遡行
明かりが点いたということは店の中に人がいるようだ、とポトは思った。
意を決して扉を引き、中に入っていく。
建物の中に入ると、壁際にいくつもの木箱や壺が乱雑に詰まれているのが目に入った。
周りを見回していると、奥の長机の前に立っていた男が、ポトが入ってきたことに気付いて振り向いた。頭髪を油で固めて後ろに流している男は不自然な笑顔を向けながら、ポトのことを吟味するように凝視している。
「何か、ご入用ですか」
「ああ。ブリューワ家の者だが、ラウスさんはいるかい」
男は、「ああ」と言いながら顔を和らげ、「少しお待ちください」と言って店の奥に入っていった。しばらく待つと、ラウスが一人でやってきた。
「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」
何もかも見透かしているようなラウスの物言いに腹が立ったが、ポトは平静を装って見返した。
「記憶を蘇らせることができるという話の真偽を確かめに来ただけだ」
ラウスはにこりと笑うと、「承知しました。では行きましょう」と言った。
「別の場所に行くのか」
「ここはルマン島に本店のあるシナイ商会の事務所。たまたまここを都合よく使わせてもらっているだけで、ルナデアとは無関係なのです」
「どこに行くんだ」
「まあ、ついてきてください」
有無を言わせず、ラウスは先に立って店の奥へと歩いて行った。
奥の部屋は倉庫として使っているようで、山積みにされた様々な大きさの木箱の間をすり抜けて、ラウスは右側の扉を開けて中に入った。後をついて行くと、そこには下へ向かう階段があり、ラウスが灯した明かりを頼りに、二人は薄暗い階下に降りて行った。階段を降りた先にまた扉があり、開けた先に星空が見えた。首筋を撫でる夜気に、ポトは思わずぶるっと震えた。周りを見回すと、両側を切り立った岩に囲まれた小道が先の方まで続いているのがぼんやりと見えた。
二人が歩く雪を被った小道は緩やかに下っていき、岩礁に当たる波の音が大きくなってきたと思うと、ふいに小さな入り江に出た。雪が積もった浜辺に足をとられながら歩いていくと、ラウスが振り返った。
「乗ってください」
ラウスの向けた明かりの先に、一艘の小舟が浜にあげられていた。
「沖に出るのか」
質問をするな、といった感じのラウスを一瞥すると、ポトは言われたとおり舟の先の方に乗った。
ラウスは舟の先端に灯りを取り付けると、舟を押して飛び乗り、櫂で漕ぎだした。両側を高い崖に囲まれた水路は緩く曲がっていて行く手は見えない。
知らなければ近寄ることも無いこの水路を使って、ルナデアの者が密かにゴダール島に潜入していたのかもしれないとポトは思いつつ、暗い夜の海を灯りひとつで器用に舟を操るラウスの腕前に感心していた。
しばらく行くと進む先に灯りが見え、近づいて行くとそれが小島であることが分かった。小さな桟橋に舟をつけて島に上がると、岩場の階段を上がった先に、石組みで造られた立派な建物が現れた。
「言い伝えでは、この小島は昔、ゴダール島とテキラニア島が陸続きだった頃の丘が海に沈まずに島になったもので、この建物はそこに建てられていたものが土台になっているそうです。塩田の施設だったと聞きましたが、ほぼ崩れ果てていて、その一部を改修して今は我々が使っているんです」
ラウスはそう言いながら、建物の中に入っていった。
壁にかけられた灯りでぼんやりと明るい中央の通路を挟んで、両側に二つずつ部屋があった。使われていないのか、どの部屋も何も置かれておらず、ラウスはそのまま進んで奥にある扉を開けた。
奥の部屋には真ん中に大きなテーブルが置かれ、明々と焚かれた暖炉の温もりで部屋の中は暖かい。その暖炉の横に立っていた、手足の長い華奢な女が顔を上げた。暖炉に火に赤く照らされた女は、頭と口元に薄い布を巻き付けているので表情は読めない。
「エルシェ。ジラン・カミ―ルを連れてきた」
エルシェはポトの頭から足へゆっくりと視線を流し、テーブルに着くと、前に座るように目線でポトに指示をした。ラウスはエルシェの斜め後ろに立っている。
「今日来ると言ったわけじゃないのに、随分、手回しがいいんだな。俺の行動は常に監視されているということか」
椅子に腰かけながらポトが尋ねるが、エルシェもラウスも何も答えない。
「過去の自分を取り戻したいということでいいんだな」
エルシェの声は、その容姿から思ったよりも低かった。
「ああ。だが記憶を取り戻しても、仲間になる気はない。それでもいいのか」
「アビのお導きだ。私が判断することでは無い」
「アビ…」
ラウスが一歩前に出た。
「アビとは月に宿る神のことです。我々ルナデアの者は、アビを最高神として崇めているのです」
ポトは両手をテーブルの上に出して組んだ。
「そちらがいいなら、やってくれ。俺は何をすればいいんだ」
エルシェはそこだけ布で隠れていない目を細めて、怪訝な色を出した。
「随分あっさりと信用するんだな。罠だとは思わないのか」
罠かもしれない。
それは何度も頭をよぎったことだ。ゴダールに人が潜入していることがわかった時点で、アグーを標的にしていることが明らかになったルナデアは、間違いなく敵だ。記憶を取り戻すと嘘を言って、俺を罠に嵌める可能性は大いにある。
だが、と、ポトは考えていた。
自分を罠に嵌めて、殺す、あるいは味方につける、それが彼らにとってどれほどのメリットがあることだろうか。俺はゴダールで重要な位置にいる人間ではない。あくまでもオズマン・ブリューワの従者であり、ゴダールにとってはよそ者で、取るに足らない島民の一人なのだ。
そしてラウス。何もかも見透かしたようなその振る舞いに対してなぜか抗いたくなってしまうのだが、俺にかけた言葉は本心から出たものだと思えた。
たとえリスクがあっても、過去の記憶を取り戻したい。騙されて、殺されるとしても、俺は甘んじて受け入れるだろう。オズマン様も、俺が居なくなって少しは悲しむだろうがすぐに忘れるはずだ。俺はデニスの代わりに過ぎないのだから。
「これが罠かもしれないということは当然考えているし、罠だった場合の保険もかけてある」
ポトの答えに、エルシェは「そうか」と短く言い、手元から小さなガラスの器に入った蠟燭を五つ取りだすと、ポトに向かって扇を広げるような形で左右対称にテーブルに並べた。
「我々は、お前を騙すつもりはないから安心していい。ラウスの要望を、アビがお認めになったからだ」
エルシェは蝋燭に順に火を灯すと、扇の要にあった蝋燭をポトの方に向かってゆっくりと押しやった。
「人の記憶はとても繊細だ。今からやる儀式で記憶が戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。記憶のごく一部が戻ったり、何も思い出せないまま、これから先、悪夢にうなされつづけたりすることもある。それでも、やるか」
しばらくエルシェの目をじっと見たあと、ポトは無言で頷いた。
「目の前の蝋燭の炎をじっと見つめていろ」
言われたとおりに炎を見つめていると、薄紫色の液体の入った小さなグラスをエルシェがテーブルに置いた。
「これを一気に飲み干すんだ」
ポトが、グラスとエルシェを交互に見つめる。
「安心しろ。毒ではない」
ポトはグラスを手に取り、ちょっとだけ間を開けて口の中に注ぎ込むと、ごくりと飲みこんだ。
「さあ、もう一度、炎に集中しろ」
手前の蝋燭の炎に集中すると、辺りが暗くなっていくように感じる。それとは逆に、左右に並んだ四つの蝋燭の炎の揺らめきが徐々に大きくなって、どんどん近づいてくるような気がしてくる。
ポトの額に滲んだ汗が一筋、つーっ、と流れ落ちた。




