遠景「黎明の騎士団」④
「リリア、君は〈トルコ人〉を知ってるかい?」
ソウイチロウの唐突な投げ掛けに、リリアは思わず「え?」と聞き返してしまう。
ガラハド砦の中央、ソウイチロウが好んで利用していた空家に通されていたリリア。
元は〈New Age〉の世界の住人が暮らしていたのだろうか……節々にソウイチロウ個人によるものとは思えない生活の痕跡が見受けられる。
ダンテとくまが眠る為にこの世界から消失した後、ソウイチロウは紹介したい人物が居るとリリアへ話しこの部屋まで案内していた。
現実世界の自分の部屋とは違い、ワックス掛けの施されていない木板の床は細かな傷痕が目立っている。
「んと、トルコは知ってますけど」
質素な木椅子に畏まって座っているリリアへ、ソウイチロウは再び話し掛ける。
「18世紀後半、〈トルコ人〉と呼ばれるチェスを指す人形が存在していたんだ」
「人形……ですか?」
「そう、人形だ。かのナポレオンも〈トルコ人〉とチェスを指したと言われている。どうやら彼はわざと反則の手を指しては〈トルコ人〉の反応を楽しんだりと、随分とお茶目な面を見せていたらしいが」
「人形が本当にチェスを指してたのですか?」
「いや、要はからくりさ。〈トルコ人〉はチェス盤を載せたキャビネットと一緒になっていて、実際はその中に隠れた人間がチェス盤を裏側から操っていた。それでも、〈トルコ人〉と対面した多くの人々は、その機械仕掛けの人形の仕組みを見破れず、そして、チェスにも敗れ去っていった」
「強かったのですね」
リリアの薄い感想。
〈トルコ人〉の対局を静観していた人達は、彼を人形だと信じていたのかな。とソウイチロウはぼそりと呟いた。
「君の仲間であるダンテやくまも、〈New Age〉をゲームだと信じている。その認識が間違っている訳ではないのだろう。けれど、僕達からしたら〈New Age〉はゲームじゃない」
「そうですね」とだけ、リリアはかろうじて反応を見せた。
「シュレディンガーの猫なら知ってるかな?」
仕掛けを組み込んだ箱の中に猫を閉じ込め、一定時間後に果たして猫は生きているのか、死んでいるのか。
ざっくりと何かのアニメで見た記憶のあるリリアは「なんとなくニュアンスはたぶん、知ってます」と頷く。
「箱を開けてみるまでは死んでいる猫と生きている猫……複数の結果が同時に存在している。意識混濁性消失障害だって同じだと思うんだ。〈New Age〉という世界が解明されるまで、生きた心地がしないって言えばいいのかな。もしかしたら意識混濁性消失障害になった時点で、もう僕等は死んでるのかもしれない。って、そう考える時がある」
嫌な想像が脳裏を過り、肌がさぁっと粟立つのを覚えた。
「気分を悪くさせたかな?ごめんね。これだって僕個人の推測でしかないわけだから。本来なら、もっと希望的な推測を立てるべきなんだろう。朝日やヴァンプにはよく注意されたものだよ」
「過去の彼女さん達ですか?」
女子高生らしく茶々を入れてみようとするが、どうも違和感が拭えない。
それもそうだ、私、あんまり恋話とか興味なかったしな。とリリアは〈絵本芽望〉としての過去を振り返った。
「〈岬朝日〉は同僚でしかなかったし、ヴァンプはたぶん、片想いみたいなものだった」
馬鹿正直に答えるソウイチロウ。
「そういえば、紹介したい人って……その人も意識混濁性消失障害なんですか?」
反応に困り、リリアは話を逸らす。
「うん。そろそろ来るとは思うんだけど。簡単に説明するなら彼は猫だね」
「猫ですか?」
「猫だね。箱にはとても入らないだろうけど」
あ、ダンボールになら入るだろうな。と身振りを交えて説明するソウイチロウ。
リリアはいまいち人物像が掴めず、首を傾げた。
「見た目は幼いが〈クシャティケルの灯〉が誇る意識混濁性消失障害頂点の魔術師だよ。言い換えれば、ゲームの天才って事になるのかな」
「ソウイチロウさんは、意識混濁性消失障害を集めてどうするつもりなのですか?」
それこそリリアが最も確かめたかった。ソウイチロウに会いたかった動悸だった。
「どうするつもりなんだと思う?」
疑問形で返すソウイチロウ。表情は然程変わらず、心情の変化が見つけられない。
沈黙したまま見つめ返すリリアに向かって、ソウイチロウは微かにだが笑みを浮かべた。
「君達、意識混濁性消失障害を現実へ帰したい。それだけだよ」
その笑顔はどこか機械的で、リリアの瞳には嘘っぽく映り込む。
何より、ソウイチロウが帰したいと話す意識混濁性消失障害の中には自身が含まれてないかの様な言い方。
「ごめん!!寝てたっ!!」
と、突然、声高々に扉が押し開けられた。
開け放された扉の前に立っていたのは鮮やかな橙色の髪からぴょこんと突き出た黒い猫耳。
ふっくらとした頬が愛らしい少年だった。
魔術師らしかぬ軽装に身を包んでおり、太ももから足首まで柔肌を晒している。
「待っていたよ、マオ。こんな時間に呼び出して悪かったね」
ソウイチロウにマオと呼び掛けられた少年は「まったくだよ!良い子は寝る時間なのにさ!」と元気一杯に答えている。
「改めて紹介するね。彼は魔術師のマオ。反乱軍の仲間達からは朱猫と親しまれている意識混濁性消失障害だ」
紹介を受けて、リリアもまた名乗り出す。
「初めまして、鼓舞士のリリアです」
「よろしく、リリア。へぇー鼓舞士なんだ。珍しいね」
人懐っこく接してくるマオ。
課金衣装である猫耳をぴょこぴょこと揺らしている姿は非現実的でありながら、とても現実的に感じられた。
「それじゃあ本題に移ろうか」
リリアの隣の椅子へ座り込むマオ。
ソウイチロウはテーブルの上に薄汚れた布紙を広げると、テーブルを挟んで並ぶ椅子の片方へ腰を落としリリア、マオと向かい合った。
「明後日……現実世界での土曜日だね。反乱軍の稼働率が高ければウェルズニール領土東のケイ砦と南のユーウェイン砦へ攻め入る予定だ。明日にはインしているプレイヤー達や、他の意識混濁性消失障害にも伝えようと思っている」
「この前、ベイリン砦を制圧したばかりなのに、また責めるの?」
「そのつもりだよ。〈黎明の騎士団〉が砦の防衛を厚くさせるのに数日は必要だと見積もって、整う前に勢いで押し切ろうと思うんだけど、どう思う?」
「うーん、悪くないとは思うけど、なんか安直だなーって感じかも。たぶん、向こうもその可能性を考慮して早めに両砦へ兵を送ると思うんだ」
地図へ視線を落とし意見を交わし合うソウイチロウとマオ。
リリアは割って入るタイミングも言葉も見つからず、ただ黙って二人のやり取りを眺めていた。
「どっちも制圧できるとは思ってないから、片方はかく乱目的で死ねる一般プレイヤーを主軸にしようと思ってた」
「なるほどー、うん。片側に主力を集中させればベイリン砦の時みたいにあっさりと落とせるかもね。でも、たぶん……今回は隊長クラスが介入してくるよ」
「だろうね。〈黎明の騎士団〉隊長が上手く両砦へ分散されていれば思惑通りといった所かな。更に期待するなら今回も首都にて大人しくしていてくれれば好都合なのだけど」
「ケイ砦もユーウェイン砦も陥落しちゃえば、首都である〈ウェルズニール〉が射程内に入っちゃうからねー、やっぱり戦う事になるだろうねっ」
「どちらにしても、いずれは倒さなければならない存在だ。マオ、もしそうなった場合、勝てるかい?」
「もちろん!!」
マオは意気揚々と胸を張った。
「あの……」
「ん、なんだい?リリア」
遠慮がちに声を上げたリリアへ訊ねかけるソウイチロウ。
「やっぱり私も行くんですよね?」
今更だったが、リリアは疑問に思っていた部分を打ち明け出す。
「どうしてこの場に私も居るのかなーって、ちょっと思ってたんですが」
「〈レギオン〉みたいな大規模戦闘だと、〈鼓舞士〉の価値は大きいんだ」
ソウイチロウに代わって、マオが答える。
「意識混濁性消失障害の〈鼓舞士〉って、反乱軍側だとリリアが初めてなんだよ?」
「だからこそ君に確かめておきたいんだ。リリア……もし〈レギオン〉が始まった時、君は踊れるかい?」
〈鼓舞士〉としての役目を全うできるか?とソウイチロウに問われ、リリアは言葉に詰まる。
リリアはまだ意識混濁性消失障害になってから〈鼓舞士〉らしく戦った経験が……つまり、〈鼓舞士〉たる代表スキル〈鼓舞〉を想定通り実践できた事が無かったのだ。
本来ならば他職と同様、スキル発動を意識すれば後は半自動的に身体が動いてくれる筈である。
どうして失敗するのか?
それはリリアが土壇場になって抱く恥ずかしさから生じるぶれだった。
広範囲の仲間へ長時間の補助を掛ける〈鼓舞〉のスキル。
例えば、味方のスキル再使用までの休息期間を短くしたり、術系統スキルの距離を伸ばしたりと〈鼓舞士〉のみが扱える補助は多く、その価値は〈レギオン〉未経験のリリアにも自覚できる程に明確だった。
「頑張ってみます」
責任の重さを理解した上で、かろうじてリリアはそれだけ言い返せた。
少女の覚悟を静かに見定めるソウイチロウとマオの視線。
リリアは自らを奮い立たせようと、もう一度決意を示す。
「勝つ為にも、必ず踊ってみせます!!」
束ねて腰元に括られている鞭へ片手を添え、リリアは真っ直ぐに二人へ深紅の瞳を向けた。
「おいおい、今日はやけに張り切ってるな……」
〈レギオン〉前日。ベイリン砦よりやや離れた平地で魔物と相対しているダンテ、リリア、くまの姿。
「リリア、あんまり無茶すると危ない」
一心不乱に鞭を振るうリリアの隙を庇おうと立ち回っている〈大剣士〉のダンテと〈隠密士〉のくま。
当時の二人は意識混濁性消失障害なる異常に襲われてはおらず、純粋にネットゲーム〈New Age〉の世界を満喫していた。
いずれフォルテ、久遠として〈バジリスク〉の悲劇を生み出す二人だが、その時はまだリリアの心境など露知らず……ただただ彼女の危なっかしい立ち回りに息を呑むだけだった。




