斗真、天国に旅立つ
しばらくして何となく気配を感じたノアは、恐る恐る布団から顔を出すと田中氏と目が合った。田中氏が目を大きく見開き、驚きながらも冷静な対応でノアに声を掛ける。
「起きてらっしゃったのですか。」
「はい。起きてしまいました。」と答え布団から出てその場で正座をする。そして田中氏に向かって祈るように両手を合わせた。
「田中さん、お願いします。私から斗真の記憶を消さないで下さい。」
「ノアさん…聞いてしまったのですね。ノアさんのお気持ち良く分かります。しかしながらノアさんの願いは聞くことは出来ません。斗真さんとの約束を破るわけにはいかないのです。これも斗真さんがノアさんのことを思っての最後のお願いなのですから。」
「斗真が私のことを思ってのお願いなのは分かりました。でもでも…私にとっては斗真との思い出がないと前に進めないのです。この先辛い事があっても、斗真と過ごした日々を思い出す事で乗り越えられると思うのです。なのでどうか、どうかお願いします。」
ノアは土下座をし必死にお願いする。田中氏はしばらく考え、深いため息とともに答えを出した。
「ノアさん…分かりました。ノアさんがこの先の人生を前向きに生きていけるのであれば、斗真さんとの記憶は消しません。ただ…私からもノアさんに一つお願いがあります。」
ノアは感謝の気持ちでいっぱいになり、田中氏が神様にさえ見えてきた。
「ありがとうございます。ありがとうございます。本当に田中さんには感謝しかないです。一つでも二つでもお願いは聞きます。」
「いえ…一つで結構です。実は斗真さんが、ノアさんの記憶が本当に消えているのかを確かめてから天国に旅立ちたいと申しておりまして…明日の朝ノアさんが出勤するまでこの場に居たいと言う事なのです。そこでノアさんにお願いです。明日起きてから出勤するまでの間、斗真さんの記憶がないフリをしてほしいのです。斗真さんや私の事が見えないように振る舞うって事です。言うまでもなく"斗真"と言う名前を出す事もNGです。それが出来る自信がありますか?」
真剣な眼差しでノアを見る。
「はい。出来ます。お二人に視線も向けず、斗真と言う名前も出さないでいられる自信あります。」
「大丈夫ですね?もし記憶がないフリが出来ず斗真さんにバレてしまった場合、その時点で何を言われようとすぐにノアさんから斗真さんの記憶を消します。それでよろしいですね?」
「はい!絶対にバレずに出勤して見せます!」
「では、私はこのまま斗真さんの所に戻り記憶を消したと伝えます。ノアさん、明日よろしくお願いしますね。」
念を押し田中氏は斗真の所に戻って行った。
ノアは胸を撫で下ろした。良かった…本当に良かった。いや!まだ油断してはダメだ。明日の私の演技にかかっているのだから。そうだ!明日30分早く出勤する事にしよう。少しでも早く家を出よう。ぼろが出ないうちに。
携帯のアラームをセットしノアは布団に潜り込んだ。
斗真の所に戻った田中氏。
「無事に記憶を消す事は出来ましたが?」斗真の問い掛けに目を合わせず
「はい。これでもうノアさんの中に斗真さんの記憶はありません。……ではノアさんが目覚める頃また伺います。」と答え一礼しそそくさと窓をすり抜け消えて行った。
残された斗真はくま太の横に座り、返事をすることのないくま太に朝まで話しを聞いてもらっていた。
ピピピ…ピピピ…携帯のアラームが鳴り、寝ぼけながらアラームを止め再び眠りにつきそうになるノアだが、昨夜の出来事を思い出し飛び起きる。
そうだ!見えないフリをしなくちゃいけないんだ!変に緊張しないでいつも通りでいれば大丈夫。斗真はいない。そう…いない。よしっ!
自分に言い聞かせて背筋を伸ばす。大きく深呼吸をしドアを開ける。窓の方に2人が立っているのが視界に入った。
「くま太!おはよう!今日も良い天気だね。」
窓際にいる斗真と田中氏の方に近付きカーテンを開ける。そのまま2人の前を素通りしキッチンへ。食パンにハムとチーズをのせトースターで焼き、牛乳を温める。くま太を定位置に座らせテレビをつけ、朝食をとりながらくま太に話し掛ける。
「くま太、今日は30分早く出勤してって言われてるから早めに出るね!」斗真に聞こえるように言い、ホットミルクを飲み干し急いで食器を片付ける。その後は無言で支度をし、最後に時計を見る。
「どうにか間に合いそうだ。」大きめの声で呟き玄関に向かう。
(最後に…本当に最後だから斗真の姿を見たい。チラッとだけならきっと大丈夫。)最後の最後に危険な欲が出てしまった。くるっと振り向き
「忘れ物はないよね〜。」と言いながら部屋中を見渡すフリをして斗真を見る。一瞬目が合ってしまったが、そのままぐる〜と壁を見渡し事なき終えることが出来た。
「じゃあ斗真!行って来るね!」
一瞬にして空気が張り詰めた。やってしまった!くま太と言おうとして斗真と言ってしまった。斗真の姿を見てしまったせいだ。どうしよう…誤魔化せ!誤魔化すんだ!焦りで手が震える。焦っているのは田中氏も一緒だ。斗真の方を見ると、斗真も田中氏に視線を移し目が合った。するとノアが
「あっ、あっ、あれ?斗真って誰?えっ?私…斗真って言ったよね?何で知らない人の名前なんて呼んだんだろう…まっいっか!じゃあ、くま太!行って来ます!」
急いで靴を履き外に出て鍵を閉める。走ってエレベーターの前に行き、下の階のボタンを連打する。
「早く!早く来て!田中さんが来ちゃうかも!」
背後を振り返りながら足踏みし、到着したエレベーターに乗り"閉め"のボタンを連打。扉が閉まりやっとホッとする。
「大丈夫だったかな…斗真にバレてないかな。」
1階に着き郵便受けの前で呼吸を整え、気持ちが落ち着くのを待つ事にした。
ノアがバタバタと出て行った後、斗真は
「ノア…行ってらっしゃい。」と最後の見送りをし、田中氏の方に向き直った。
「記憶、ちゃんと消えてたみたいで良かったです。名前を呼ばれた時は驚きましたけど。」
「記憶は消えていても、何度も呼んでいた斗真さんの名前を脳が覚えていたのかも知れませんね。」
(ノアさん、上手く誤魔化せましたね。素晴らしい演技力でした。)田中氏はノアが出て行った玄関に向かって笑顔で頷いた。
「では、斗真さん。そろそろ私達も出発しますか?」
「はい。僕のわがままのせいで長らくお待たせしてしまって申し訳ありませんでした。」
最後にノアと過ごした部屋を見渡す。そして田中氏に向かって笑顔で頷くと天井から眩しい光が差し込み、その光に吸い込まれるように斗真と田中氏は消えて行った。
10分ほど経ち気持ちが落ち着いたノアは、時計を見てまだ仕事に間に合う事を確認し、再びエレベーターに乗り込む。もう斗真は旅立ったのだろうか。ノアも斗真と同様、確かめたくなったのだ。
ドアの前に立ち中の様子を伺う。万が一まだ居ることを想定し、忘れ物を取りに来たことにしようと決め、鍵を開けゆっくりドアを開ける。かなり大きな声で
「忘れ物しちゃった!」と言いながら部屋に入る。2人の姿はなかった。
「あれ?忘れ物どこだ?」と寝室へ。いない。お風呂場もトイレの中も「忘れ物〜」と言いながら確認するが、2人の姿は部屋中どこにもなかった。
「本当にいなくなっちゃった。」と呟いた途端、急に喪失感に襲われパニック状態に。
「斗真?斗真?ねえ斗真!どこ?」泣きながら部屋中を歩き回る。いつもだったら
「ノア、ここだよ!」「ノア、どうしたの?」とすぐ姿を現してくれた斗真がいない。
くま太を抱き締め大声で泣きじゃくる。どうしていいのか分からないほど不安定な状態に。1人はやだ…1人はやだよ…斗真…。
その時、スマホの着信音が鳴った。ハッとし一瞬にして現実に引き戻されスマホを見る。佐々木さんからだ。咄嗟に遅刻している時間かと時計を見たが、まだ出勤する時間にもなっていない。急いで鼻をかみ電話に出る。
「もしもし。」すごい鼻声だ。
「もしもしノアちゃん?」
「はい。佐々木さん、どうしたんですか?」
「ノアちゃん…斗真くんとお別れしたのかな?」
「はい。」
「そっか…ノアちゃん…大丈夫?」
「はい。大丈夫です…グズ…。」
「ノアちゃん、実は私…ノアちゃんの家で斗真くんと初めて会った日、見えてはいないけど声が聞こえたの。斗真くんと2人になって、お別れの言葉を伝えたら男の人の声で(別れた日の朝に電話して欲しい)っていう声が。本当に信じられないけど、あれは多分…斗真くんの声だった気がする。最後の最後までノアちゃんのこと心配してたんだと思う。」
それを聞いたノアは斗真の優しさに触れ、再び涙が溢れそうになったが、斗真に心配させてはいけないとグッとこらえた。
「ノアちゃん!遅刻してもいいから、ちゃんと出勤してね。1人でいるより皆なといる方が絶対にいいから。泣きたくなったら私のこの小さな胸貸してあげるからさっ!」
「佐々木さん、本当にありがとうございます。凄く元気出ました。必ず出勤します。」
「よしっ!待ってるから!慌てないで気を付けて来てね!」と言い電話が切れる。
佐々木さんと話して、もう1人じゃないんだと思え気持ちが楽になった。
「佐々木さん、そして斗真、本当にありがとう。もう本当に大丈夫。こんな人生送ったよって胸を張って言えるような人生を歩むからね。」
そして思い立ったように画用紙と鉛筆を持ち出す。斗真を思い出しながら画用紙に似顔絵を描く。
「斗真の写真ないから、せめて似顔絵飾っておきたい。」
色付けもしていく。
「出来た!我ながら上手く描けたかも。」斗真の笑っている似顔絵だ。棚から使ってない写真立てを持ち出し、似顔絵を入れる。テーブルの上に置き
「よしっ!これで寂しくない。じゃあ、そろそろ行って来るね。斗真、くま太、行って来ます!」
手を振り、新たな人生に向かうよう元気に飛び出して行った。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
そして長らくお付き合いしてくださった皆様、本当にありがとうございます!
後もう少しだけお付き合いしていただけますか?
次回もよろしくお願いします!




