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内乱記異聞  作者: 奪胎院
第七部:ムンダの戦い

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第十六章:後継者の到着

ムンダの戦いが終わってから、数週間が過ぎた。


ヒスパニアの冬は、なおも厳しかったが、戦いの熱狂は、冷たい風と共に完全に消え去っていた。


レビルスの日常は、再び計算盤と羊皮紙が支配する世界へと戻っていた。


だが、彼が向き合う数字は、もはや敵兵の数や補給路の距離ではない。


それは、この戦いで命を落とした三万のローマ市民の名前であり、彼らの遺族に支払われるべき弔慰金の額であり、そして、反乱に加担した都市が支払うべき賠償金の総額だった。


勝利は、決して輝かしいものではなかった。


それは、巨大な損失と、深い傷跡と、そして膨大な後始末という、どこまでも現実的な代償を伴うものだった。


カエサルは、連日、司令部で戦後処理の指示を出し続けていた。


その姿は、もはや勝利した将軍ではなく、巨大な災害の後に、黙々と瓦礫を片付ける、一人の実務家のようだった。


その日、レビルスが捕虜の尋問報告を整理していると、天幕の外がにわかに騒がしくなった。


「申し上げます!ローマより、ガイウス・オクタウィアヌス様と、マルクス・アグリッパ様がご到着されました!」


伝令の言葉に、レビルスは思わず顔を上げた。


オクタウィアヌスとアグリッパだと?


ありえない。彼らは、ローマを出発する直前、オクタウィアヌスが重病に倒れたため、この遠征への同行を断念したはずだった。


カエサル自らが、ローマに残って静養に努めるよう、厳命したのだ。


レビルスが驚きに固まっていると、既に報告を受けていたカエサルが、静かに立ち上がった。


その顔には、驚きと、それ以上に深い、何かを確かめようとするかのような、真剣な光が宿っていた。


「…レビルス。出迎えるぞ」


レビルスは、カエサルと共に、陣営の入り口へと向かった。


そこに立っていたのは、確かに、あの二人の若者だった。


だが、その姿は、ローマで見た貴公子然としたものとは、似ても似つかないものだった。


彼らの服は潮水に濡れて汚れ、あちこちが擦り切れている。


アグリッパの顔には、無精髭が伸び、その目には、年齢にそぐわない厳しい光が宿っていた。


そして、その隣に立つオクタウィアヌスは、まるで幽鬼のように痩せこけ、その顔は病人のように青白かった。


だが、その揺るぎない意志を宿した瞳だけが、異様なほどの輝きを放っていた。


「…なぜ、ここにいる」


カエサルの声は、低く、硬かった。


それは、心配と、そして命令に背いたことへの、かすかな怒りが入り混じった響きを持っていた。


答えたのは、アグリッパだった。


「閣下が出発された後、オクタウィアヌスは回復を待たず、我々は後を追いました。ですが、海上で嵐に遭い、船は難破。我々は、かろうじて岸に泳ぎ着いたのです」


彼の言葉は、淡々としていたが、その内容は壮絶なものだった。


「その後、敵の残党が潜むこのヒスパニアの地を、昼は潜み、夜は歩き、ようやくここまでたどり着きました」


レビルスは、息を呑んだ。


病み上がりの体で、嵐の海を渡り、船が難破しながらも、敵の残党が潜む危険地帯を、徒歩で突破してきたというのか。


それは、もはや無謀という言葉ですら生ぬるい、狂気の沙汰だった。


何が、この病弱な若者を、ここまで突き動かしたというのだ。


カエサルは、その報告を聞いても、何も言わなかった。


彼は、ただじっと、痩せてはいるが、その背筋を一本の鋼のように伸ばして立つ、大甥の姿を見つめていた。


その視線は、もはや独裁官のものでも、将軍のものでもなかった。


それは、自らと同じ魂を持つ者を見出した、一人の人間の、驚きと、畏怖と、そしてこれ以上ない深い愛情が入り混じった、複雑な光をたたえていた。


やがて、カエサルは、ゆっくりとオクタウィアヌスの前に歩み寄った。


そして、これまでレビルスが見たこともないような、深い満足感をたたえた目で、その痩せこけた肩を、両手で、力強く抱きしめた。


言葉は、なかった。


だが、その沈黙の抱擁が、全てを物語っていた。


レビルスは、その瞬間に、全てを悟った。


カエサルの後継者が、誰であるのか。


それは、もはや元老院の承認や、市民の支持、あるいはレビルス自身の計算によって決まるものではない。


この、人間の意志が、理不尽な現実をねじ伏せた、この瞬間に、完全に決まったのだと。


カエサルは、この若者の中に、自らと同じものを見たのだ。


計算や戦略を超えた先にある、決して屈することのない、人間の意志の力。ローマを支配する者に、最後に必要とされる、ただ一つの資質を。


盤上の駒は、全て出揃った。


そして、その中央に座るべき、次の時代の王が、今、静かに戴冠したのだ。


レビルスは、自らが計算してきた未来図を、さらにその先へと受け継いでいく者たちの、確かな胎動を、ヒスパニアの冷たい風の中に、感じていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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