……ってさ」
「そんなの大した問題じゃないでござるよ!!」
と、珍しく長政は声を荒げていた。
「拙者は、誰だって頑張れば特別になれると信じてるでござる。それに特別だとか、そうじゃないとか。自分で決めるものじゃないでござるよ。それは周りの人が決めるのでござる」
白黒は少女の訴えに耳を傾けながら、自らの提案がどうして拒まれたのか、再度、思い返していた。
「ははっ、まー確かにそうだ、うん。ごめんごめん」
「問題無しでござる!!英語で言うとうぉーまんたい。でござる!!」
「ありがと。でも、それ英語じゃないからね」
「む、うぉーあいにーでござったか?」
「もうそれでいいよ」
嬉しそうに溜息を吐くメーニャ。
彼女は白黒へ視線を移すと、口を開いた。
「白黒、あんたはどうなわけ?この世界の人間であるあんたからしてみるとさ、あたしたちって、別世界の人間になるわけじゃん?どんな感じなの?」
「そうだな、俺からしてみれば、変わりはないのだと思う。小人と移人とを分けて考える必要性が、俺にはあまりない」
「ふーん……考えてみれば、この世界が既にファンタジーだしね。ファンタジーな世界にファンタジーな何かが起きても違和感なんてないのかもね。たぶんさ、もしあんたらが、あたし達の元居た世界に現れたら、あっちの世界では大変な騒ぎになるよ」
「俺達が上界へ干渉する方法は無い」
「だから、あったらやばいんだって」
「でも、現実で白黒殿に会えたら色々教えたいでござるなぁ。寿司とか、らーめんとか」
「スシ?ラーメン?」
「美味しいでござるよぉ」
「よくわからんが、この世界では食べられないのか?」
「似たようなものは作れるでござるけど、やっぱり違うでござるよ」
「だねー。調味料の所為なのかなってあたしは思ってるけど、日本の醤油とか」
「ショーユ?」
白黒は今まであまり触れる機会の無かった上界の言葉に戸惑う。
「そうだ。海……って知ってるか?」
ふと、彼はそう訊ねかけてみた。
「ちょっとー馬鹿にしてんの?」
「いや、すまない」
何やら気分を害す質問だったらしい。白黒は軽く頭を下げた。
「あははっ別に怒ってないって。ていうか、確かにこの世界は海がないよね」
「言われてみれば、そうでござるなー」
「でも、ならどうしてあんたは海の単語を知ってるわけ?」
メーニャは素朴な疑問を、白黒へ投げ掛けた。
「大切な人との約束なんだ。海に連れて行って欲しいと、俺は頼まれていた」
いつの日か必ず……。
その約束は、とてもとても……果てしなく感じられた。
それでも、白黒は信じている。
また必ず、彼女と出会える。
そして必ず……彼女と海へ行けるのだと。




